
2024年3月から絵を描きはじめた。
犬と暮らしはじめ、生活を軌道に乗せるまでの3か月を除き、ほぼ毎日何かを描きつづけ、2年が経とうとしている。
絵を描きはじめた経緯はこちら
現在は人体を描くことに興味があり、毎日20分のジェスドロをつづけている。ほかにはアイドル動画を一時停止してクロッキーをしてみたり、オリンピック期間はフィギュアスケート選手のクロッキーをしてみたり、たまにキャラ絵にも挑戦したり……。つまり、無理せず、好きなものを好きなように描き散らしている。
去年の12月のことだった。ジェスドロをしていてふと思った。
「あれ? 人間って、横じゃなくて縦(奥)にも『肩幅』があるんじゃね?」
突然、肩に厚みがあることに気がついたのだ。
何言ってんの? と思われるかもしれない。自分でもそう思うのでもう少し説明すると、今までだって、人間のフォルムをただ必死に描き写す中で、肩の厚みを描いていたはずだ。ただ、それは輪郭を引き写しただけにすぎなかった。立体的に把握して、「うん、ここはこういう厚みがあるからこう描こうね」と線を引いていたわけではない。


肩の厚みに気がつくと、首がそこからにゅっとつきでていることも意識される。そうすると、首や頭部が各段に描きやすくなった。

そういえば、だいぶ前から、腕や足が円柱……というか、筒形であることには気がついていた。それはあくまで輪郭の上でそう見える、という話でしかなかったのだけれど……。いま思えば立体感覚の萌芽だったのだと思う。
肩の厚みに気がついたことで、その立体感覚が一気に芽吹いた。腕は筒で(ただし直径は均一ではない)、そこに手首を軸にくるくると動く手のひらがくっついている。
そういうことがほんとうの意味で理解できた。というか、そう見えるようになった。
体の柔らかいモデルさんが180度に開脚し、上体を思い切り倒している。そのときに、輪郭だけを拾うとただ「薄く」見える背中。それはどんな立体がどうなって、どう見えているからそうなっているのか? そういうことが見て、考えられるようになった。

肩、胸、腹部、腰まわり、脚のつけ根、腿、ふくはぎのあたり、足……。人間の体はそれぞれに違ったふくらみのあるパーツの組み合わせでできていて、それらが有機的に連なっている。
ああ、これは動物も同じだ。そう思って隣で寝息をたてる犬を見てみると、腿があり、ふくふくと動く腹があり、前足のつけ根のあたりにも筋肉があり……と、パーツが立ち上がってくる。いままで、ただ「犬の輪郭」としてとらえていたものが、それぞれに違った形、厚みをもったパーツの連なりであることが、はじめて理解できた。

むふうと興奮して、写真を参考に犬や猫を描いてみる。できばえは、正直、今までと変わらない。しかし、とらえやすさが違う。

鉛筆を走らせながら、わたしははじめて心の底から思い、認めることができた。
「世界って立体なんだ……!」
車輪の再発明どころではないが、いままでは世界が平面として見えていたのだからしかたがない。
描きつづけたことで、目が変わった。それをはっきりと感じた瞬間だった。
また、これは手を動かしつづけなければ起こりえないことだった。
だからといって、突然、部屋のものすべてが立体的に見えて視覚における情報量が一気に増えた、ということはない(そういう体験談を聞いたことがあるのだ)。
絵を描こうと対象を観察しているときだけ、ものがやや立体的に把握ができる。それだけだ。
そしてもうひとつ……。いつものことだが。
「そう見えるからといって、そう描けるわけではない」
「そう見えるからといって、絵が飛躍的に上手くなることはない」
立体的に見えてもそれを紙に描き起こすには技術が足りない。
立体的に見えるからこそ観察による情報量が増え、「見る」→「描く」にかかる時間が増える。
立体的に見えるからこそ、男女の筋肉の違いがよくわかるようになり、とまどうようになる。
ステップアップしたことで新たな課題が立ちふさがる。
「絵が上手くなったな~」と思える地点は、どうやらそれらをなぎ倒した先にあるっぽい。
そして、観察していると、さらなる気づきがあった。人体のパーツとパーツの接続部分は重なって見えることがある。極端なのは腕をにゅっと出したポーズなど遠近感があるもので、そうすると上腕と前腕の接続部分はなんというか、大きく重なって見える。

そんなことを考えていたある日、わたしはヌードクロッキー会に約1年ぶりに参加した。画面上ではなく目の前にある肉体は、立体感が違う。骨があり、内臓が入っていることが感じられる。たとえば、引き締まった体形のモデルさんであっても、四つん這いになれば重力の方向に内臓が引っ張られていることがそこはかとなく感じられる。
そして、やはりパーツとパーツが重なって連なっている。
しかし、そのほとんどを、わたしは絵に乗せることができない。
ぐぬぬ……と思いながら鉛筆を走らせる。
休憩時間に講師の方に質問をしたところ、「今日のクロッキーを見せてもらってもいいですか」とおっしゃってくださり、「遠近感があるポーズで、こっちにぐっと近いものは、もっと重ねて描いたほうがいいですよ。こことかこう……」「ここは骨盤があることを意識するといいかもしれないですね」と、わたしの線を尊重しつつ、描き入れてくださった。
講師の方の線が加わると、絵がぐっと肉感的になった。

――ああ、あの重なって見えるところは、こんなふうに描けばいいんだ!
把握した立体感を紙の上に表現するための土台の、最後のピースがはまったように感じた。
もちろん、そのピースがはまったからといってものすごく上手く描けるようになるわけではない。なので、あくまで「土台」なのだ。
その後のクロッキーは、立体感がさらにとらえやすくなり、それをすこしだけ、「紙の上に表現できた!」と思える瞬間が出てきた。

うおおお、世界は立体で、そしてそれをわたしは見て把握し、紙にすこしだけ描くことができた!
モデルさんの魅力を、ほんのすこしだけ、以前よりも自分の線で再現できるようになった!
世界は立体で、それは目に映る世界の魅力に関係があるっぽい!!!
その日はたいへん興奮して帰路についた。
しかし、扱う情報量が各段に増えたせいか、帰宅後は経験したことのない疲労に襲われ、犬の散歩中にちょっとした犬の引っ張りにより足をすべらせ、漫画のようにすっころんで天を仰ぎ見るはめになった。
絵、初心者が本気で描くと予想以上に疲れる。皆さんも注意しましょうね……。
絵を描く前は、絵は「描画する技術」だと思っていた。何かを平面に上手に描く技術、というぼんやりした把握。
でも、まったく描く技術も経験ももたない、立体感覚に乏しい人間にとっては、絵を描くことは「見る」ことで、自分の「目」を変えていくことだった。
その変化は何段階にもわけて訪れ、毎回、新鮮な驚きをくれる。
絵、楽しい!!!
立体感、すなわち「視覚情報量」が増えて以来、ジェスドロの時間はショートしまくりでぜんぜん上手く描けないけど!!!
楽しい!!!
これがわたしのお絵描きの現在地だ。
美麗なイラストを目指すのもお絵描きだし、心象を表現するのもお絵描き、自分の目が変わっていくことを喜びに手を動かすのもお絵描き。
絵を描いてはじめて、平面的にものを見ていた自分に気づき、それが変わっていったこと。
「苦手なこと、上手くいかないことは放り投げる、避ける」を信条として生きていた自分が、「絵は、上手くいかないからおもしろい!」と感じている新鮮さと驚き。
立体をもって立ち上がってくる世界。
わたしのお絵描きは、思いつきでビントロングという動物を描いたことからはじまっているのだが、そのときにはどれも想像しえなかったことだ。
この年になって、こんなにおもしろいことに出会えるとは……!

絵を描くのっておもしろそう……! と思ったら、紙と鉛筆を取り出し、ササッとやってみる分にはお金はいらない。
デジタルが試したいなら、クリップスタジオやアイリスペイントをスマホに落とし、まずは指で描いてみるのもいい。それらのアプリは、初心者であればたいてい無料の範囲内で十分だと思う。
どうですか……あなたもやりませんか……。
ひょっとして手を動かした結果、フリルを描くのが好き! と目覚めたり、意外な自分が見つかるかもしれませんよ……。
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文中に出てくるヌードクロッキー会は「要池クロッキー会」。今回掲載したクロッキーは、いずれもバーレスクダンサーのGigiさんがモデルのもの。戸沢先生には貴重なアドバイスをいただき、ありがとうございました。