※本記事は
小説を書く人のエッセイ Advent Calendar 2025 - Adventarの12月11日分の記事になります。
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書けない。ほんとうに、書けない。
2025年11月23日開催の文学フリマ東京に向け、小説の同人誌を作り始めたときの感触はこれ以外になかった。
結果から申し上げると、小説の同人誌は出すことはできた。
収録作品は思ったより少なくなってわずか2篇。とはいえ、2篇とも書きたいことを書けて気に入っている。
ただ、原稿を組版ご担当者に送ったのが11月8日。ずいぶんギリギリ進行になり、大変ご迷惑をおかけした。
なぜ、どうしてこうなり、どうやって書き上げることができたのか。それを、本記事には記そうと思う。
- ●最初は小説同人誌を出す予定じゃなかった
- ●犬を飼うと小説が書けない? Why?
- ●見透かされた経験が足をすくませる
- ●そんなこんなでも、書かねばならない
- ●しかし、書き上がらない
- ●迫る締め切りと希望の光
- ●一作を書き上げる熱を体験し、思い出す
- ●そして表題作へ……
- ●まとめ
●最初は小説同人誌を出す予定じゃなかった
2025年秋の文学フリマ東京出店にあたり、当初予定していた同人誌はエッセイ本だった。
2025年5月に犬を迎え、犬との生活は驚きの連続だったので、それについて書き、まとめる予定でいた。
しかし、犬との生活は四季とともにあり、季節によりさまざまなことが変わっていく。
また、成犬の保護犬であったうちの犬とわたしたちの関係にも変化がある。
暑すぎる夏を越えたころ、「犬のことは、最低一年ともに暮らしてみないと同人誌という形にまとめることはできない」と、秋の文学フリマ合わせでエッセイ集を出すことは断念した。
ブログにはたびたび犬との暮らしについての驚きを書きつけているし、「このときの体験」として一冊にまとめるのはありなのかもしれないとも考えた。
が、印刷所に頼む同人誌はわたしにとって「パッケージング」の意味合いが強いので、暮らして半年ではそれにはいかにも不十分だと感じた。
きれいなクッキー缶を用意して、クッキーが3枚だけ入っているものを売るわけにいかない、みたいな……。
そのかわりに「短編小説集を出す」と決め、その旨の告知も打った。2025年8月下旬だったと思う。
短編集のネタはどうする? わたしが常駐しているSNS、Misskeyの企画で書いた掌編の中に、いくつかのインターネットでの交流話があるので、それに書き下ろしを加えて、インターネットネタで1冊作ろう。書き下ろしは、企画で書ききれなかったネタが一本あるので、それを表題作にしよう。
お題で書くのは比較的得意だし、表題作予定のものには書きかけの原稿もある。再録は加筆するとしても、比較的スムーズに進むだろう、と思っていた。当初は。
9月、10月は例年仕事が立て込むのだが、その合間を縫って表題作に何度か手を付けようとした。書き出しからまったく進まない……どころか、めっちゃ書くのが怖い!
振り返ってみると、わたしは3月から同人誌に着手した9月までの半年ほど、まったく小説を書いていなかったのだった。その理由は2つある。
ひとつは前述したとおり、犬を飼い始めたこと。もうひとつはそれより以前、春、小説について他者からある指摘をされたことだ。
●犬を飼うと小説が書けない? Why?
小見出しはキャッチーにしたけれど、正しくは、「犬との生活に慣れるまでは、小説は進めづらい」だ。
まずひとつに、生活リズムがなかなかつかめなかったこと。犬と暮らすと1日2回の散歩がある。また、犬のお世話の時間も必要で、抜け毛対策で掃除機の頻度が上がるなど、家事も増える。もちろん仕事は従来どおり。やることが純粋に増える。
加えて、散歩の時間帯は季節や犬の状態によっても変動する。たとえば我が家は春には朝7時と夕方17時ごろに散歩していたが、ようやくそれに慣れたころ、夏を迎えて熱中症対策として、朝は5時、夜は19時か20時以降となった。朝の散歩が早くなっても、我が家は夫の終業が遅く、どうしても早い時間に寝ることができない。
うちが迎えた犬は成犬なので子犬ほど目が離せないことはないし、留守番もできる。それでも、やることが増えたうえ、季節に合わせて変動する生活リズムについていくのがやっとだった。
わたしの場合、小説を書くにはある程度まとまった時間、ある程度落ち着いた時間を用意し、構想を練り、書き上げることが必要で、やることすべてが細切れになった暮らしに慣れないうちは、なかなか着手が難しかった。
加えて、犬はなんというか存在感がすごい。うちの犬は「人間がほうっておくと、いちおうは大人しくしている」「でも、かまわってくれるならうれしい! いつでもOKよ」というタイプ。なので、「かまって!」と常時言ってくるわけではないのだが、黙って同室にいるだけで、ひとがひとりいるような存在感がある。
わたしは本業ではフリーライターをしており、長年の在宅ワークにより、「書くときは、ひとりになりたい」という人間になってしまった。調べものや原稿の組み立ては人がいてもできるが、最後に書き上げるときはできればひとりになりたい。そして、プライベートで小説を書くときはもっとその傾向が顕著になり、「できれば」ではなくて、少なくとも部屋にひとりでいるときじゃないと書き上げられない。今書いているようなエッセイは、人がいても割合書けるが、仕上げは15分でいいからひとりの時間がほしいところ……。
実家には猫がいるが、室内にいるのが猫なら、たいていのものは書けた。しかし、犬はわたしにとって、「同室に人がいる」感覚がある。
とはいえ、他の部屋に連日長時間こもって犬を常時「在宅お留守番状態」にするのは嫌だし、仕事中でも執筆中でも、犬がそばにいるのがうれしい気持ちはもちろんある。アンビバレンツ。
なんだか文句のようなことを書いてしまったが、犬はパワフルで、迎えた瞬間から人の心と生活のど真ん中に位置を占める。というか、「犬が家族になった」というより、わたしたちと犬とでひとつの「群れ」になった感覚がある。
「犬がいると書けない? なんとかするしかないよねー。群れでいるんだし。それにしても、犬、超かわいい!」と思わせてくれるものがある。ただ、執筆開始時点では、まだまだその「なんとかする」方法が見つかっていなかった。
●見透かされた経験が足をすくませる
犬より大きかったのはこっちだと思う。
わたしは小説の講評会のようなものに参加しており、春先にある作品を提出した。
『記念碑』という作品で、概要としては、片足が義足の青年が、母国にオリンピックの遺構を見学に来る。それを案内するのは初老のタクシー運転手で……という内容で、背景には1984年のサラエボオリンピックと、その後に起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争がある。
3000字の作品でネットにもあげているので、よろしければ。
https://misskey.io/notes/9wi74pjslk8a04fi
講評会は参加者おのおのが読んだ感想を言い、最後に講師がまとめるという内容だ。
『記念碑』については、参加者のひとりから、こんな感想をもらった。
「これが作品の良さなのかもしれないけど……。これ、タクシー運転手の語りなのが、なんだか逃げじゃないかって感じがしたんですよ。真正面から書くことを避けているっていうか」
図星だった。
講師からは、「丸毛さんは、内戦で片足を失った人の内面を書けますか」と問いかけられた。ことばに詰まったわたしに、講師は「わたしは丸毛さんには書けないと思う。それでも書きたいと思うなら、『わたしには書けない』からはじめないといけないと思いますよ」と言った。
まっとうだと思った。被害者も加害者もいる、リアルな出来事をモデルに何かを書く場合の心構えとして。
この作品を書いた理由はいくつかある。
着想のきかっけは、「オリンピックといえば、会場の建築から跡地利用まで(たいてい今は廃墟になっているというストーリーが好まれる)、何かと建築物が話題になる」こと。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を選んだのは、「隣人が隣人を殺すという状態はどこの国でも起こりえることであり、自分にもいつか起きても不思議ではなく、怖い」「なので、そういう史実を人の記憶にとどめたい」という願望が下敷きにある。
しかし、調べながらを『記念碑』を書き始めたとき、「こういった経験をした人のことを、わたしは書けるのだろうか/書いてもいいのだろうか」「3000字を前提とした即興お題小説として扱っても良いものだろうか」と悩んだ。
それでもエゴで書いた。正面から書くとあまりにも重くて書ききれず、全編をタクシーの運転手の語りにすることで、やっと書きとおすことができた。
だから、ぜんぶ図星だった。見透かされた、見抜かれた、と思った。小説こええ。嘘は書けても嘘はつけない。
わたしに必要なのは、まず身近な、書ける内容からしっかり書く訓練をすること。そのうえで、「書けないけど、書きたい」と思うテーマについては、じっくりと調べ、取り組み、「書けない」に向き合うことだと思う。
と、頭ではわかっていたけれど、「小説、嘘つけねえ、こええ」に心が打ち負かされてしまった。この「見透かされる」恐怖は創作の根底にあるもので、きっと多くの人がそれを抱え、乗り越えて創作活動をしている。なので、とくに特別なことではなく、わたしはわたしで向き合い、乗り越えなければならない。
そして、その「見透かされた、小説こええ」に足がすくんだままで、犬のお迎え準備がはじまり、犬を迎えて生活が劇的に変わっていった。
●そんなこんなでも、書かねばならない
そんなこんなの当時の現状がありつつも、「文学フリマで短編集を出します!」と宣言し、表紙も組版も人にお願いした。
何より、ここで小説を書かなければやばいぞ、と本能がささやく。ここで無理を通してでも書き上げないと、たぶん、事態はもっと悪化する。
なんとかせねばならない。
●しかし、書き上がらない
最優先事項は、表題作となる書きおろしを書き上げること。9月頭に表紙をお願いしたとき、書き下ろし予定の表題作『天国なんてどこにもなくても』のイメージでお願いしている。また、書きおろしはどうしても書き上げたいネタでもあった。
そこで書き出しから序盤を何度も書いたのだが、何かがしっくりこない。おもしろくなる予感がしない。
●迫る締め切りと希望の光
あまりにも進まないので、10月後半に入ってからはひたすらイメージボードのようなものを自由に書いたり、登場人物の設定を書き出したりしていた。

そのなかで希望の光となったのが、装画をお願いした有理まことさんが9月中旬ぐらいにあげてくださった、表紙に描く登場人物(薪さん)の造形候補。
当初のイメージとは違ったものの、だからこそ「あ、薪さんってこんな感じなんだ」と思える造形があった。
その後も有理さんがどんどんとあげてくださる表紙のラフを見ながら悪戦苦闘しているうち、書き上げられないまでも、登場人物の言動が地に足ついた形で浮かぶようになった。本当にありがたかった。
また、とにかく思いついたことを書き出し、序盤から中盤の展開について絵コンテのようなものを書いたことで、問題点が
・会話劇で動きが少ない
・序盤の時系列がごちゃごちゃしている
・序盤の展開にスムーズではないところがある
と洗い出されていった。
それでも、書き通すところまでいかなかった。
●一作を書き上げる熱を体験し、思い出す
そうこうするうち、もう1作、書き下ろしたいネタが出てきた。
インターネットで大好きな文章を書く人が、実は亡くなっていた……という実体験についていろいろと割り切れない想いがあり、それを作品にしたいと思った。
勢いで書き始めてみたところ、冒頭部分があまりにも現実に近かったので代わりのアイデアを考えるなど紆余曲折があったものの、
・主人公を自分と近い年齢感に設定する
・実際の出来事とは時代をずらし、テキストサイトからはじまる実体験に基づくインターネットの歴史を追うような内容にする
と、ようするに「内容を自分に引き付ける」工夫をしたところ比較的スムーズに進みそうな気配を見せた。
あるとき、主人公に影響を与えるテキストサイトの名前「鳩の一撃」を思いついたことで最後のピースがハマり、ついにわたしは7、8か月ぶりに小説を書き上げることができた。これが収録作『鳩の一撃』で、そのときにはすでに11月に入っていた。
この作品を書き上げたことで、「とにかく最後まで書き上げる」「そのなかで、意外なアイデアが生まれて助けられる」という体験を久々にし、その手触りのようなものを思い出したのだった。
●そして表題作へ……
11月上旬に仕事をなんとかやりくりし、同人誌だけに集中する数日間を作ったのだが、それでも表題作が書き上がらない。
が、『鳩の一撃』にならい、『天国なんてどこにもなくても』でも、主人公の年齢を引き上げたところ、形になりそうな気配は出てきた。
当初は主人公は30代半ば、その友人である薪さんは20代後半だったが、主人公の年代を40代半ばと、自分に近い設定に変えた。すると、主人公像がつかみやすく、彼女の体験を書きやすくなったのだ。
これは、講評会で決意しつつ果たせなかった「まずは身近なことを正確に書く」の実践でもあり、すくんでいた足がやっと前に出た感覚があった。
そうして『天国なんてどこにもなくても』を書き上げ、『鳩の一撃』とあわせて組版ご担当の魚野れんさんにお送りできたのが8日だった。
当初は既存作のリライトも収録予定だったが、書き下ろしだけでタイムアップ。ずいぶん薄くなってしまったが、なんとか同人誌はできあがったのだった。
●まとめ
かなり綱渡りで、ほうぼうにご迷惑をおかけし、予定よりちいさなものとなったが、なんとか文学フリマ東京41に短編集同人誌を出すことができた。
装画・装丁ご担当の有理まことさんには、作画作業の最後まで完成版の小説をお送りすることができず、組版ご担当の魚野れんには再三リスケをお願いし、大変ご迷惑をおかけした。この場を借りてお詫びとお礼を申し上げます。
実は、印刷所に頼んで作る同人誌として小説本を作ったのは、今回がはじめて。
過去に印刷所にお願いしたのはエッセイ本ばかりで、小説は過去に再録中心のコピー本を出したのみ。
スランプ・ブランクありの状態を抜きにしても、小説書き下ろしはまだまだスケジュールを見通すのがわたしには難しい……と感じた。
それでも、以下のような学びがあった。
・書きあぐねたときは、可能なら登場人物を自分に近い年齢感にするなど、自分に引き付けてみる
・書けないときは、書けることをとにかく書き出してみる。その瞬間に本編が進まなくても、書き出した設定から新たな構想が膨らむこともあるし、筆が進んだときにそうした設定や構想が作品を支えてくれる
こうした体験の細部は、きっと2026年を迎えるころには忘れてしまう。なので、いま、ここに書きつけておく。
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