以下の内容はhttps://hei-bon.hatenablog.com/より取得しました。


キャラクターイラストを描いていたら、メイクも上手くなっちゃうかも!? な話

絵を描きはじめて、1年と11カ月が経った。

 

大人になって、ゼロからお絵描きをはじめた経緯はこちら。

hei-bon.hatenablog.com

 

ここ半年はおもにジェスドロ(限られた時間で、人体の動きの印象を写し取る練習法)で人間を描いている。

今の最大のモチベーションは、リアルな人間の体形や動きについて、自分が魅力的だと感じたものを描きたい! だ。

 

が、たまにはモデルがあるものではなく、自分の想像の中だけにある「任意の絵」を描いてみたくなることもある。

ジェスドロをそれなりにつづけているのだから、「こんなアクションしているキャラがいたらかっこいいな~」みたいな思いつきだって、描けるんじゃないか? という腕試し気分もある。

 

というわけで、最近は任意の絵、つまりキャラクターのイラストも描こうと試行錯誤をしている。

 

わたしは鉛筆描きのほうが慣れているので、アナログで下絵を描く。正しいか正しくないか、上手いか下手かは別にして、シンプルな人物の立ち絵は、さすがにササッと描くことができる(むろん、自分に都合のよいポーズを選べば)。

 

鉛筆で描いた下絵。ひとつ断っておくと、わたしはキャラクターイラストをほとんど描いたことがない。基礎となる技術がないので、ジェスドロをやってもとくにキャラクターイラストが上手くなったりしないのであった。もともとキャラクターイラストを描いている人がジェスドロを同じぐらい続けたら、きっといい感じになると思います!

 

それをスキャンし、ペン入れ、着彩。

わたしはデジタルではクリップスタジオ、略してクリスタを使っている。手元にある「クリップスタジオ公式ガイドブック」は、キャラクターイラストの描き方をひととおり解説しながら機能についてふれているので、これを参考に肌の色を塗り、影をつけ、瞳を描いて、髪に影をつけ、ハイライトを入れ……とやっていく。

 

肌はそれ用のカラーセットをダウンロードして、影はちょっと明るめの色で……。このあたりもガイドブックにRGBの数値まで載っているのでそのとおりに。

問題は、影の入れ方だ。

・リアルな人体で同じポーズをしたときに、どこにどれぐらい影が入るか。

・同じようなポーズのイラストでは、どこにどれぐらい影を入れているか。

この2つがわからない。

 

こういうとき、「何も見ちゃいないんだな~」と改めて思う。

 

と、同時にある問答を思い出す。

わたしには絵の上手い親族がいて、デフォルメ強めの絵柄で、漫画を描いている。ある日、その親族が、こんもりとしたちいさな島の上でキャラクターが遊んでいる……といったカラーイラストを描いていた。島は全面に草が生えた、いわば「芝生島」のような形をしていて、「リアルではないが、イラスト的にわかりやすい島」となっている。

すでに絵を描きはじめていたわたしには、この「わかりやすい、島っぽい島」を描くのが難しいことがわかった。島の表面がこんもりと感じるのは緑の濃淡が絶妙につけられているから。それが「海に浮かぶボール」でもなんでもなく、「島」に見えるのは、キャラクターがのっている物体の断面に層が描かれ、土や岩でできていることを表しているからだ。

 

当時、陰影の表現がぜんぜんわからない! と思っていたわたしは、とくに「こんもりと草が生えていることが感じられる緑の陰影」が気になった。

「これ、すごーく草っぽく見えるけど、なんでこんな陰影が描けるの? 何か参考にしているの?」

聞かれた相手はポカンとした顔をした。

「なんでって……うーん。わからない? 芝生に日光が当たったら、だいたいこんな感じ、とか。公園とかで見てるでしょ? 思い出さない?」

思い出さねえよ、見てねえよ! と思いつつ、わたしは悟った。この人は、「見る」力にも、それを記憶する力にも優れているのだ。

そしておそらく、絵を描くことで、「こういった観察は有用だ」「ストックしておこう」と無意識に思っているはずだ。絵を描くことで、反復的に「見る」力も強化されているのではないか。

 

きっとイラストや絵を描く人は、みんな、こうして「見る」を強化しているのではないか。「見る」対象は現実だけとは限らない。キラッキラなキャラクターイラストを見たとき、それにどう光が当たり、影をつけ、なぜキラッキラに見えるのか、といった細部を、きっとわたしよりよく見ている。たぶん、ある程度は意識することなしに。

 

回想終わり。

ともかく、わたしにもこうして、自分の手を動かし、「影ってどうだっけ」と悩む日が来たのだ。ということは、わたしもこれからはいままでよりはよく「見る」ようになるだろう。っていうか見てね、見ます……。

 

そんなことを思いながら見よう見まねで影を入れて、次は瞳だ。

ベースの色を塗り、白目に影を入れ、黒目にまぶたから落ちる影を入れ、瞳孔や虹彩を描き、反射する光を表現し、白でハイライトを入れて……この小さな瞳になんと手間がかかることか!

しかし、絵を描くなかで驚いたことのひとつは、このちいさな瞳がいかに人の目をひくかだ。人間のスケッチでも動物でも、瞳がはっきりと描かれたもの、とくに目線が鑑賞者と合うものはSNSでも反応が違う。キャラクターイラストであれば、瞳はアイキャッチとして外せないものだろう。

 

そうしてマニュアル通りにがんばって描いていくと、なんと! とても自分が描いたと思えないうるおいのある光のある目が完成した。

全身絵なので、瞳が占める面積はちいさなものだが、それでもやはり、塗りつぶしただけの瞳よりずっと印象が強い。

 

がんばって描いた瞳。虹彩、はじめて描きました

次はええと何々、かわいい印象にしたいときはほっぺたに血色を入れて……。入れる場所は、頬のいちばん高い場所でいいのかな? そう考えると、これはメイクに似ている。というかそのものだ。

アイラインを強調するように線を引き、チークを入れて、肌全体を自然な陰影にまかせずハイライトで肌の明るいところを作ってあげることでより生き生きと見せ(というのはまだ実践できないが)、うるつやリップを塗るように光を与える。

そういえば、絵が上手い人たちが、「メイクとお絵描きは似ている」と発言していたっけ。

先ほどの茶色の瞳のキャラクターとはまた別の、瞳をがんばって描き、ほっぺたに血色もプラスしたイラスト。うるつやリップはまた今度挑戦するということで……

 

などと感じた次の日、わたしは美容院へ足を運んだ。何の気なしに雑誌を目にしていたところ、「これはキャラクターイラストだ!!!」とページをめくる手が止まる箇所があった。

メイクページだ。

それは「春リップ」の特集で、どのモデルさんの顔写真でも、唇にライトが当てられてつやめいていた。焦点は唇にあるものの、肌や瞳にも光が当てられ、美しい肌、いきいきとした表情を演出している。その考え方は、わたしがうんうんと悩みながら手を動かしたキャラクターイラストのメイキングそのもの……というのも、絵は現実を反映にしているので当たり前なのだが……ともかく、ここまでリアルとキャラクターイラストが接続するとは思ってみなかったのだった。

 

しかも、リアルのほうがキャラクターイラストに比べ、ある意味で情報量が少ないし、光源を意識することを学ぶにもよさそうだ。これは初心者が見るととっても参考になるやもしれない……。

 

と、同時に。わたしは思う。これは、わたし自身がメイクをもっと真剣にやるべきなのでは?

 

わたしはキャラクターの顔を描くのがとても苦手で、それは狭い面積に微妙な凹凸があり、立体的にとらえにくいからだ。

そしてキャラクターの顔に色を塗りながら気づいたのは、「どこにどう光が当たると自然か、魅力的か」といったことも考えられない。

 

そこで考え至るのが、己のメイクのいい加減さだ。

 

若いころから、ことにハイライトはどこに入れていいかがよくわからなかったし、アイメイクもあまり真剣にやったことがない。アイシャドウの使い方指南などを見ていると、薄い色をまず広く塗って~濃い色をこうやって入れて~目のキワキワにさらに濃い色を……え~そんな難しいことできないよ~! で終わってしまう。

そういう人間は、メイク中、顔をさわるのもいい加減だ。「最低限、社会的な通行許可証として、『メイクしている』ってわかればいいから! 早くなれなれ~とにかくメイクしている状態になれ~」としか思わず、適当に手を動かしている。

 

いままで絵を描きつづけてきて、わたしは知っている。何かに真剣にふれた経験は、それを描くときに大いに参考になる。たとえば、猫ちゃんをたくさん「ぎゃわいい」と真剣になでたことがあれば、猫の絵を描くときにとても有利だ。頭の球形の丸み、その丸みのどのへんに耳がどうやってついているかなど、自分の体験を参照しながら描くことができる。

 

それは「顔」も同じなのではないか。もしもメイクをするたびに一生懸命、手でペタペタやって触感で己の顔を感じ、どうやったらよりよく見えるのか、どう光を当てたいのかを考えれば、絵を描くときも、「そうか~、頬骨がこうやって出ているもんね」などと実感をもち、「いっちょこのへんに光を当てたるか!」と明るめの色を塗ったりできるのではないだろうか。

 

折しも、年齢を重ねて肌の状態が変わり、いい加減なメイクでは「社会的な通行許可証」にすらならないのでは? と悩んでいたところだった。

 

できれば苦手なことは投げ捨てたい。もうふつう以下の中高年女性でいいじゃないと言いたい気持ちもある。一方、もちろん、できればきれいでいたい気持ちもある。でも……それはあまりにもめんどうで……。

 

しかし、「絵の練習と両輪」と考えれば、メイクもすこしは練習できそうな気がする。いきなりすごいメイクができなくてもいいのだ。絵については、「いきなりうまくなろう」とは思わず、昨日より今日、いいものが描けたらうれしいと思っているからつづいている。メイクも同じく、昨日より今日、うまくできたらいい、別に人からきれいに見られるほどじゃなくてもいい、ぐらいのノリならできそうな気がする。

 

メイクに対するモチベーション、そして、苦手なことに向かう姿勢。

この年齢になって出会った絵という趣味は、わたしにたくさんのことをもたらしてくれている……と、きれいにまとめたいところだが……。

現実のメイクには、肌というコンディションが変わりまくるキャンバスがあるわけでして……。まずはここを整えることからかな……。

絵と同じく、美容や身づくろいも果てがないな~と天を仰ぎ見る今日この頃であった。

 

完成したイラスト。うちの犬がHurttaという犬用コートを着ているところ、その雰囲気、印象をキャラクターにしたもの(犬の擬人化ではなく)

 

完成したイラストその2。バレンタインに、モーニングスターをかついだ女の子からチョコレートを差し出されたらどうする~!? というコンセプトのイラスト

 

初心者が絵を描き続けていたら、「世界って立体なんだ……!」と思えるようになった話

2024年9月と2026年2月、同じ じぇすどろパーティ#28 岩本友美さんのポーズ

 

2024年3月から絵を描きはじめた。

犬と暮らしはじめ、生活を軌道に乗せるまでの3か月を除き、ほぼ毎日何かを描きつづけ、2年が経とうとしている。

 

絵を描きはじめた経緯はこちら

hei-bon.hatenablog.com

 

現在は人体を描くことに興味があり、毎日20分のジェスドロをつづけている。ほかにはアイドル動画を一時停止してクロッキーをしてみたり、オリンピック期間はフィギュアスケート選手のクロッキーをしてみたり、たまにキャラ絵にも挑戦したり……。つまり、無理せず、好きなものを好きなように描き散らしている。

 

去年の12月のことだった。ジェスドロをしていてふと思った。

「あれ? 人間って、横じゃなくて縦(奥)にも『肩幅』があるんじゃね?」

突然、肩に厚みがあることに気がついたのだ。

 

何言ってんの? と思われるかもしれない。自分でもそう思うのでもう少し説明すると、今までだって、人間のフォルムをただ必死に描き写す中で、肩の厚みを描いていたはずだ。ただ、それは輪郭を引き写しただけにすぎなかった。立体的に把握して、「うん、ここはこういう厚みがあるからこう描こうね」と線を引いていたわけではない。

 

2025年10月3日のジェスドロ。がんばって描いているが、肩や腰回りの線をみると、「シルエットをシルエットとして描いており、立体的に捉えているわけではない」ことがわかる。じぇすどろパーティ#238 栗田唯さんの回

 

立体感に気づく直前、2025年12月3日のジェスドロ。10月のジェスドロに比べると肩や肘の位置に丸を置き、位置決めをするように変わってきているが、やはり厚みを立体的にとらえているわけではないことがわかる じぇすどろパーティ#200 栗田唯さんの回

肩の厚みに気がつくと、首がそこからにゅっとつきでていることも意識される。そうすると、首や頭部が各段に描きやすくなった。

 

2025年12月26日のジェスドロ。正直、今見ると、他の回に比べて上手くないのだが、とくにこの画像にある右2つのクロッキーでは、「肩に厚みがある」とはっきりととらえられたことを覚えている。じぇすどろパーティ#219 Chataさんの回

 

そういえば、だいぶ前から、腕や足が円柱……というか、筒形であることには気がついていた。それはあくまで輪郭の上でそう見える、という話でしかなかったのだけれど……。いま思えば立体感覚の萌芽だったのだと思う。

肩の厚みに気がついたことで、その立体感覚が一気に芽吹いた。腕は筒で(ただし直径は均一ではない)、そこに手首を軸にくるくると動く手のひらがくっついている。

そういうことがほんとうの意味で理解できた。というか、そう見えるようになった。

 

体の柔らかいモデルさんが180度に開脚し、上体を思い切り倒している。そのときに、輪郭だけを拾うとただ「薄く」見える背中。それはどんな立体がどうなって、どう見えているからそうなっているのか? そういうことが見て、考えられるようになった。

 

どちらも以前は表現しえなかったポーズ。2026年2月。じぇすどろパーティ#22 C.さん回

 

肩、胸、腹部、腰まわり、脚のつけ根、腿、ふくはぎのあたり、足……。人間の体はそれぞれに違ったふくらみのあるパーツの組み合わせでできていて、それらが有機的に連なっている。

 

ああ、これは動物も同じだ。そう思って隣で寝息をたてる犬を見てみると、腿があり、ふくふくと動く腹があり、前足のつけ根のあたりにも筋肉があり……と、パーツが立ち上がってくる。いままで、ただ「犬の輪郭」としてとらえていたものが、それぞれに違った形、厚みをもったパーツの連なりであることが、はじめて理解できた。

 

2026年12月26日。立体的に見えることに興奮し、描いた犬たち。この画像2点は写真をもとに描いたもの。うちの犬は右下。左上はぱくたその模写OKフリー素材の模写。それほど上手い絵ではないが、この「犬らしい形」がかなり早く、楽に描写できた記憶がある

 

むふうと興奮して、写真を参考に犬や猫を描いてみる。できばえは、正直、今までと変わらない。しかし、とらえやすさが違う。

 

2025年12月26日、写真をもとに描いた猫。やはりそれほど上手い絵ではないが、ふっくらとしたフォルムが立体的に描けたように感じた

 

鉛筆を走らせながら、わたしははじめて心の底から思い、認めることができた。

「世界って立体なんだ……!」

車輪の再発明どころではないが、いままでは世界が平面として見えていたのだからしかたがない。

描きつづけたことで、目が変わった。それをはっきりと感じた瞬間だった。

また、これは手を動かしつづけなければ起こりえないことだった。

 

だからといって、突然、部屋のものすべてが立体的に見えて視覚における情報量が一気に増えた、ということはない(そういう体験談を聞いたことがあるのだ)。

絵を描こうと対象を観察しているときだけ、ものがやや立体的に把握ができる。それだけだ。

 

そしてもうひとつ……。いつものことだが。

 

「そう見えるからといって、そう描けるわけではない」

「そう見えるからといって、絵が飛躍的に上手くなることはない」

 

立体的に見えてもそれを紙に描き起こすには技術が足りない。

立体的に見えるからこそ観察による情報量が増え、「見る」→「描く」にかかる時間が増える。

立体的に見えるからこそ、男女の筋肉の違いがよくわかるようになり、とまどうようになる。

ステップアップしたことで新たな課題が立ちふさがる。

「絵が上手くなったな~」と思える地点は、どうやらそれらをなぎ倒した先にあるっぽい。

 

そして、観察していると、さらなる気づきがあった。人体のパーツとパーツの接続部分は重なって見えることがある。極端なのは腕をにゅっと出したポーズなど遠近感があるもので、そうすると上腕と前腕の接続部分はなんというか、大きく重なって見える。

 

ちょっとわかりにくいが、「腕がにゅっと突き出していると、パーツが重なって見える」例。どういう状態をさすかは、この図でわかっていただけるのではないだろうか。じぇすどろパーティ#243 ミラ・スワロウテイルさんの回

 

そんなことを考えていたある日、わたしはヌードクロッキー会に約1年ぶりに参加した。画面上ではなく目の前にある肉体は、立体感が違う。骨があり、内臓が入っていることが感じられる。たとえば、引き締まった体形のモデルさんであっても、四つん這いになれば重力の方向に内臓が引っ張られていることがそこはかとなく感じられる。

そして、やはりパーツとパーツが重なって連なっている。

しかし、そのほとんどを、わたしは絵に乗せることができない。

 

ぐぬぬ……と思いながら鉛筆を走らせる。

休憩時間に講師の方に質問をしたところ、「今日のクロッキーを見せてもらってもいいですか」とおっしゃってくださり、「遠近感があるポーズで、こっちにぐっと近いものは、もっと重ねて描いたほうがいいですよ。こことかこう……」「ここは骨盤があることを意識するといいかもしれないですね」と、わたしの線を尊重しつつ、描き入れてくださった。

講師の方の線が加わると、絵がぐっと肉感的になった。

ピンクで示したのが、講師の方が重ねて入れてくださった線。これがあると、ふくらはぎがぐっとこちらに寄っているように見える! 右のほうが消えているのは、1分のポーズを時間内に描ききれなかったからです……

 

――ああ、あの重なって見えるところは、こんなふうに描けばいいんだ!

 

把握した立体感を紙の上に表現するための土台の、最後のピースがはまったように感じた。

もちろん、そのピースがはまったからといってものすごく上手く描けるようになるわけではない。なので、あくまで「土台」なのだ。

その後のクロッキーは、立体感がさらにとらえやすくなり、それをすこしだけ、「紙の上に表現できた!」と思える瞬間が出てきた。

クロッキー会にて、講師の方のアドバイス後に描いたもの。椅子に座った脚の、もも、膝、ふくらはぎあたりはパーツの重なりを意識して線を引いている。立体感・遠近感を今までよりも表現できてうれしかった。クロッキー会での絵は、要池クロッキー会に参加したときのもの。モデルはバーレスクダンサーのGigiさん

 

うおおお、世界は立体で、そしてそれをわたしは見て把握し、紙にすこしだけ描くことができた!

モデルさんの魅力を、ほんのすこしだけ、以前よりも自分の線で再現できるようになった!

世界は立体で、それは目に映る世界の魅力に関係があるっぽい!!!

 

その日はたいへん興奮して帰路についた。

しかし、扱う情報量が各段に増えたせいか、帰宅後は経験したことのない疲労に襲われ、犬の散歩中にちょっとした犬の引っ張りにより足をすべらせ、漫画のようにすっころんで天を仰ぎ見るはめになった。

絵、初心者が本気で描くと予想以上に疲れる。皆さんも注意しましょうね……。

 

絵を描く前は、絵は「描画する技術」だと思っていた。何かを平面に上手に描く技術、というぼんやりした把握。

でも、まったく描く技術も経験ももたない、立体感覚に乏しい人間にとっては、絵を描くことは「見る」ことで、自分の「目」を変えていくことだった。

その変化は何段階にもわけて訪れ、毎回、新鮮な驚きをくれる。

 

絵、楽しい!!!

立体感、すなわち「視覚情報量」が増えて以来、ジェスドロの時間はショートしまくりでぜんぜん上手く描けないけど!!!

楽しい!!!

 

これがわたしのお絵描きの現在地だ。

美麗なイラストを目指すのもお絵描きだし、心象を表現するのもお絵描き、自分の目が変わっていくことを喜びに手を動かすのもお絵描き。

 

絵を描いてはじめて、平面的にものを見ていた自分に気づき、それが変わっていったこと。

「苦手なこと、上手くいかないことは放り投げる、避ける」を信条として生きていた自分が、「絵は、上手くいかないからおもしろい!」と感じている新鮮さと驚き。

立体をもって立ち上がってくる世界。

わたしのお絵描きは、思いつきでビントロングという動物を描いたことからはじまっているのだが、そのときにはどれも想像しえなかったことだ。

この年になって、こんなにおもしろいことに出会えるとは……!

 

2026年1月26日のジェスドロ。中央は5分のポーズ、その上下に描かれているのは動画の最後のモデルさんのポーズを一時停止し、模写したもの。ポーズ、たたずまいなど、何もかもが以前は描けなかったもので感動した回。じぇすどろパーティ#004 ヴァイオレット・エヴァさん回。

 

絵を描くのっておもしろそう……! と思ったら、紙と鉛筆を取り出し、ササッとやってみる分にはお金はいらない。

デジタルが試したいなら、クリップスタジオやアイリスペイントをスマホに落とし、まずは指で描いてみるのもいい。それらのアプリは、初心者であればたいてい無料の範囲内で十分だと思う。

どうですか……あなたもやりませんか……。

ひょっとして手を動かした結果、フリルを描くのが好き! と目覚めたり、意外な自分が見つかるかもしれませんよ……。

 

***

文中に出てくるヌードクロッキー会は「要池クロッキー会」。今回掲載したクロッキーは、いずれもバーレスクダンサーのGigiさんがモデルのもの。戸沢先生には貴重なアドバイスをいただき、ありがとうございました。

人物クロッキー会 | どなたでも参加可 | 要町 | 池袋 | 創形美術学校 | 海外美術留学準備コース

犬と暦

犬と暮らしていると、お天気や自然のほか、案外、人間社会の暦をダイナミックに体感する。

 

年の瀬の散歩中の一枚

 

クリスマスイブが過ぎたころから車の交通量は減り、一昨日から朝も昼も住宅街に人影は少なく、昨日は窓掃除や洗車をする人をよく見かけ、今日、30日はついに公園でボール遊びをする子どもたちもいなくなった。

 

今よりずっと、犬が散歩にナーバスだった夏、人も車も自転車も少ない、お盆の1週間がとてもありがたかったことを思い出す。

ことに犬がパニックになりやすい夜は恩恵が大きく、「静かだねえ、お盆なんだよ」と話しかけながら歩いていた。

 

夏の夜の、蒸し暑い中で虫の声がする静かさと、空気が冷えて乾いて何より明るい冬の朝の静かさ。

 

人の社会の営みなのに、どちらも「恵み」と感じる不思議。

 

青くて薄い、冬の午前の空、どこか遠い日差し。犬が霜柱を踏む。冬の音はひそやかで、親密な響きがある。

 

明日の大晦日、そして元日。犬と歩く街はどんなだろうか。静かだろうか。案外、にぎやかだろうか。

犬と過ごすはじめての暦を、わたしたちはひと匙の不安とともに楽しんでいる。

 

※Misskey.ioに投稿したものを再編集のうえ、投稿

保護犬と暮らして半年の記録

この記事はいぬすきーアドベントカレンダー15日目の記事です
https://adventar.org/calendars/11502

 

***

 

犬を迎えてからおよそ半年が経った。


うちの犬は保護犬で、お試し生活であるトライアル開始から7か月、正式譲渡から6か月。

保護犬であることを中心に、お迎え前後の流れや、現時点でのインプレッションのようなものを残しておこうと思う。

これまでブログにちょこちょこと書いていた情報もあるとは思うが、ご容赦ください。

 

 

 

基本情報

外見や年齢など
黒柴に似た柄の、体重12キロの雑種犬。女の子。3歳。

かわいい。飼い主のポジションから散歩中の犬のいい写真を撮るのはかなり難しいが、奇跡的に成功した一枚



性格は人が好きで、ビビり。いろんな音にびっくりしがち。その一方、わりと天真爛漫でポジティブだと思う。はっちゃけるととても元気。

ケガをしているところを愛護センターに保護され、保護団体へ。

そのため来歴は不明だが、人間のことは「みんななんとなく自分のことが好きで、オヤツぐらいはくれるだろう」と思っている節があるので、人間から怖い目にあわされたことはないと思われる。

 

どんな人間なのか?

中年夫婦2人。もともと猫が好きで、動物全般が好き。犬の飼育経験はなし。身近に飼っていた人もいない。2、3年ほど譲渡会などに足を運び、段階的に犬を知っていった。

 

犬の好きなこと:お散歩、食べること! でも、人間の食べ物を奪うほどの積極性はない。人にくっつくこと。定位置のソファでくっつくのがベスト。ロープ系のおもちゃを噛み噛みすること。外でタオルをゆわえたものをくわえてぶんぶん振り回すこと

無関心:ぬいぐるみタイプのおもちゃ。ダンスなど飼い主の奇行

嫌だな~:お留守番

嫌いというか怖い:車。突発的な音全般、複数人数の人間がしゃべりながら歩く、子どもの声、自転車が段差でたてるガタッという音、あと風の音。
あとなんだろう……動物病院は診察では怖がるが、処置が終わると獣医さんや看護師さんをペロッとなめるし、病院を出ると「なんだかんだ人間にかまわれたな~」みたいな顔をしているので、おそらく大嫌いというわけではないっぽいし……

トイレ:外派。というか外でしかしない。それゆえ、1日2回~の散歩はマスト

 

なぜ保護犬?

保護猫カフェに通っていたので、「保護動物がたくさんいて、次々に保護団体にやってくる」ことを知っていたこと。

どんな動物を迎えるにせよ、子どもでなくて大人でかまわないと思っていたこと。性格をだいたい把握したうえでお迎えできるので、むしろ大人のほうがよかった。雑種犬でもというか、できれば雑種がよかったこと。これは見た目の好みが大きい。

犬の場合、犬種による性格や気質の違いでもしつけの方向性や必要量運動量が変わってくるし、散歩をするので問題行動はときに対人問題に直結する。なので、犬種はもちろん、親犬の気質も含めて選ぶ人もいるのは知っているが、本犬の性格を把握しているボランティアさんから説明を受ければ問題ないかな……というスタンス。

 

うちに来ることが決まるまで

もともとチェックしていた保護団体の犬。預かりボランティア(保護犬の里親が見つかるまで自宅でその面倒をみるボランティア)さんのInstagramで里親募集しているのを見て、かわいい、賃貸の規約内のサイズ、うちでもお世話できるかも、かわいいと思ってお見合いを申し込んだ。公園でのお見合いとお試し散歩を経て、その日にトライアルが決定。

お見合い時に、「ものすごく運命を感じた」とか、「犬に認められた」といった手ごたえはなかった。ただ、かわいくて元気で、怖がりなのに好奇心旺盛なところがかわいいと思った。道行く中学生男子が「あ、かわいい~」と言ってくれたときは、「そうでしょう、そうでしょう」と思った。それぐらい。

 

お迎え準備から正式譲渡まで

犬の出身保護団体はお迎えまでに踏む段階や約束事は多めだと思うが、我々としてはいずれも納得できるものだった。


・トライアル開始前に、犬を連れての環境調査
犬に家をチラ見せしてちょっと慣れさせる&実質は脱走防止対策のアドバイス。トライアルまでにその対策を実施し、ボランティアさんに写真を送ることが求められる。

もともと保護猫のお迎えを考えていた我々にとって、脱走防止対策をするのは当然に思えたし、家に来て「100均で買えるワイヤーネットをこう組み合わせて~」と具体的にアドバイスをもらえるのはとても助かった。

動物保護団体は「脱走により、譲渡した動物がふたたび保護動物になったり、外でケガをする、命を落とすことがあってはならない」と考えている。なので、どこの保護団体であっても、基本的に「保護団体から動物を迎えるイコール、脱走対策を求められる」だと思う。

 

・トライアル開始
犬のお届けと同時に、脱走防止対策や飼育環境の最終確認。

 

・トライアル
基本は1か月。これは長めと複数の人から言われた。ひょっとしたら、お迎えの決意が固まればもっと短くてよかったのかもしれない。うちはもちろんお迎えの決意はあったが、犬と実際に暮らしながらいろいろ相談できる期間が1か月あるのはとても助かった。

 

・トライアル中

「トライアル中の報告」は団体との約束だが、そんな約束関係なく、相談したいことが毎日わんさわんさと出てくる。なので最初の10日ぐらいは「報告しよう!」なんて考えずとも、自然と毎日、800字ぐらいの相談LINEを送り付けることとなった。怖。

最初のほうの連絡を見ると、犬のお散歩相談の経緯説明で、「犬ちゃんが草むらをくんくんしたら、緑のちいさなアブラムシみたいなのが鼻についていて」など書いてあったりする。それはお散歩中のパニックには関係ないでしょ、といまは思うが、当時はとにかくヒントがほしかったのだった。また、「ガムをこんなに噛むんですけど大丈夫ですか!?」と動画付きで相談したりしていた。ガムは犬が噛むためのオヤツだよ……。

うちに来るまで犬のめんどうをみてくれていたボランティアさんは、そんなぐだぐだ相談に、毎回、励ましを添え、真摯に的確に答えてくださった。トライアル開始前から「全力でサポートします」と言ってくださって、実際にそうしてくださった。感謝しかない。

 

正式譲渡

ここでもボランティアの方が自宅訪問。犬の現状を見ながらアドバイスをもらえるので、これも大変助かった。うちの場合、ボランティアさんに時間の余裕があったため、みんなで近所の公園に出かけ、犬との遊び方を実演してもらった。また、お世話になったボランティアさんと犬の再会のようすも心温まるものだった。

 

その後

正式譲渡から半年後の近況報告、あとは周年の報告。わたしたちは、「犬ちゃんがこんなにかわいくって! 元気で! もうかわいくって!」と写真と動画つきで遠慮なく報告できる機会ととらえている。何より、うちの犬の幸せを願い、何かあれば相談に乗ってくれる人がこの世界にいる心強さがある。

 

保護犬、何が大変だったか?

 

正直いえば、犬と出会うまでがかなり大変だった。なかなか話がまとまらず、縁がなかったのだった。トライアルが決まったときは、「これでもうインスタを見てお迎え候補の犬を探すこともしなくていいし、気になった犬がいたとしてその保護団体が信用に足るかどうかを考えなくてもいいし、遠くの譲渡会に行かなくてもいい」とほっとした。

 

肝心の迎えてからの大変さは……。

保護犬といってもいろんな経緯で保護されたいろんな犬がいて、抱えている問題もさまざま。うちの犬は問題が少ないほうだと思う。

トイレは絶対外派ゆえに粗相はしない。体のどこをさわっても平気。攻撃性はない。怖がりだがかなり人なれしている。健康にも大きな問題はない。かわいい。

だからこそ、犬初心者のわたしたちにも譲渡してもらえた。

一点だけ問題となったのが、散歩。

うちの犬は車や自転車、子どもの声などいろんなものが怖い。恐怖が一定に達すると、腰を落としてジタジタする走りを見せ、なぜか「怖いもののほう」へ寄っていく。すなわち、車が怖い! と思ったら車道に向かって走る。なぜだ。

ただ、それでもお散歩は好きだし、静かな場所では楽しく歩くことができ、「待て」といえば待ってくれる。パニックになったときのリードの引きも、わたしでも制御できる程度。犬との暮らしに慣れた人であれば、2週間ぐらいでふつうにお散歩できるようになるのでは……と思うが、残念ながら我々は犬経験が皆無。

それがどう変わってきたか? は、この後の「犬のお散歩変化」に記そうと思う。

 

犬のお散歩変化

・トライアル中
うちにきてすぐのころから、朝の静かな時間帯は楽しそうだった。一方、夕方の散歩は車も自転車も人も怖いので、しょっちゅうパニックになり、無事に帰るのがやっと。

帰宅後から夜にかけて、犬がハァハァと口を開けて呼吸をするパンティングが出た。

 

とはいえ犬はパニック中でない限り、「待て」といえば待ってくれる。動物にコマンドが通じた経験がない人間にとってはこれは感動的で、「こんな犬慣れしていないボンクラのコマンドを聞いてくれる賢い犬に対し、自分たちは応えられていない」「お散歩で安心させてあげられない」と落ち込むこともしばしば。

が、うちの犬は人の感情に寄り添うタイプではなく、人間がめそめそしていても意に介することなく自分のペースでくっついたり寝たりしている。これには救われた。

 

お散歩初期のことを書いたブログ記事。

hei-bon.hatenablog.com

 

 

・正式譲渡(6月頭)

このころには、散歩ルートもバリエーションが増えていた。メインのお散歩場所となっている公園では、毎年夏祭りが開かれる。公園に行けなかったらどうしよう、夜まで人がいっぱいで犬が怖がったらどうしよう、散歩できないんじゃないか、夏祭りまでに回避できるようにしなきゃ……と、必死で増やしたのだった。

この頃、リードが「外れてる?」と思うぐらい軽く感じられる瞬間が出てきた。犬がリードを引かない瞬間が出てきたのだと思う。これには感動した。

 

・6月中旬

蒸し暑さが増し、たまに「水の中を歩いているのか?」という日も。散歩で歩ける距離がどんどんのびる……が、夜、散歩をしぶるケースが出てきた。「暑さでバテているのでは」と思い当たり、歩くペースを落とし、ルートを見直した。「犬は歩けば歩くほど喜ぶ」「中型犬なので、とにかくたくさん歩かなきゃ」という思い込みが糺された出来事だった。

このころ、雨の日の散歩中に家の鍵を落とし、探すために犬を引っ張り回してしまったこともあった。人間がパニックになり、さぞかし犬は怖かったと思う。申し訳ない。今は、めんどうでも家の鍵はお散歩バッグの奥に入れるなど、注意を払っている。

また、水に濡らして使う冷え冷えポンチョを購入。夏の散歩の必需品となった。

 

・6月下旬

ペースダウンしつつも、散歩ルートはそれでも増えた。そんなとき、奇跡のように涼しい1週間があり、「数年後になるのでは」と思っていた遠くの公園へ行けて感動。犬も公園を気に入ったもよう。

 

そのときのことを書いた記事がこちら。

hei-bon.hatenablog.com

 

・7月~8月

地獄の夏。
朝は5時に起きて太陽に追い立てられるように散歩。夜はアスファルトの熱を確認して19時以降から散歩開始。散歩の時間がギチギチに縛られるのも厳しかった。なんだろう、犬を外に絶対に連れていけない時間がある不安感……。

冷え冷えポンチョには保冷剤を入れるポケットがあり、保冷剤もマストとなる。冷え冷えポンチョの用意、人と犬の虫よけも必要で、お散歩準備がけっこうたいへん。散歩前後のさまざまな始末を酷暑の中でやるのもしんどい。

そして、夏までに顔見知りになった犬たちにほとんど会えなくなった。みんなそれぞれに散歩時間をズラしているし、たまに顔を合わせても、お互い太陽と暑さに追い立てられているので余裕がない。犬友といえる人がいないわたしでも、そんな孤独感が地味につらかった。

 

朝の散歩は家族が揃うため、ルンルンでわりと距離長めに歩くし、メンタル面ではそれほど問題がない。ただ、夜の散歩は途中で怖がることもあって不安定。暗い中での散歩が怖いのか? とも考えたが、夏は日が落ちてアスファルトが冷めてからでないととても散歩には行けないのでしかたがない。

そして、なんとなく犬を見ていると、暑さもメンタルに影響を与えるようだ。人間だって暑くてカリカリしたりぐったりしたりするもの、そうだよね、と思う。

 

・9月


す、涼しい! 残暑厳しいとはいえ、9月入ったら朝晩は涼しい。他の飼い主さんたちも余裕が違う。挨拶明るく、軽く世間話だってしちゃう……。

「そういえば、犬ちゃんは人間とアイコンタクトあんまりしないね」ということで、家で名前を呼び、目が合うと褒めたおすことをはじめたのはこのころだと思う。

散歩中もオヤツを使って外でのコマンド練習(外でもお座りはかなりできていはいたが)、アイコンタクトの練習をはじめる。


アイコンタクトができれば、パニックの原因になりそうなものがあれば、先んじて名前を呼ぶことで人間に注意をひきつけ、パニックを回避することができるらしい……道は遠そうだが気長にやっていくことに。

 

・10月

夏を乗り越え、夕方散歩は相変わらずいろんなものが怖くなるものの、そこそこ上手くいっていると思っていた。


が、休日の夕方の散歩、わたしが道路脇の段差に足を取られる→複数の家族連れが連続で歩いてくる→小型犬に攻撃的に吠えられるの三連コンボで犬がパニックになり、めちゃくちゃに走る。

家に帰って見てみると、脚にすこし血がにじんでいた。どこでどうなったのかわからないが、走っているうちにすりむいたのだと思う。動揺し、動物病院に電話して指示をあおぐ。アドバイスをもとに傷口を水で流し、様子見。幸い、そのまま傷はよくなっていった。

以後は「怖くなったらそのつど立ち止まって落ち着かせる」「パニックの連鎖を起こさせない」を徹底する。また、散歩時間を遅めにしてできるだけ刺激を避けるようにした。

一時期は順調だったのだが、その後、なぜかどうしても行きたがらない道が出てきて、近所の公園より先に行けなくなったこともあった。が、夜、無人の公園ではとても楽しそうに遊ぶようになったので、あまり気にしないことにした。「もう少し先の道にも行きたいな~」と誘いつつ、無理せず、とにかく楽しく安全な散歩を心掛ける。

 

・11月
いつの間にか、ふたたび公園の先の道に行けるようになった。

朝の散歩をうんと遅めにすれば、あったかいし、みんな出勤や登校した後なので通行人も少なくていいのでは……と試してみたこともある。実際には車が多く、また、どこかの学生が集団で歩いてきたので犬はコワコワになってしまい、抱っこするはめに……。犬の存在が感じられる抱っこはいとおしいが、いかんせん12キロあるので重い

 

・12月

散歩中、ちいさなことに動揺しなくなった。動揺しても、持ち直しが早い! 
あんなに嫌いだった自転車がたてる「ガタン!」という音もほぼ気にしないし、公園で子どもが遊んでいても、離れた場所なら気にせず歩けるようになった。リードの引きも少ない。

散歩中、余裕があるときはチラッと人間を見ることもあるし、名前を呼ぶと見てくれることもぼちぼち出てきた。散歩の帰り道には、「楽しかったね!」と飛びついてくることも増えた。

 

そして12月15日、横断歩道を渡っているとき、車が右折してきて犬がちょっと怖がったものの、夫が名前を呼んだら夫を見て……ちょっとうれしそうに跳ねて……持ち直した気が、する!!! 感動。

 

半年のその他の変化まとめ


・トライアル最初の5日ぐらい
今に至るまで定位置となったソファで、じっとして、何事かを考えていた。人がいるほうがストレスになるようだったので、適度にそっとする。散歩と食事以外、ソファから動かない。こんなに動かなくて大丈夫かと思うぐらい動かない。水はもっと飲んだ方がいいのでは……ということで、ときどき人間がソファの上にいる犬の口元に持っていってすすめて飲ませるお姫様状態。かわいい。


・トライアル最初の2週間ぐらい
人がくっつくと落ち着くようになってきた。基本的にソファの上以外は怖いようだったけれど、このころ、はじめてキッチンに来た! 夫婦ふたりでいるところに勇気を出してきてくれたもよう。

勇気を出して、キッチンにきてくれたときの写真(何回目かのとき)。夫の足にくっついている。かわいい~

 

夫が掃除しているとつき歩くなど、「ああ、なついてくれているなあ」という雰囲気が出てくる。かわいい。

トライアル期間中は家に慣れてもらえるように、犬が怖がることは全力排除。そのため、掃除は掃除機を使わず、すべてクイックルワイパーとコロコロでしていた。しかも犬は換毛期で毛が抜けまくる時期だった。ど根性!

おもちゃを買ってくるがまったくのらない。さまざまな方法で遊びに誘うも撃沈。

 

・正式譲渡

だいぶ慣れてくれた感じがある。ときどき、家の中で人間と軽く追いかけっこをする通称「トコトコドッグ遊び」ができるようになる。

 

が、正式譲渡直後に大きく体調を崩す。下痢と嘔吐が続き、あきらかに元気がなくなっていく。預かりボランティアさんに報告しつつ、連日の動物病院通い。服薬だけではなんともならず、点滴してもらい、3、4日ほどで回復。犬の体調不良のサインをキャッチする難しさを実感した。

 

また、ほぼ吠えたことのなかった犬が、この頃から共用廊下の気配に吠えるように。「犬のおうち!」というテリトリー意識が芽生えたのかもしれないが、ここは共同住宅だ。あの手この手で吠えさせないよう試行錯誤。

 

・夏前

散歩中、問題がない場所でロングリードにつけかえ、走り回って遊ぶことも。興奮すると斜面のある場所でも走り回り、中年の膝が試される……。

Amazonで1000円で5個ぐらいおもちゃが入ったセットを買ったところ、ロープ系のおもちゃを噛み噛みして破壊するのが好きだとわかる。

 

・いま
前述した散歩の変化と同時期に、外の気配にそれほど吠えなくなった。

 

その他エトセトラ


・犬はまっすぐ見つめてくる動物で、それがやばい。人と犬は目があうと双方に愛情ホルモンのオキシトシンが出るらしい。今もソファからこの文章を打っているわたしを見てくる。目が合う。やばい。

 

・犬は意外にムードを大切にする動物だと思った。遊ぶときは本気で誘わないとのってこないし。散歩前は、「犬ちゃんと散歩に行けてたのしいー!」という雰囲気を常に出すようにしている。まあ、「こんなかわいい犬と散歩に行けるのー!?」と毎回言っているのは本音だ。

 

・犬の犬くささは欠点ではなく、いとしさをパッケージングして愛着と強烈に結びつくアドバンテージ。出張に出たら、「犬に会いたい!」「犬のにおいをかぎたい!」と猛烈に思ってびっくりした。人間にもそんなこと思ったことないのに。

 

・犬は脱げない毛皮を着ているので、夏は大変……なのだが、異常気象のせいかなんなのか、冬を迎えた今、そんなにあたたかそうではない。要するに犬の毛皮は細かな調整ができないので、快適に過ごさせようと思ったら、春夏秋冬、気温には気を配る必要がある。うちの犬は一般的な、いわゆる「ダブルコート」なのだが、けっこう寒そう。なので散歩中はジャケットが欠かせない。「犬に服は必要ない」「夏は冷え冷え服とかいるらしいけど、冬はシングルコートの子以外は服はいらないでしょ~」と思っていた昔のわたしよ、グッバイ。それにしても犬の毛よ、仕事してくれ……。

 

・犬はミミズが大好き。いろんな意味で大好き……。

 

・犬はなんとなくさまざまなスーパーパワーを持っていると思っていたのだが、人間の膝に乗せたノートPCの角に頭をぶつけたり、夜の公園で男性が通るとなんとなく夫だと思っているのかな~というそぶりを見せたり、夫の帰宅時に警戒吠えすることもあり(足音で判断できるのでは……)、スーパーパワー……? と疑問符がついた。

 

・犬を迎えてから、「大人の保護犬はもらわれにくいっていうよね」と何回か言われたが、譲渡される側の感触としては、とんでもない。賃貸で飼えるサイズの中型雑種犬で、抱えている問題がそれほど深刻でない犬は、シニア入り口でも大人気だ。以前、お見合いした犬は8歳の雑種だったが、里親募集開始直後にうちを含めた複数家族から申し込みがあり、速攻で決まっていた(うちは選ばれなかった)

 

・テレビに動物が映るとときどき吠えることがある。鳴き声が入っていない映像でも吠えることがあるのには驚いた。なかでもクマには反応が激しく、警戒吠えというより戦闘吠えのような趣を出すちなみにパンダにも同じ吠え方をしたので、ちゃんとクマだとわかっているのだな……と感心した。ともあれ、ご近所迷惑になるので注意している。

あと、特撮に出てきたオオカミタイプの怪人にも吠えていた。かぶりものして二足歩行してるのに!?

 

で、保護犬どうですか?

保護犬といってもいろいろな子がいるので一概にはいえないが、大変なのはたぶん、ペットショップやブリーダーから迎えても同じなのではないだろうか。大変さのベクトルが違うだけで……と思う。子犬なら社会化や基本のしつけもゼロからになるし(※保護犬にも子犬はいます)。

ふつうに散歩しているように見える犬たちの「ふつう」にはそれぞれの家族の努力があって、それは犬がどこ出身かはあまり関係ないのではないか。

野犬として生きてきた子や、うちの犬の比ではない怖がりの子、とても繊細な子もいるのでほんとうになんともいえないのだが、募集記事に「はじめての人でも迎えやすい」と書かれているような子であれば。

ただし、うちはこの子がはじめて迎える犬なので、何もかもこの子がふつうになってしまっている部分も大きい。

 

そんなわけで、犬との暮らしは楽しい。犬はパワフルだ。迎えてすぐに生活を散歩中心に変え、心のど真ん中に位置を占め、わたしたちを家族というより群れにしてしまう。

もう犬がいなかったころどう暮らしていたか、思い出せない。

 

そして、もしも保護犬もいいなと思っている人がいたら、ぜひ譲渡会やシェルターをのぞいてみてほしいなと思っている。

文学フリマ東京で出す予定の小説同人誌原稿がほんとううううに書けなかった話

※本記事は

小説を書く人のエッセイ Advent Calendar 2025 - Adventarの12月11日分の記事になります。

***

 

書けない。ほんとうに、書けない。


2025年11月23日開催の文学フリマ東京に向け、小説の同人誌を作り始めたときの感触はこれ以外になかった。

結果から申し上げると、小説の同人誌は出すことはできた。
収録作品は思ったより少なくなってわずか2篇。とはいえ、2篇とも書きたいことを書けて気に入っている。

ただ、原稿を組版ご担当者に送ったのが11月8日。ずいぶんギリギリ進行になり、大変ご迷惑をおかけした。

なぜ、どうしてこうなり、どうやって書き上げることができたのか。それを、本記事には記そうと思う。

 

 

●最初は小説同人誌を出す予定じゃなかった

2025年秋の文学フリマ東京出店にあたり、当初予定していた同人誌はエッセイ本だった。

2025年5月に犬を迎え、犬との生活は驚きの連続だったので、それについて書き、まとめる予定でいた。

しかし、犬との生活は四季とともにあり、季節によりさまざまなことが変わっていく。

また、成犬の保護犬であったうちの犬とわたしたちの関係にも変化がある。

暑すぎる夏を越えたころ、「犬のことは、最低一年ともに暮らしてみないと同人誌という形にまとめることはできない」と、秋の文学フリマ合わせでエッセイ集を出すことは断念した。

 

ブログにはたびたび犬との暮らしについての驚きを書きつけているし、「このときの体験」として一冊にまとめるのはありなのかもしれないとも考えた。

が、印刷所に頼む同人誌はわたしにとって「パッケージング」の意味合いが強いので、暮らして半年ではそれにはいかにも不十分だと感じた。

きれいなクッキー缶を用意して、クッキーが3枚だけ入っているものを売るわけにいかない、みたいな……。

そのかわりに「短編小説集を出す」と決め、その旨の告知も打った。2025年8月下旬だったと思う。

短編集のネタはどうする? わたしが常駐しているSNS、Misskeyの企画で書いた掌編の中に、いくつかのインターネットでの交流話があるので、それに書き下ろしを加えて、インターネットネタで1冊作ろう。書き下ろしは、企画で書ききれなかったネタが一本あるので、それを表題作にしよう。

お題で書くのは比較的得意だし、表題作予定のものには書きかけの原稿もある。再録は加筆するとしても、比較的スムーズに進むだろう、と思っていた。当初は。

 

9月、10月は例年仕事が立て込むのだが、その合間を縫って表題作に何度か手を付けようとした。書き出しからまったく進まない……どころか、めっちゃ書くのが怖い!

振り返ってみると、わたしは3月から同人誌に着手した9月までの半年ほど、まったく小説を書いていなかったのだった。その理由は2つある。

 

ひとつは前述したとおり、犬を飼い始めたこと。もうひとつはそれより以前、春、小説について他者からある指摘をされたことだ。

 

●犬を飼うと小説が書けない? Why?

小見出しはキャッチーにしたけれど、正しくは、「犬との生活に慣れるまでは、小説は進めづらい」だ。

まずひとつに、生活リズムがなかなかつかめなかったこと。犬と暮らすと1日2回の散歩がある。また、犬のお世話の時間も必要で、抜け毛対策で掃除機の頻度が上がるなど、家事も増える。もちろん仕事は従来どおり。やることが純粋に増える。

加えて、散歩の時間帯は季節や犬の状態によっても変動する。たとえば我が家は春には朝7時と夕方17時ごろに散歩していたが、ようやくそれに慣れたころ、夏を迎えて熱中症対策として、朝は5時、夜は19時か20時以降となった。朝の散歩が早くなっても、我が家は夫の終業が遅く、どうしても早い時間に寝ることができない。

うちが迎えた犬は成犬なので子犬ほど目が離せないことはないし、留守番もできる。それでも、やることが増えたうえ、季節に合わせて変動する生活リズムについていくのがやっとだった。

わたしの場合、小説を書くにはある程度まとまった時間、ある程度落ち着いた時間を用意し、構想を練り、書き上げることが必要で、やることすべてが細切れになった暮らしに慣れないうちは、なかなか着手が難しかった。

加えて、犬はなんというか存在感がすごい。うちの犬は「人間がほうっておくと、いちおうは大人しくしている」「でも、かまわってくれるならうれしい! いつでもOKよ」というタイプ。なので、「かまって!」と常時言ってくるわけではないのだが、黙って同室にいるだけで、ひとがひとりいるような存在感がある。

わたしは本業ではフリーライターをしており、長年の在宅ワークにより、「書くときは、ひとりになりたい」という人間になってしまった。調べものや原稿の組み立ては人がいてもできるが、最後に書き上げるときはできればひとりになりたい。そして、プライベートで小説を書くときはもっとその傾向が顕著になり、「できれば」ではなくて、少なくとも部屋にひとりでいるときじゃないと書き上げられない。今書いているようなエッセイは、人がいても割合書けるが、仕上げは15分でいいからひとりの時間がほしいところ……。

実家には猫がいるが、室内にいるのが猫なら、たいていのものは書けた。しかし、犬はわたしにとって、「同室に人がいる」感覚がある。

とはいえ、他の部屋に連日長時間こもって犬を常時「在宅お留守番状態」にするのは嫌だし、仕事中でも執筆中でも、犬がそばにいるのがうれしい気持ちはもちろんある。アンビバレンツ。

なんだか文句のようなことを書いてしまったが、犬はパワフルで、迎えた瞬間から人の心と生活のど真ん中に位置を占める。というか、「犬が家族になった」というより、わたしたちと犬とでひとつの「群れ」になった感覚がある。

「犬がいると書けない? なんとかするしかないよねー。群れでいるんだし。それにしても、犬、超かわいい!」と思わせてくれるものがある。ただ、執筆開始時点では、まだまだその「なんとかする」方法が見つかっていなかった。

 

●見透かされた経験が足をすくませる

犬より大きかったのはこっちだと思う。

わたしは小説の講評会のようなものに参加しており、春先にある作品を提出した。

『記念碑』という作品で、概要としては、片足が義足の青年が、母国にオリンピックの遺構を見学に来る。それを案内するのは初老のタクシー運転手で……という内容で、背景には1984年のサラエボオリンピックと、その後に起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争がある。

3000字の作品でネットにもあげているので、よろしければ。
https://misskey.io/notes/9wi74pjslk8a04fi

 

講評会は参加者おのおのが読んだ感想を言い、最後に講師がまとめるという内容だ。

『記念碑』については、参加者のひとりから、こんな感想をもらった。
「これが作品の良さなのかもしれないけど……。これ、タクシー運転手の語りなのが、なんだか逃げじゃないかって感じがしたんですよ。真正面から書くことを避けているっていうか」

図星だった。

講師からは、「丸毛さんは、内戦で片足を失った人の内面を書けますか」と問いかけられた。ことばに詰まったわたしに、講師は「わたしは丸毛さんには書けないと思う。それでも書きたいと思うなら、『わたしには書けない』からはじめないといけないと思いますよ」と言った。

まっとうだと思った。被害者も加害者もいる、リアルな出来事をモデルに何かを書く場合の心構えとして。

 

この作品を書いた理由はいくつかある。

着想のきかっけは、「オリンピックといえば、会場の建築から跡地利用まで(たいてい今は廃墟になっているというストーリーが好まれる)、何かと建築物が話題になる」こと。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を選んだのは、「隣人が隣人を殺すという状態はどこの国でも起こりえることであり、自分にもいつか起きても不思議ではなく、怖い」「なので、そういう史実を人の記憶にとどめたい」という願望が下敷きにある。
しかし、調べながらを『記念碑』を書き始めたとき、「こういった経験をした人のことを、わたしは書けるのだろうか/書いてもいいのだろうか」「3000字を前提とした即興お題小説として扱っても良いものだろうか」と悩んだ。

それでもエゴで書いた。正面から書くとあまりにも重くて書ききれず、全編をタクシーの運転手の語りにすることで、やっと書きとおすことができた。

だから、ぜんぶ図星だった。見透かされた、見抜かれた、と思った。小説こええ。嘘は書けても嘘はつけない。

わたしに必要なのは、まず身近な、書ける内容からしっかり書く訓練をすること。そのうえで、「書けないけど、書きたい」と思うテーマについては、じっくりと調べ、取り組み、「書けない」に向き合うことだと思う。

と、頭ではわかっていたけれど、「小説、嘘つけねえ、こええ」に心が打ち負かされてしまった。この「見透かされる」恐怖は創作の根底にあるもので、きっと多くの人がそれを抱え、乗り越えて創作活動をしている。なので、とくに特別なことではなく、わたしはわたしで向き合い、乗り越えなければならない。

そして、その「見透かされた、小説こええ」に足がすくんだままで、犬のお迎え準備がはじまり、犬を迎えて生活が劇的に変わっていった。

 

●そんなこんなでも、書かねばならない

そんなこんなの当時の現状がありつつも、「文学フリマで短編集を出します!」と宣言し、表紙も組版も人にお願いした。

何より、ここで小説を書かなければやばいぞ、と本能がささやく。ここで無理を通してでも書き上げないと、たぶん、事態はもっと悪化する。

なんとかせねばならない。

 

●しかし、書き上がらない


最優先事項は、表題作となる書きおろしを書き上げること。9月頭に表紙をお願いしたとき、書き下ろし予定の表題作『天国なんてどこにもなくても』のイメージでお願いしている。また、書きおろしはどうしても書き上げたいネタでもあった。


そこで書き出しから序盤を何度も書いたのだが、何かがしっくりこない。おもしろくなる予感がしない。

 

●迫る締め切りと希望の光


あまりにも進まないので、10月後半に入ってからはひたすらイメージボードのようなものを自由に書いたり、登場人物の設定を書き出したりしていた。

当時描いていた、絵コンテのようなもの


そのなかで希望の光となったのが、装画をお願いした有理まことさんが9月中旬ぐらいにあげてくださった、表紙に描く登場人物(薪さん)の造形候補。

当初のイメージとは違ったものの、だからこそ「あ、薪さんってこんな感じなんだ」と思える造形があった。

その後も有理さんがどんどんとあげてくださる表紙のラフを見ながら悪戦苦闘しているうち、書き上げられないまでも、登場人物の言動が地に足ついた形で浮かぶようになった。本当にありがたかった。

 

また、とにかく思いついたことを書き出し、序盤から中盤の展開について絵コンテのようなものを書いたことで、問題点が


・会話劇で動きが少ない

・序盤の時系列がごちゃごちゃしている
・序盤の展開にスムーズではないところがある

と洗い出されていった。

 

それでも、書き通すところまでいかなかった。

 

●一作を書き上げる熱を体験し、思い出す

そうこうするうち、もう1作、書き下ろしたいネタが出てきた。


インターネットで大好きな文章を書く人が、実は亡くなっていた……という実体験についていろいろと割り切れない想いがあり、それを作品にしたいと思った。

 

勢いで書き始めてみたところ、冒頭部分があまりにも現実に近かったので代わりのアイデアを考えるなど紆余曲折があったものの、


・主人公を自分と近い年齢感に設定する

・実際の出来事とは時代をずらし、テキストサイトからはじまる実体験に基づくインターネットの歴史を追うような内容にする

と、ようするに「内容を自分に引き付ける」工夫をしたところ比較的スムーズに進みそうな気配を見せた。


あるとき、主人公に影響を与えるテキストサイトの名前「鳩の一撃」を思いついたことで最後のピースがハマり、ついにわたしは7、8か月ぶりに小説を書き上げることができた。これが収録作『鳩の一撃』で、そのときにはすでに11月に入っていた。


この作品を書き上げたことで、「とにかく最後まで書き上げる」「そのなかで、意外なアイデアが生まれて助けられる」という体験を久々にし、その手触りのようなものを思い出したのだった。

 

●そして表題作へ……


11月上旬に仕事をなんとかやりくりし、同人誌だけに集中する数日間を作ったのだが、それでも表題作が書き上がらない。


が、『鳩の一撃』にならい、『天国なんてどこにもなくても』でも、主人公の年齢を引き上げたところ、形になりそうな気配は出てきた。

当初は主人公は30代半ば、その友人である薪さんは20代後半だったが、主人公の年代を40代半ばと、自分に近い設定に変えた。すると、主人公像がつかみやすく、彼女の体験を書きやすくなったのだ。


これは、講評会で決意しつつ果たせなかった「まずは身近なことを正確に書く」の実践でもあり、すくんでいた足がやっと前に出た感覚があった。

そうして『天国なんてどこにもなくても』を書き上げ、『鳩の一撃』とあわせて組版ご担当の魚野れんさんにお送りできたのが8日だった。

当初は既存作のリライトも収録予定だったが、書き下ろしだけでタイムアップ。ずいぶん薄くなってしまったが、なんとか同人誌はできあがったのだった。

 

●まとめ

かなり綱渡りで、ほうぼうにご迷惑をおかけし、予定よりちいさなものとなったが、なんとか文学フリマ東京41に短編集同人誌を出すことができた。

 

装画・装丁ご担当の有理まことさんには、作画作業の最後まで完成版の小説をお送りすることができず、組版ご担当の魚野れんには再三リスケをお願いし、大変ご迷惑をおかけした。この場を借りてお詫びとお礼を申し上げます。

 

実は、印刷所に頼んで作る同人誌として小説本を作ったのは、今回がはじめて。

過去に印刷所にお願いしたのはエッセイ本ばかりで、小説は過去に再録中心のコピー本を出したのみ。

スランプ・ブランクありの状態を抜きにしても、小説書き下ろしはまだまだスケジュールを見通すのがわたしには難しい……と感じた。

それでも、以下のような学びがあった。

 

・書きあぐねたときは、可能なら登場人物を自分に近い年齢感にするなど、自分に引き付けてみる

 

・書けないときは、書けることをとにかく書き出してみる。その瞬間に本編が進まなくても、書き出した設定から新たな構想が膨らむこともあるし、筆が進んだときにそうした設定や構想が作品を支えてくれる

 

こうした体験の細部は、きっと2026年を迎えるころには忘れてしまう。なので、いま、ここに書きつけておく。

 

ここで紹介した短編集『天国なんてどこにもなくても』は、現在、在庫僅少になっておりますが、通販でお求めいただけます。

エッセイ集『丸毛鈴の結婚と生活 ten years…』も通販サイトに出しておりますので、よろしければぜひ。

サークル「丸毛鈴の結婚と生活」通販サイト

 

【告知】11月23日文学フリマ東京41に出店します

冷え込む日々が続いておりますが、皆さまお元気でしょうか。

11月といえば文学フリマ東京! というわけで、今年も出店いたします。

 

ブース番号:そ-27「丸毛鈴の結婚と生活」

イベント詳細:

11/23(日) 12:00〜開催
🏢東京ビッグサイト
https://bunfree.net/event/tokyo41/

※入場料1000円がかかります

 

新刊は短編小説集『天国なんてどこにもなくても』

文庫版/68ページ/500円

インターネットで生まれ、形を変え続ける、弱くて強い「つながり」の形を描く短編2本を収録。

丸毛鈴の短編集『天国なんてどこにもなくても』書影。描かれているのは、表題作の「薪さん」です

『鳩の一撃』

「鳩の一撃」というホームページの文章に惹きつけられた主人公が、その背中を追い続けた四半世紀を描く。テキストサイト時代からブログ、短文投稿型SNSまでを駆け抜ける物語。

短編集『天国なんてどこにもなくても』収録作、『鳩の一撃』冒頭部分です

 

表題作『天国なんてどこにもなくても』

Twitterで出会い、同人誌即売会で交流を深めてきた“字書き”の主人公と“絵師”の薪さん。しかし、やがて……。SNSの栄枯盛衰とともに移ろうつながりの形を描く物語。

短編集『天国なんてどこにもなくても』表題作の冒頭です。Xにはあともう1見開きプラスして公開しているので、ご興味あればそちらも

 

わたし自身、インターネットを使い始めて四半世紀、そこにあった喜びや悲しみ、出会いや惜別を詰め込んだ2篇です。ご興味ありましたらぜひ!

 

装画とデザインは有理まことさんにお願いしました。

有理さんの絵は、思春期に鶴田謙二先生や大友克洋先生に脳を焼かれた人間には絶対刺さる……と勝手に思っている、というかわたしには刺さっていて、大好きな作家さん。「SNSでエモ……これは有理さんに!」と思っていたので、お願いできて本当にうれしかったです! 

ご本人は絵も小説も漫画も手掛けられていて、同じ文学フリマにも出店されます。小説もとてもすてきなので、ぜひ!

有理 まこと | YURI makoto

 

組版は、今回も魚野れんさんにお願いしました。SNSの名前が実名でバンバン出てくる本作。アルファベットが入ると縦書きの組版って崩れやすいと思うのですが、たいへんきれいに調整いただきました。

魚野れんさんの組版コミッション、おすすめです。

https://skima.jp/profile/commissions?id=286686

 

ほか、準新刊として、5月の大磯ブックマルシェで出した

『丸毛鈴の結婚と生活 ten years…』を持っていきます。

 

エッセイ集『丸毛鈴の結婚と生活 ten years…』の書影です

 

夫との生活は、古くて懐かしくて新しい――。 結婚にまつわる文章を時系列順に並べたエッセイ集。結婚10周年本です。

「時系列順に並べ、結婚生活を俯瞰する」という制作意図から、以前出した『丸毛鈴の結婚と生活』からの再録1本、かなり加筆したリミックス的なものが1本も含みます。

テイストとしては、こちらのブログで書いている「結婚」カテゴリにあるような文章です。一部、ブログからも収録しています。

『丸毛鈴の結婚と生活 ten years…』もくじです

 

『丸毛鈴の結婚と生活 ten years…』見本です

 

こちらは東京のイベントでははじめて販売します。今までは大磯ブックマルシェで販売したほか、神奈川県・真鶴の道草書店さんでお取り扱いいただいているので、「準新刊」という言い方をしています。

 

こちらの装画・題字は冬野アヤネさん!  

- 採集

『丸毛鈴の結婚と生活』に続き、すてきな装画を描いていただきました。今回は結婚本ということで、紋付袴と色打掛です。

 

ほか、既刊の『丸毛鈴の結婚と生活』『絵がド下手くそな文字書きが半年お絵描きして感じたこと』も持参予定!

 

詳細はWebカタログで!→

気になったら「気になる」をポチッとしてください。

https://c.bunfree.net/e/gbB 

 

それでは東京ビッグサイトでお会いしましょう~!

文学フリマ、たくさんおもしろい本が集いますよ~!

 

今年は同人誌即売会にいろいろ出てみたので、年末はそのまとめ記事も書きたいですね。

 

来週からは気温もぐっと下がるようです。皆さまお風邪など召されぬよう、ご自愛くださいませ!

ジェスドロを続けていたら、目と手が変わってきたという話

今週のお題「これを練習しています」

 

***

 

「目」と「手」が変わってきたな、と思う。

 

2024年3月に絵を描きはじめてから、1年半が経った。

この1年ほどは人間の絵を描いていて、夫のスケッチや、モデルのさまざまなポーズから受ける印象を素早く描くジェスチャードローイング(ジェスドロ)を断続的に続けている。

 

突如として絵を描き始めたきっかけはこちらに

hei-bon.hatenablog.com

 

スケッチやジェスドロなど、リアルを引き写すことで学ぶことは多い。ただし、そのひとつひとつは絵をずっと描いてきた人、あるいは絵を描いたことがなくてもすこし勘がいい人なら、とっくにわかっていることなのだと思う。

 

たとえば、夫のスケッチを続けていた時期。気まぐれにキャラクターのイラストを描いてみて、髪を描きやすくなっていることに気がついた。

 

イラストテイストが強めの架空のキャラクターの多くは、たとえば前髪が盛り上がっているなど、現実離れしたシルエットをもつ。スケッチをはじめる前のわたしは、そんな髪型を漫然とただのシルエットとして描いていた。が、スケッチを続けるうち、いつのまにか「髪がどこから生えているか」「流れはどうか」を考えるようになっていたのだ。

 

頭頂部にぴょこんと一本、いわゆる「アホ毛」が立っていようが、ものすごいボリュームのツインテールであろうが、どこからか髪が生えているし、髪には流れがあって、風があればその方向になびいたり広がったりもし、その広がりやなびきにも根元、つまり生え際がある。たいていのキャラクターイラストでは、髪の流れが細かく描かれていなくても、あるいは描き手は当たり前すぎて深く意識していなくても、そういったことが自然と織り込まれている。

 

わたしは「現実の人間でもキャラクターでも、髪はどこからか生えている」ことに、「気がついていない」ことにすら、気がついていなかった。だから、「キャラクターイラストって髪も描きにくいなあ、難しいなあ」とただただ思っていた。

 

2024年8月21日「バニーの日」に合わせて描いたもの。夫のスケッチをはじめて1週間ほどのイラストで、髪の流れはまだ意識していなかったと思う

 

そんなわたしでも、目の前の人間を描こうと思ったら、「どこから髪が生えているか」「流れがどうなっているか」を自然と観察し、描くようになる。その学びがキャラクターイラストにも反映された、というわけだ。

 

2024年9月に描いたもの。夫のスケッチをはじめて2週間ほどの頃に描いた、キャラクターイラスト。頭や髪が描きやすくなって驚いたことを覚えている

 

ほかにも夫のスケッチで得た「当たり前の気づき」は多い。親指の意外な可動域の広さ。手を描くのが難しい理由はたくさんあるけれど、そのひとつがこのさまざまな方向に・立体的に動く親指だ。

 

リアルな人間を描くと、髪の流れや親指の動きなどを意識せざるを得ない。2025年3月の夫のスケッチをデジタルで取り込んで着彩したもの。髪などだいぶ描き慣れてきている

 

紙やスマホなど、薄いものを立体的に奥行をもって描くことの難しさ。

 

これはスケッチというより、ジェスドロをやるなかで気がついたことだが、足を描くべらぼうな難しさ。足は台形が立体になった四角錐台に近い形をしていて、その底にあたる足の裏と、その先で動く指を上手くとらえないと「足」にならないからだ。

 

あまりに難しいので、ある日、足の骨格を描いてみて、驚愕した。

「踵に、骨、あるやん!」

当たり前である。当たり前のことが、ふだんの生活の中でも、絵を描く最中にもぶっ飛んでいた。それに、踵の骨があんなにしっかりしているとは思わなかったのだ。

足を描くときに踵の骨を意識したところ、多少はとらえやすくなった。

 

こうしてあげてみると、絵を描き続けて気がついたのは、難しさばかり。そして、その難しさやつまづきの理由に気がついたからといって、上手く描けるようになったわけではない。「わけのわからないものを必死で描いている」状態から、「上手く描けない」にステータスが微上昇しただけだ。

 

えっ、上手く描けるわけじゃないんですか? そんな微上昇でよく続けられますね? と思われるかもしれない。というか昔のわたしなら、間違えなくそう思っていた。

 

しかし、そんななかでも明確な根拠と確信をもって、「変わってきたなあ」「わたしは前進している」と断言できる変化があるから楽しいのだ。

 

それは、ジェスドロをしていて、時間が余らなくなってきたこと。

 

これは誰に言っても「?」という顔をされるし、わたしも意味がわからないのだが、

かつてのわたしは、ジェスドロで時間を余らせていた。

ジェスドロはごく短時間でポーズの印象をとらえる練習で、わたしが参照にしている「じぇすどろパーティー」では、各ポーズを1分、2分、5分で描いていく。人間の全身をその時間内に描くのだから、「時間が余る」なんて、常識的にはありえない。しかし、そのありえないことが起こってしまうのが、超初心者というものなのだ。

1分はともかく、2分と5分はかなり手持ちぶさたの時間があったのだが、これが最近、やっと解消されてきた。

 

2024年8月21日のジェスドロ。ジェスドロをはじめて2日目のもの。いちばん左以外は2分のポーズで、盛大に時間が余ったような記憶がある。じぇすどろパーティ#12、踊り子ちょこさんの回

 

転機は、少しずつ骨格を考えながら描きはじめたことだ。あまりにも人体がわからないので、あらためて人体の骨格画像を見てみたところ、大腿骨はわたしが思っているより外側についているし、腕の可動範囲には鎖骨が大きな意味をもつなど、多くの発見があった。そして、さっきも書いたように、踵にはわりあいしっかりとした骨がある。

 

わたしが人体を見て「いいなあ」と思うのは、肘から前腕や、膝からふくらはぎにかけてのラインで、それらは肘や膝の骨をトップとしている。なので、そのあたりの骨を意識すると、からだのラインもがぜん描きやすくなる。

 

2025年9月3日のジェスドロ。じぇすどろパーティ#121より、平原由梨さんの回。いちばん左のドローイングはとくに、足のラインが描きたいことがよくわかる

 

気が向いたときに人体の骨格を資料をもとに模写したり、筋肉の付き方を資料を見て確認しているだけなので、学びは不十分だとは思う。が、意識するだけで、だいぶ描きやすさが変わってきたのだ。

 

一見、この描きやすさを生んでいるのは骨格や筋肉といった人体の知識そのもののように思えるが、それらの影響は間接的で、どどのつまりは「見る力の成長」なのだと思う。

 

骨や筋肉は、わたしにとってはいわばヒントのようなものだ。写し取ろうとしているポーズを観察するための手がかり。この曲線は何によって形作られていて、このポーズの緊張感、あるいは弛緩はどこから生まれているか。

以前はそういった手がかりなしに人体を見て、描いていた。というか、手がかかりがあるなんて思いもしなかった。だから、どこを見ればいいのかわからなかった。漫然とシルエットとしてのポーズを見て描くのだから、時間はいらない。線もどこにどう引いていいかわからない。適当にするつもりはなくても、結果的に適当になる。だから時間が余る。

一方で、「このポーズはどうなっているの?」を考えるヒントを持っていると、しっかり見るし、「よし、ここにこういったカーブを描くぞ」と線を引くのにも時間をかけるので、時間はむしろショートしはじめる。

 

絵を描く前のわたしは考えたこともなかったが、「見る」ことにも技術がいる。そして技術であるからには、鍛える必要がある。まったく絵を描いたことがなく、観察眼もそれほどない人間が、「絵を描くにはよく観察することなんだって! よし、観察しよう!」と思ってもまず上手くいかない。

 

お手本を見て、何かを描いてみる。上手く描けない。「お手本があるのに、なんで上手く描けないんだろう」と思って、もう一度その対象を描いてみる。「あれ、足ってこんな形してるんだ」と、ひとつ気がつく。そうして、自分の「見えていなさ」に気がついていく。「何が見えているか、いないか」は絵に如実に現れるので、絵という答案を見て、お手本を見て答え合わせをしていけば、すこしずつしっかりと見られる範囲が広がっていく。

……と、きっとジェスドロで時間が余らなくなったのは、こういう流れなのではないかと思う。

とはいえ、5分のポーズは今もときどき時間が余ってしまう。

 

2025年9月9日のジェスドロ、5分のポーズ。以前はこういったある意味で線がシンプルなポーズは、絶対に時間が余っていたが、このポーズでは時間を使い切った。決して上手く描けたわけではないが、成長を感じてとてもうれしかった。じぇすどろパーティ#127より、踊り子ちょこさんの回。

 

「ジェスドロで時間が余る」と話して今まで「わかる」と言われたことはないので、わたしほど見ていない人間はそうそういないのかもしれないが……。

 

そして、「見る」がすこしずつできるようになってきた結果、線を引くことも少しずつ怖くなくなってきた。

 

そう、線を引くのは怖い。絵を描く中ではじめて知ったことだ。

 

白紙に、線を引く。引いた結果、「こうじゃない」「ぜんぜん違う」となるかもしれない。線を引くまでは、可能性は無限大だ。理論上は、どんな線でも引ける。その可能性を、ひとつに絞る。それでも、線を引く。

 

できる限りの力でしっかりと見ていれば、「こんな形に線を引きたい」とイメージがわきやすいし、骨格に対する知識は、その線のイメージを補強してくれる。髪だってそうだ。漫然と見て、漫然と描いているときは、「えええ、どうやって描いたらいいんだろう」と戸惑うばかりだったが、「ここが生え際で、ここから髪が落ちている」と自分なりに理解することができれば、おのずとどこにどう線を引くのかが決まっていく。

 

人体を見て、「この膝からのカーブが好きだ、描きたい」と魅力を感じる部分が具体的にわかってきたことも、「よし、いい感じにカーブを描いてやるぞ」とモチベーションをあげてくれるし、それはすくみがちな背中を押してくれる。

 

線を引く抵抗が減ってきたのは、もちろん単なる慣れもある。回数をこなし、線を引いて、任意の形を描くことそのものに慣れたのだ。

 

2025年9月1日のジェスドロ。左は5分のポーズ、ほかは時間をかけてやり直したもの。真ん中の女性は奇跡の一枚といっていいほど上手く描けてとてもうれしかった。じぇすどろパーティ#120、ミラ・スワロウテイルさんの回

 

YouTubeのイラスト講座で有名なさとうなおき氏は、「人間がいちばんおもしろいと感じるのは、自分の成長」と言っていた(どの動画か失念してしまったので、出典が書けず申し訳ないです)。

これは自分の体験に照らし合わせてもそう思う。昨日より今日……というほどではなくても、半年前より今日、1週間前より今日、手と目を動かし続けて自分の知覚や、線を引くという運動機能が向上していくのは楽しい。それは、筋トレやマラソンの楽しさに通じるものがある。

絵は初心者のうちは、この「自分の成長」を細やかに、そして確実に楽しめる分野だと思う。

 

そういったことを総合して簡単にいうと、「わたしは絵を練習している」となる。でも、その内実は「絵を描く」、つまり「任意の形を線で描く」を通して、「見る」を鍛え、「線を引く」ことを練習しているのだと思う。

 

この「見る」力や「線を引く」能力を使って、いつかは何か、創作的な絵を描くのだろうか。それはわからない。いまはただ、日々、「見る」「線を引く」が変わっていくことが楽しい。それと、描きたいものややりたいことがちょっとずつ変わっていくのも楽しい。何しろ絵にはたくさんの種類があって、描く対象は無数にあり、その表現方法は限りなく自由なのだから。

 

そして、描く中であまた感じた「絵、思ってたんとぜんぜん違うー!」を、こうして文章で「書く」ことで発信していくのも楽しい。

これからも、こんなふうに「描いて」「書いて」いけたらなあ、と思う。

 

というわけで、今週のお題「最近練習していること」はジェスドロでした。

 

 

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