
2025年に読んだ本は88冊。
2022年からブクログで読書記録を付けている。過去4年間でもっとも冊数が読めた一年だった。インターネットでSNSや動画を見る時間を読書に回せば余裕で100冊読めたんじゃないかという気がする。
一方で、歳食って体力・気力が衰え、労働した日は帰宅するとすっかり疲れていて読書する気にならない、というか本を手に取るのすら億劫に感じるのも事実で、その疲れを癒すのに登録しているチャンネルの犬動画や旅動画が役立っていると思わないでもない。アラフィフがブルーワークを7.5時間やったあと家帰ってきて風呂入って飯食って硬めの人文書を読むのは困難だ。
ブルーワークでの疲れに加え、職場の対人関係に疲れている部分もある。仕事の疲れの少なくない部分が職場の対人関係から生じる疲労だろう。意識せずとも気を遣っている。もし一人きりで一日中仕事ができるなら今ほどは疲れずに済むんじゃないか。
人は働いていると本が読めなくなるのはだから道理なのだ。読書は精神と時間に余裕がある人間こそが存分に楽しめる営みである。
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今年よく読んだジャンルはホラー小説。朝宮運河『現代ホラー小説を知るための100冊』で紹介されている本を読める範囲で全部読むチャレンジ中。2026年中に終わらせたい。
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他にはドラッグおよび依存症に関する本、東日本大震災に関する本などを一時期集中的に読んだ。
海外の文芸はほとんど読まなかった。トールキンくらいだ。かつては海外の文芸(もちろん翻訳)を好んで読んだものだった。出版業界の誰かだったか、国内の海外文芸ファンは2000人と言っていた。自分はその一人だと思っていた。中学生の頃に読んだポーやヘッセやカポーティが自分の読書の原体験であり、その後もドストエフスキー、カフカ、ガルシア=マルケス、ウエルベックなんかを好んで読んだ。でも今は違う。書評などで興味を惹かれても優先度が後回しになってしまう。以前は洋画が好きだったのにここ何年かで邦画の方が好きになったのと同じように、読書も、海外文芸に求める異文化への興味や自分の過ごす日常とは別世界への憧れが薄れていっているのかもしれない。
2025年の読んだ本からとくに印象的だったものを読んだ順で以下に挙げる。今回は漫画も含める。
- トールキン『指輪物語』
- 川上未映子『黄色い家』
- 矢部嵩『未来図と蜘蛛の巣』
- 沙藤一樹『X雨』
- キメねこ『キメねこの薬図鑑』
- 東北学院大学震災の記録プロジェクト『呼び覚まされる霊性の震災学』
- 上條一輝『深淵のテレパス』
- 宇野常寛『ラーメンと瞑想』
- 名梁和泉『二階の王』
- 朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
- 施川ユウキ『鬱ごはん 6』
- 児島青『本なら売るほど 1』
- panpanya『つくもごみ』
- 華倫変『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』
トールキン『指輪物語』
現在あるファンタジーの原点的存在。10年積んでいたがようやく読んだ。指輪物語なくしてはダンジョンズ&ドラゴンズもウィザードリィもなかった。ドラクエもロードス島戦記もありえず、だからダンジョン飯も葬送のフリーレンも生まれなかっただろう。
この小説の特異さは、もっとも非力な人たちが最強の力を放棄しに行く旅である点にある。力を得るための旅ではない。そしてストーリーの核に慈悲がある。敵対者であれ殺さない情けが巡り巡って最後の危地でフロドを、世界を救う。
今だからこそ読んでよかったと思う。大国の権力者たちが自身の力を誇示することばかり考えているように見える今だからこそ。強大な力の誘惑に屈さず、それを放棄して平和な日常に帰還する──今の時代に、フロドの選択をできそうなリーダーがいるだろうか。あの国もこの国も、指輪の力に溺れそうな輩ばっかりじゃないの。トールキンは指輪は何の寓意でもないと断っているからこういう読み方は正しくないのかもしれないが。
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川上未映子『黄色い家』
舞台は90年代末から00年代初頭。身寄りのない少女たちが生活のため闇バイトに手を染める。大金を手に入れれば幸福になれると思ったのに、いざ手にすれば争いの種を増やす役にしか立たなかった。数千万円という紙幣の束を前に少女たちがものすごい剣幕でいがみ合う。かつては互いのよるべなさだけを絆に同じ店で働き、一つ屋根の下で暮らし、マクドナルドで何時間も駄弁ったり、カラオケで熱唱したり、おしゃれを教え合ったりした少女たちが、今は憎んでも余りある仇敵同士のように罵り合っているのを見るのはつらく、かなしい。
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矢部嵩『未来図と蜘蛛の巣』
みんな大好き(?)矢部嵩の新刊。中編「エンタ」の他はすべて短編。一行後には何が起きるかわからない不穏さが読んでいて緊張を強いる。
「エンタ」が凄すぎる。グランギニョル的なショウは華やかさに加え格闘の興奮と競走馬の血統的な物語を孕んでいる。各キャラにウマ娘の佇まいを連想しながら読んだ。虹を待つ雨の登場と脚注の伏線が熱かった。シーンが次々切り替わっていく展開は前衛映画のよう。
「今回はこれでいい。来世では違うことをしたい」
「来世でもあなたでいてよ」
崩れた話し言葉のような独特の文体やエキセントリックな展開に理解が及ばないものもいくつか。でも矢部嵩の小説の感動ってこの文体だからこそな部分がある。
沙藤一樹『X雨』
少年少女4人が能力に目覚めて戦う…的な話なんだけど、そうじゃない。 作者が能力者の一人である少年から聞いた話がこの小説、という体裁だが、途中で作者は彼の話を胡散臭く感じて疑い出し、聞き書きに創作を加えるようになる。しかし書いているうちに作者もおかしくなってしまい話が混迷していく。 小説が作者によって解体されていく。このメタフィクション的構成が面白い。
主人公の、自分よりカースト上位のクラスメイトに媚びるように付き合いながら内心では反発している心情が、自分の過去を思い出させてしんどかった。
キメねこ『キメねこの薬図鑑』
LSD、大麻、脱法ハーブ、マジックマッシュルーム、アヤワスカ、市販薬などさまざまなドラッグの体験記。ドラッグでどう身体や精神が変容するかをかなり具体的に言語化、ビジュアル化して伝えている。自分は煙草もアルコールもやらない人間だが、本書を読み、まったりした多幸感に浸れて感受性が増大するという大麻を体験してみたくなった。いやできないんだが。大麻のためにオランダへ行くほどの行動力もないし。
「図鑑」のタイトルどおり薬物に関する情報量がすごい一冊。かつて横田基地そばの雑貨屋で合法ハーブがお香として売られていたとか、映画『ミッドサマー』の幻覚描写はかなり実際に近いなど豆知識も得られて楽しい。
6月はドラッグや依存症に関する本をよく読んだ。
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東北学院大学震災の記録プロジェクト『呼び覚まされる霊性の震災学』
震災後の幽霊現象、慰霊碑、震災遺構、二つの墓、被災のコールドスポット、遺体の改葬、消防団の活動、原発避難地区での狩猟。どれも大きく報道されることはない、しかし被災地の住民の生活に関わる話題についての論考集。貴重なフィールドワーク。
すべて興味深かったが、とりわけコールドスポットの話が印象的だった。当時の自分も連日報道を見るにつれ情緒不安定になった過去があった。直接的には被災していなくても自分もある意味では被災したのだ、と当時の心理に説明がつくように思えた。
「あの時のつらい体験は、死んだ人の内訳や数ではない。被災した・しないも関係ない、みんなその人の中でのMAX(最大のもの)だったの」
2025年は震災遺構を見学に東北へ3回行った。今年も行こうと思う。
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上條一輝『深淵のテレパス』
実話怪談を聞いて以降、その人の周囲で異変が観測されるようになる。スプーン曲げやテレパシーといった昭和オカルトの懐かしさ。『リング』や『残穢』といった過去の名作への目配せ。舞台が戸山公園なのもいい。都内でも有数の心霊スポット。
主人公たちは怪奇現象の調査を趣味で行っている。怪奇の実在を否定せず、かといって認めてもいない。現象のデータを収集・分析して科学的に解明しようとする。
怪奇現象は基本的に「しょぼい」と主人公は自説を述べる。せいぜいかすかな物音を立てるとか嫌な感じを与えるくらい。それを過度に受け取って破滅するのは受信者側の問題であるとする。
怪奇現象については留保が付いているが超能力の実在は一応認められている。とはいえこちらもしょぼい。しょぼいがクライマックスで効果を発揮する。タイトルの伏線回収をするシーンが熱い。
宇野常寛『ラーメンと瞑想』
高田馬場周辺の美味しいお店の紹介と、哲学や文芸や社会問題に対する二人の人物の対話の記録。ラーメン=獣の世界、瞑想=神の世界。両者を往復することで「人間を超える存在に肉薄する」試み。
著者の対話相手T氏のキャラクターがいい。浮世離れした存在感。印象的な発言の数々。
「恐れと悲しみの中を生きる者」
「個体として強くなりつつある」
「偉大なラーメンを食べる前と後では別の存在になっています」
「人間は半分は霊的なものですから、精神が汚れると実体も変化してしまいます」
インターネットの外部で中年(男性)はいかに生きるべきかの模索も本書のテーマの一つ。ネットの世界で安易に承認を求めない、ネットの外の世界や事物に関心を持つ、制作を通じて世界と関わる。「三島由紀夫は四十五歳で死んだが、我々は生きなければならない」のだ。「中年男性を救済するのは恋愛でも家族でも国家でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接つながる技術』であると確信しています」
この本を読んでモチベが上がり、中年だけど食事制限と運動に取り組み「個体として強く」なる試みを継続中。
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宇野さんの共同体への否定的見解にはコミュニケーション弱者の一人として完全に同意。大衆動員装置としてのSNS、孤独のすすめ、制作活動の可能性などの話も面白い。
名梁和泉『二階の王』
自宅の二階に引きこもり、何年も家族の前に姿を見せない兄に悩む妹の話と、世界に破滅をもたらす「悪因」を探索する悪因研の話が交互に展開しながらやがて合流する。 引きこもりを抱える家族の葛藤と世界を救う戦いという、ミクロとマクロの物語が同時進行するのが面白い。
悪因研のメンバーは全員元引きこもり。悪因に憑かれた人間は化物の外見になり悪意を他者にぶちまけるが一般人には普通の人間としか見えない。悪因研メンバーだけがそれを認識できる。悪因が蔓延り、憑かれた人間を見るのが怖いから彼らは引きこもった。繊細で、感覚が鋭敏だからこそ彼らは社会生活が送れなかったのだ。引きこもりに対する作者の優しい視線が、引きこもり経験者として嬉しかった。
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朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
推し活と陰謀論と中年男性の孤独について。
自分と同じ中年男性である久保田のパートを身につまされながら楽しく読んだ。
「もう五十近い男がネガティブな感情を吐露したところで、相手を困らせるだけだ」
「今から新しいコミュニティに入ったとて 鬱陶しがられるだけだろう」
「今の時代、どんな話題でもおじさんに発言権はない」
「人生の〝本題〟なんて、すぐに終わる。育児も仕事も、手が離れてからが長いのだ」
「年齢を重ねれば重ねるほど、家族ですら運命共同体ではないことを実感させられる」
「雑談って多分、ケアなんですよ。内容がどうっていうよりも、相手とかその場自体をケアするものなんですよね。父親にはそういう精神がないっていうか、そういうのを身につける機会がなかったんだろうなって」
「中年期の男性は孤独に弱い傾向にあります。あと、これまでの人生における後悔。この二つを刺激する物語には、特に呑み込まれやすいんです」
久保田がカフェで若い男性アイドルと会話するシーンは、かつて読んだことのある、中年男性がなぜ孤独になるかについての本の内容と重なる。酒飲むんじゃなくて昼間カフェでおしゃべりできるような友だちはいるか、と尋ねられて、いると返答できる中年男性はどれほどいるだろう。ちなみに俺はいない。
ファンダムに対する企業のマーケティングやSNSのアルゴリズムを攻略してトレンドになる方法などの蘊蓄部分も楽しかった。
施川ユウキ『鬱ごはん 6』
1巻の頃は過剰に自虐的で不愉快だった。だが巻数を重ねるにつれ非正規雇用独身中年の日常が淡々と描かれるようになり好ましくなった。時事ネタが多いので同時代感が強くて楽しい。5巻はコロナ禍の日常の記録として貴重なものだと思う。
6巻の最後は最終回のような話。恋愛にも家族にも出世にも無縁の孤独な独身中年はどうやって自己を肯定して生きていけばいいのか。制作(創作)は一つの答えだ。宇野常寛『ラーメンと瞑想』と重なる。
児島青『本なら売るほど 1』
第1話「本を葬送る」を読んで魅了された。
生涯独身の高齢男性が亡くなり古本屋の主人公へ遺品整理の依頼が入る。傍目には何の変哲もない一戸建て。残された大量の蔵書は価値がわからない人間にとってはただのゴミ。だが価値がわかる人間にとっては宝物庫だった。雑然としていながら本は大切にグラシン紙で包装されて保管され、蔵書印が捺印されている。
「こんなふうに大事にされた本は幸せだよな」
「俺なんかが荒らしてごめんな」
大量の本──文芸、サブカル、ラノベ、漫画のほかプラモやレコードも遺されていた。その家の主人は学者でも研究者でもなく一介の元サラリーマンだった。彼は必要に迫られてではなく、ただ己の好奇心と愉しみを満たすためだけに紙の王国を築いて君臨していたのだ──孤独な王として。
蔵書一代、誰も読まなくなった本は誰かがいつか終わらせなければならない。
panpanya『つくもごみ』
amazonの書影がなぜか貼れない。
最近のpanpanya作品は社会性が増してきているように感じる。「行掛り」「動物の分際」「つくもごみ」といった作品は主人公と他者=世界との関わりが描かれる。とっくに廃業しているのに訪れた人間の善意によって営業し続けるガソリンスタンド、働くことで他者から認められ必要とされるようになる動物たち(「誰かに必要とされるのがこんなに嬉しいもんとはねっ」)、人が情をかけて接した結果命を吹き込まれるぬいぐるみ、など、どれも読んで温かい気持ちになる。「動物の分際」のラスト、「なんのなんの」に泣きそうになった。
「灰と薔薇のあいまに」、行けなかったので図録を購入した。

華倫変『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』
2025年に復刊した『カリクラ』で知った作者だが、復刊しなかったこちらの方が好み。表題作はホームページで自殺宣言する女性の話。ネットの書き込みの程度が当時のノリを思い出させる。今読んでも違和感ないのがすごい。100日後に死ぬって設定、既視感あるような…。
多重人格らしき少女の連作もいい。おそらく彼女は多重人格を演じているだけだろう。そんなふうに別人を演じることでしか乗り越えられない不安定なしんどい時期がある。最後に新しい人格によって統合されるというのは、もう乗り越えたから演じる必要がなくなったということだろう。
中年になると忘れてしまうんだけど、10代って死に近い気がする。見識が狭く経験も浅いから大人になると些細に思えることが深刻に思えるし、反対に死ぬことはあまり怖くなかったような。怖さが実感できなかっただけか? 自分の同級生にも高校に入ってすぐに自死した女子がいた。ちょっとしたきっかけでそっちに行ってしまいそうな危うさが10代の頃にはあった気がする。
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