『指輪物語』がなければ『ダンジョンズ&ドラゴンズ』も『ウィザードリィ』も『ドラゴンクエスト』もなかった。『ロードス島戦記』をはじめとする剣と魔法の西欧風ファンタジー小説や漫画やアニメも然り。そう考えると後世に与えた影響は計り知れない。いつか読まなくちゃと思っていたので読み終えることができて人生の宿題を一つ終わらせた感あり。
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読み終えて、今だからこそ読むべき小説だと思った。大国の権力者たちがノブレスオブリージュを忘れ自身の力を誇示することばかり考えているように見える今だからこそ。強大な力の誘惑に屈さず、それを放棄して平和な日常に帰還する──今の時代に、フロドの選択をできそうなリーダーがいるだろうか。あの国もこの国も、指輪の力に溺れそうな輩ばっかりじゃないの。トールキンは指輪は何の寓意でもないと断っているからこういう読み方は正しくないのかもしれないが。
昨年末から今年の3月まで約2ヶ月かけて「王の帰還・下」まで読んだ。その勢いで間を置かず設定および後日談がまとめられた「追補編」を読んでしまえばよかったのだが、本編を読み終えた達成感から気が抜け、少し拾い読みをしただけで放置してしまった。
今日改めて、「追補編」中の指輪戦争の年譜、旅の仲間のその後、固有名詞、あとがきあたりを読んだ。1冊ぜんぶ読むのは(上古の時代の話とかだるいので)俺にはつらい。本編を読み終えてからすでに2ヶ月が経過しており感動や記憶も薄れかけているし、ひとまず今日で俺の『指輪物語』読書を完了としたい。
こんなこと言ったらファンから罵倒されそうだが、『指輪物語』は抜群に面白い小説では決してなかった。少なくとも俺にとってはそうだった。ピーター・ジャクソン監督による映画と同レベルのエンタメを期待して読み始めると落胆すると思う。堅めの文芸作品でありトールキン自身も卓越した小説家ではない。俺はこれまでの人生でわりと本──とくに小説──を読んできた読書に慣れてる方の人間だと思うけど、全6巻を読んでいく過程でしばしば退屈と苦痛を覚えた。そもそも一回読むの挫折してるからね。2023年に一度読み始めたものの1巻を読んで力尽きた。今回は2年寝かせたのちの再挑戦だった。
トールキンはしばしば物語のクライマックスとなる部分を直接描かず、後から登場人物の会話で「あのときは〜〜だった」と説明する。一番盛り上がるところを会話で済ませてしまう。一例を挙げると、映画「旅の仲間」の終盤、旅の仲間たちがサルマンに送り込まれたオークたちと交戦するシーンがある。メリーとピピンを守ってボロミルが戦死する。原作ではこのシーンは直接描かれず、「二つの塔」でメリーたちが何が起きたか説明するだけ。モルドールに乗り込んだフロドがシーロブに襲われて刺されるシーンも、アラゴルンが死者の道を行き仲間を増やすシーンも同じように処理される。なぜ盛り上がるシーンなのに描かないのか? 小説家の腕の見せどころじゃないのか? トールキンが卓越した小説家じゃないと書いた所以。
これから『指輪物語』を読んでみようと思っている人に俺から助言するなら以下の三点。
①映画版を先に見てストーリーを把握しておこう
②1巻冒頭のホビット学はストーリーに関係ないので最初は読み飛ばそう
③地図があると便利
①について。映画でストーリーを予習してから原作を読んだ方がついていきやすいと思う。
②について。ホビット学の章はストーリーに直接関係ない設定の話なので最初に読まなくてもいい。俺は「王の帰還」を読み終えてから戻って読んだ。
③について。旅の仲間は長距離を複数のルートに分かれて移動するので地図があった方が作品世界に没入できる。ネットで探せば中つ国の地図はいくらでも見つかる。7巻セットには地図の付録がついてるのに単巻では入手できない。版元は公式サイトにこの地図のPDFを載せればいいのに。
この本は物語の経緯と地図を併せて紹介してくれるいいガイドブックだった。
以下、順を追ってブクログに書いた感想を各巻ごとにコピペする(追補編は除く)。
思いっきりネタバレあり。
冒頭のホビット学は読み飛ばして本編から。
力の指輪、思おうとすればスマホのようにも思える。使用者を支配する、監視される、便利な力。…いや無理があるか。
文章がまだるっこしい。移動の描写が多くなかなか話が進展しない。もどかしいけど旅の大変さが伝わってくる。食糧がなくなったり歩きながら寝そうになったり不寝番立てたり。所々改変してスピーディなエンタメ映画にしたピーター・ジャクソンはすごい。
エルフが超越的な存在として描かれている。トム・ボンバディルという強キャラ。何者?旅に同行してほしい。
12/29~1/4
指輪の力は誰にも制御できない。敵の本拠地にある火の山の滅びの罅裂に捨てるしかない。
エルロンドの館での会議により9人の旅の仲間が結成される。9という数字は指輪の幽鬼ナズグールと対になっている。
本格的な冒険が始まり上巻より面白くなってきた。
裂け谷からから霧ふり山脈、モリア、ローリエン、川下り。
昼は藪や茂みの陰で眠り、不寝番を立て、夕方に起きると冷たい食事をとり、夜中ずっと歩き続ける過酷な旅。度々出てくる長々しい風景描写がまだるっこしい。
時々話し言葉が古風な敬語みたくなるのに違和感。
基本的に話す時はみんな敬語、一人称はわたくしかわたし。ギムリも。サムだけ変な田舎言葉。映画は話を端折りつつ肝心の部分をおさえている。読みながら、ここ、映画で見た、としばしば思った。
モリアでのバルログ登場、ガンダルフとの一騎打ち。
ロスローリエンでのガラドリエルとの邂逅。
この二つのシーンがとくに印象的だった。旅の仲間がフロドとサム、そのほか全員の二手に別れるところまで。
フロドとサムの旅立ち、ボロミルの死、ピピンとメリーがオークに連れ去られるシーンから始まる。映画1作目のクライマックス。
この巻にはフロドとサムは出てこない。
アラゴルン、レゴラス、ギムリたちの追跡行、ガンダルフの帰還、ローハンとの合流、アイゼンガルドへのエント最後の行進が描かれる。フロドとサムの行程を除くと映画版のストーリーはほぼ上巻で終わっている。映画だと木の外見をしていたエントだが原作では巨人のような存在。ボロミルを助けるべくアラゴルンたちがオークと戦ったり、ガンダルフが呼びに行った援軍が違うなど映画版は原作をうまく広げたり省略してエンタメ的に盛り上げ、わかりやすくしているのに感心する。文章がまだるっこしく意味を追うのに疲れるときがあるのは変わらず。すらすら読める文章ではない。予習として先に映画を見ておいた方が話が理解しやすい。
フロドとサムのモルドール行きの巻。上巻とは逆にアラゴルンたちは登場しない。全編フロドたちの旅が描かれる。この巻がこれまでで一番面白かった。
ゴクリとの遭遇、彼の案内で死者の沼通過、黒門にたどり着くも入るのを諦めゴクリが知っている別ルートへ。道中でファラミルとの出会い。彼と別れモルドールへ。ゴクリの罠によってシーロブの巣を通って襲撃され、フロドは倒れる。サムはシーロブを撃退するもフロドは死んだと思い込み指輪を持って使命を引き継ぐ。が、フロドを連れ去ったオークたちのあとを追って引き返し、キリス・ウンゴルの塔へ。そこでフロドが仮死状態なのを知る。
この巻は移動が多く、旅をしている感じがよく伝わってきた。RPG的というか、自分も一緒に旅している気分に。行糧や睡眠への言及が多いのがリアルでいい。モルドールの忌まわしい描写に慄く。昼でも暗く、悪臭が漂い、水は飲めない。まさに魔界。
映画版との違いとしてファラミルとの出会いがかなり丁寧に描かれる。彼の高潔な人柄も。フロドとサムの仲違いはなく、二人は一緒に巣を進む。サムの奮闘が熱い。しかしそのあと彼が指輪を嵌めるとは思わなかった。
映画だとサブタイトルの意味がわからなかった。塔はサルマンのしか出てこないじゃんと。原作を読んで二つの塔とはアイゼンガルドのオルサンクとモルドールのバラド=ドゥールを指していたのだと理解できた。
全編アラゴルン、ガンダルフ、ローハン勢、ゴンドール勢らのパート。アラゴルンらは死者の道を行き兵を集める。モルドールの軍勢に包囲されたミナス・ティリスへセーオデン率いるローハン軍が救援に向かう。映画のクライマックスの一つだったペレンノール野の合戦が始まる。敵軍が投石兵器で攻撃してくるのは映画でも描かれていたが、原作では炸裂する石の他に討ち取った兵士たちの首を投げてくるという、ぞっとする描写がある。
セーオデン、エーオメルは映画以上に高潔で勇猛な武人として描かれていて頼もしい。ピピンとメリーの活躍にも多くのページが割かれている。
ペレンノール野の合戦はゴンドール連合軍が劣勢だったがエーオウィンがアングマールの魔王を討つ大殊勲を立てて形勢逆転する。アシストしたメリーが手にしていた塚山出土の剣は魔王打倒の念が込められた、いわば魔王特効の剣だったというのが熱い。
デネソールは乱心して自死し、セーオデンは戦死。新たな後継者により世代が変わる。アラゴルンが正統なゴンドールの王として人々に認められていく。
ペレンノール野の合戦に勝利した一行はフロドの任務成功をアシストするため黒門へ進軍、囮として数では圧倒的に劣る最後の戦いに臨む。
だらだらした前半はかなり退屈で読むのがつらかった。ゴンドールが包囲され戦闘が本格的に始まったあたりから面白くなった。しかし死者の道の出来事といい、前巻のフロドがシーロブにやられるシーンといい、3巻のボロミルの戦死といい、見せ場となる箇所をトールキンは会話での説明などで省略してしまう。それが本作の小説としての面白さを損なっていてもったいないと思う。
前半三分の一はフロドとサムが指輪を捨てるまで。困ったときは大鷲頼り。
戦いが終わったあとのゴンドール王の戴冠式あたりは描写がまだるっこしくて読むのがかなりきつく強いストレスを感じた。
主要登場人物が再結集して帰路に就き、途中で別れて少しずつメンバーが減っていくのは旅の終わりの寂しさがあってしみじみした。最後は旅立ったときと同じホビット四人に。1年ぶりのホビット庄への帰還。
最後にサルマンと蛇の舌の再登場と対決があったのは意外だった。物語的に蛇足に思えた。
この巻ではフロドの存在感は薄く、サム、メリー、ピピンの方が目立っている。
トールキンは執筆時に起きていた世界大戦の影響はないと断っているけれども、指輪に象徴される権力や暴力の放棄と敵とはいえ安易に命を奪わない慈悲という作品のテーマには戦争の影をどうしても見てしまう。だからこそ今読むべきとも思えた。指輪を捨てる分別を持てるリーダーが今いるだろうか。分断と排除と対立が深まるばかりのこの時代、この世界に。
去年の年末から読み始めてようやく本編読了。残るは1巻のホビット学と追補編。
この物語には隠された意味とか「メッセージ」とかが含まれているのではないかという意見に対しては、作者の意図としては何もないと申しあげよう。これは寓意的なものでもなく、今日的な問題を扱ったものでもない。(略)
実際の戦争は、その経過においても、結末においても、お話の戦いとは似てはいない。もし実際の戦争がこの物語の発展に影響を及ぼしたり、方向づけをしたりしたとすれば、その場合はきっと指輪は押収され、サウロンと戦うために用いられたはずである。
「著者ことわりがき」