2週間限定で深作欣二監督『バトル・ロワイアル』がリバイバル上映している。何度も配信で見ているけれども*1この週末とくに予定もなかったので見に行ってきた。来場特典の武器カードは谷沢はるかのブローニング・ハイパワーだった。支給武器としてはアタリだろう。谷沢はるかは灯台にいた女子グループの一人。彼女たちがなまじアタリの武器を支給されていたばかりに惨劇が起きてしまう。皮肉なものだ。

『バトロワ』はデスゲームものの元祖と言われる。原作の刊行が1999年、映画の公開が2000年。原作も映画も内容や表現をめぐって当時ちょっとした騒動になった。中学生同士が殺し合う映画なのにR15指定のため当の中学生が見られないという不思議な事態に。マスコミが取り上げたことが却って宣伝になり小説も映画もヒットした。あれから25年。暴力に対する人々の感度も変わったように思う。国会をも巻き込んだ当時の騒ぎはいわば「チャタレイ裁判」みたいなもん*2。
2000年当時、俺は23歳。何度も見ているといいつつ、当時の俺はこの映画をスルーしている。DVDが見られるプレステ2が2000年の発売なので公開後少し経ってからレンタルで見たのが初見だったかもしれない。初見の感想はまったく覚えていないんだけど過激な暴力描写にちょっと引いてたと思う。普通の中学生*3が銃や刃物でクラスメイトに襲いかかる。血に染まる制服。面白さより怖さの方が勝った。その後色々な映画を見ていくうちに暴力描写に慣れていくんだけど。BA-TSUというブランドがデザインしたベージュ基調の制服は女子のスカートがユニーク。サイドスリットが編み上げで裾からペチコートが見えている。アクションしまくるから下着が見えないようにとの配慮だろう。
設定のうまさに舌を巻く。助かるのは最後に生き残った一人だけ、タイムリミットは3日間、逃げようとすれば首輪が爆発して死ぬ、時間経過とともにエリアが狭まるため行動せざるを得ない。原作ではBR法は架空の独裁国家によるクーデター防止目的のプログラムだが映画では度重なる少年犯罪を恐れるようになった国家が矯正教育として行うものとされている。90年代後半から2000年代前半、神戸の児童連続殺傷事件を筆頭に少年犯罪が目立って報道され「キレる17歳」という語がよく聞かれた。映画冒頭のテロップ「新世紀のはじめ、ひとつの国が壊れた」やキタノの台詞には当時の世相が反映している。同時代性は作品ヒットの要因の一つだと思う。
映画はめちゃくちゃテンポがいい。次々に生徒が脱落していく。死が描かれる。殺し殺されるだけじゃない。自ら選ばれる死もある。人の命の軽さ、失われる唐突さ。デスゲームという内容もさることながら表現が後代の作品に与えた影響は多大なものがあるだろう。たとえば『悪の教典』の学校内で延々続く殺戮シーンは『バトロワ』があったからこそのものだろう。
メインとして描かれるキャラクターは秋也、典子、川田、光子、桐山、三村、杉村。バトルにおいて主人公の秋也はあまり活躍しない。戸惑いながらクラスメイトを助けたいとの思いから深く考えず行動する。川田が一緒にいなかったら典子と二人ですぐ脱落していただろう。杉村は危険が満ちる中レーダーの反応を頼りに好きな女子を探し続ける。彼にとっては生き残ること以上に自分の気持ちを伝えることが優先だった。「奪う側にまわろうと思っ」て光子はゲームに乗る。彼女がなぜそう思ったのかは内心が描かれない映画では理解しづらい*4。川田はゲームを回すための役として、桐山は面白がって、それぞれイレギュラーに参加している。
協力、裏切り、疑念、混乱など極限状態における人間の心理が見所の映画であり、その白眉が灯台のシーンだ。1分前にはじゃれ合っていた仲良し女子グループがある事故をきっかけに互いへの疑いを爆発させ殺し合いになる。乱射される銃弾、血で真っ赤に染まるブラウス。絵的に派手なのもあって強く印象に残る。大事なものを失ったあとで気づく自分の本当の気持ち。「私、みんなのこと好きなの忘れてた」。切ないし、やりきれない。
中学生というまだイノセントな年代だからこそクラスメイトと殺し合う設定の悲壮さが際立つ。この年頃は利害や損得を無視して人と付き合えるし、友だちは一人の他人である以上に自分自身の一部であるような重要な存在であり得る。同じゲームを成人たちが職場でやったとしたらどうか。あるいは自分の職場でやったらと妄想したら。躊躇なく殺せる相手はいくらでもいるから葛藤がない。むしろ常日頃から殺したいと思ってたから好都合だくらいなもんだろう。そんなのちっとも美しくない。
少年少女を描く一方で担任キタノの中年としてのありようも同じ中年の俺は気になった。家庭にも職場にも居場所がない。生きてる甲斐がないから死にたいけどどうせ死ぬならかわいいクラスのみんな全員巻き込んでやりたい。殺すつもりの一方で持っているのは本物そっくりの水鉄砲。お気に入りの女子生徒に撃たれるなら本望だったのか*5。屈折しまくった中年像に惹かれる。ビートたけし、素晴らしい。
アマプラ見放題で見られるけれど映画館へ行く価値はあると思う。この映画は音楽もいいんだけどそれを劇場の大音量で聞ける。東映のロゴが出ると同時にヴェルディ「怒りの日」が流れて最初からクライマックス感がすごい。またプライムビデオだとなんか全体的に画面が暗くて見づらいが映画館だとそんなことはなく、診療所に投げ込まれる織田の生首もはっきり見えた。俺の好きな灯台のシーンの迫力はスクリーンだとさらに増す。何が起きるかわかっているのに見入ってしまう。
いい機会なのでこれまで未読だった原作も読んだ。上下巻で約1000ページのボリュームながらこちらもテンポがよくすらすら読める。映画とは異なる点や映画では描かれていない部分も多い。ゲーム序盤であっさり桐山に殺される沼井たちのグループや、稲田・南、滝口・旗上のペアにも背景がある。終盤まで生き残っていた稲田の短いながらも鮮烈な存在感。滝口は冷徹な光子が一時的にとはいえ心を許す相手。映画だと登場してすぐ退場する琴弾の人物像も明らかになる。彼女と杉村は実は似た者同士だった。光子の生い立ち、桐山の性格の由来も書かれている。前者はトラウマに囚われている*6。後者は器質的なサイコパス。この二人のキャラ設定に、猟奇的な事件が起きると犯人の「心の闇」が語られた時代の空気を感じる。光子はナチュラルな可愛い系、一方で千草貴子は派手目と、ちょっと映画のキャストとは印象が違う。とはいえ映画の「死ねよ、ブス」は柴崎コウだからこその名シーンだと思う。
著者は新聞社の勤務経験があるらしいがそれにしてはかなりクセが強く荒さを感じる文体で読むのに少し我慢が要った。文章より展開につられて読むタイプの小説。それでも一週間ほどで読めたのだから面白さは間違いない。時代性なのか、キャラクターは中学生なのにやたらワルっぽいというか、幼さのない、中身が大人としか思えないのが多い。そんなこと言ったら銃器を難なく扱えている時点で普通の中学生ではないんだから、まあラノベ的というか、そういう感じ。