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経済的自立、マルチ商法、出し子…金をめぐる小説を3冊読んだ

19世紀の西欧で小説が発達した理由は、新興階級であるブルジョワジーが台頭し彼らが読者層を形成したからだと言われる。ブルジョワジーが好む小説のストーリーは何か。彼らの現実に即した生活や結婚、つまりは金の話だろう。だからディケンズ、バルザック、ドストエフスキーといった19世紀の偉大な小説家たちは金をめぐる人間の悲喜劇を繰り返し作品のテーマにした*1。金は小説において伝統的かつ王道の主題なのだ。産業革命以降現代まで、資本主義社会において金は空気や水と同じく人間が生きていく上で欠かせないものとして存在している。恐ろしいことに時として金は人命より重視される。金のために奪われる命、金のために犯される犯罪がどれほどあったか、今もあるか。ただの紙、ただの数字でしかないものに価値を与えているのは、それに価値がある、という概念に人々が同意しているからに過ぎないのに。

 

 

羽田圭介『Phantom ファントム』

主人公は30代会社員の女性、華美。彼女は経済的自立を目指して日々節約とアメリカ高配当株への投資に励んでいる。目標額は5000万円。5000万円から年利5%の配当収入を得られれば250万円*2になる。彼女の現在の手取り年収も250万円。5000万円のポートフォリオ作成は自分の分身の作成。いわば一人ダブルインカムシステムだ。そのシステムが完成すれば働かないでも今と同じ暮らしができるし、働けば(ほぼ)倍の収入を得られる。裕福になり生活が楽になる。経済的自立を達成できる。

 

節約して浮いた金は投資に回す。金を払うときはこの金を年利何%で何年運用したらいくらになる…と即座に計算する癖がついている。かつてしていた晩酌はすっかりやめた。酒は税金を高く取られる嗜好品だからというのもあるが、せっかく金を増やしても早死にしたり病気になったりしたら意味がないからだ。増やした金を使うために健康で長生きしたい。

 

華美は若いころマイナーなアイドルとして活動していた時期があった。業界に横行する権力者への枕営業。もしもあのとき金があれば断れた。仕事絡みの話だけじゃない。経済的自立が果たせれば私生活でも自由になれる。パートナーが嫌になれば我慢せずさっさと別れて一人で生きていける。世の中には配偶者を憎みながら生活のために離婚に踏み切れない既婚者がいくらでもいる。金があればそんな我慢をしなくて済む。金は人生の選択肢を増やしてくれる「力」だ。

 

友人のパーティへの参加費を惜しんで行かなかったばかりに友情を失ってしまい、以降集まりからハブられてしまうシーンがある。1万円かそこらを節約するのと引き換えに学生時代の友情を失うのは高い代償だ。節約とケチは違う。友情や信用は金で買えない価値を持つ。見誤ったと後悔してももう遅い。一度失えば二度と取り戻せない。

 

華美は経済的自立の先に何を見ているのか。何がしたくて金を貯めているのか。彼女の恋人は言う。金は使うためにある、目的ではなくて手段だと。華美がしているのは手段の目的化ではないか?

 

投資家の集まりに参加してみすぼらしい外見の中高年男性のグループと知り合う。株式優待だけで生活していると自慢する彼らの金融資産は1億円を超えている。華美は驚くと同時に愕然とする。半生かけて節約と投資に明け暮れて金を増やした先に待っているのがこんな惨めな生活だなんて。

 華美は愕然とした。

 ブランド品も買わず友達づきあいも制限し、分身のような配当システムを作った先に待っているのは、生活保護受給者たちと同等レベルの配当生活だというのか。

節約と投資によって一代で資産を築いた人は、資産を取り崩すのが惜しくて、『マルサの女』のコップから溢れる水滴を舐める喩えのようにして暮らすケースが少なくないという。そして使い切れずに資産の大半を残したまま死んでいく。金を上手に使うのは一つのスキルだ。もしかすると金を貯める・増やすより高度なスキルかもしれない。一朝一夕には得られない、失敗や後悔をしながら学んでいくしかないスキル。予測できない未来を恃みに現在を犠牲にせず、節約・投資をしながら現在を生きることの大切さに華美は気がつく。

 

そのあたりで経済的自立をテーマにした小説としては完成してしまって*3、終盤の、金銭を介せず直接価値をやりとりするカルト団体*4絡みの話は蛇足の感あり。

 

 

新庄耕『ニューカルマ』

業績不振の会社で働く主人公は将来への不安からマルチ商法に手を出す。うまくいくわけないのに、会社の同僚や地元の友人たちを勧誘しまくって顰蹙を買い、職場で厳重注意されたり、友情を失ってしまう。マルチへの熱意を本業か副業か転職先探しに向けろと言いたくなる。楽して大金が稼げるわけがない。そもそも、頼んでもいないのにやってくるうまい話なんてあるわけがない。詐欺に決まっている。

 

必死こいた主人公は上役から斡旋されて有力な女性子会員を得る。彼女が人脈を活かして孫会員を増やしてくれたおかげで主人公の月収は70万円にもなる。その代償として体の関係を求められるのだが。しかも相手はアブノーマルな性癖の持ち主。金のために尊厳を売る。

 

借金が膨らみ一旦はマルチから足を洗うも、その借金を返済するために再びマルチにはまる愚かさ。今度のは違う、本当にいい商品なんだ、とカルトの信仰者のような熱心さで勧誘していく。実際には詐欺商品。健康被害が出てニュースになる。教祖たる社長はどこ吹く風。この社長と、主人公が以前はまっていたマルチの上役は裏で繋がっていた。マルチの世界は狭い。おそらくは名簿があり一度はまった人はその後も標的にされるのではないか。上役と女性もつながっていて、上役は金を得る、女性は性奴隷を得る、というウィンウィンの関係だったのでは? 知らぬは主人公ばかり。全部仕組まれていていいように餌食にされていたのだ。恐ろしい。

 

マルチの怖さもさることながら、同じ作者の『狭小邸宅』同様、ブラックパワハラ職場の描写がきつい。平日、仕事から帰ってきたあとは滅入るので読めない。

 

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川上未映子『黄色い家』

600ページもの長編ながら夢中で読み耽り平日3日ほどで読了した。面白かった! 映像化希望。

 

舞台は90年代末から00年代初頭。水商売のシングルマザーに育てられた女性、花が主人公。彼女自身も高校を中退して親元から脱走し水商売を始める。彼女の面倒を見てくれたのが母親と同じくらいの年齢の黄美子だった。最初は二人で暮らしていたがやがてもう二人、花と同年代の少女が加わって暮らすようになる。

 

みんなで働いていたスナックが火事でなくなると収入が途絶える。花は伝手を頼って偽造キャッシュカードの出し子をやるようになる。二人の少女も加わってさらに手を広げ、稼ぎも大きくなる。しかし何のために大金が要るのか? 最初はもう一度みんなで働ける店をどこかで始めるための開業資金に充てるつもりだった。でも身分証明書も銀行口座もない花や黄美子が店をやれるはずがないということが徐々にわかってくる。健康保険にも入っていないから具合が悪くなっても病院へ行けない。学校へ行かず、まともな大人と出会えないまま(唯一の例外がバイト先の店長)大人になってしまった花には、世の中の仕組みはわからないし今後どうやって生きていったらいいのか見当もつかない。おそらくは花のような、環境に恵まれなかった人が、闇社会には相当数いるのではないだろうか。脱落者の受け皿としての反社会的組織。身寄りがなく、地頭はいいが物を知らない花のようなタイプは組織にとって都合のいい、ほとんど理想的な駒だろう。利用するだけして、いらなくなったら消せばいい。明日いなくなったって誰も気づきはしない。

 

数年間、犯罪に手を染めて大金を稼いで、でもそれで四人が幸せになったかというとそんなことはなかった。ただトラブルの原因を作っただけだった。生きていくのには金が要る。クソするのにさえ水道代や紙代といった金がかかる。生活費や家賃を払わねばならないのに、収入がなくても平気でテレビをぼーっと見ているだけの同居人たちに花は苛つく。こいつらの生活を守るために自分だけが奮闘している。しかし彼女たちには彼女たちの言い分があった。「誰もあんたにこんなこと頼んでねえよ!」数千万円という紙幣の束を前に女たちがものすごい剣幕でいがみ合う。かつては互いのよるべなさだけを絆に同じ店で働き、一つ屋根の下で暮らし、マクドナルドで何時間も駄弁ったり、カラオケで熱唱したり、おしゃれを教え合ったりした少女たちが、今は憎んでも余りある仇敵同士のように罵り合っているのを見るのはつらく、かなしい。

 

それは金と思わなければただの紙の束であり、けれどもやっぱり金で、しかしそれはどうみても両手でつかもうと思えばつかめるくらいの大きさしかない、ただの物でもあった。わたしは自分がいったいなにを見ているのかがわからなくなっていった。でもわたしは、わたしたちはこの数年をかけて、目のまえのこれを集めるために必死だった。わたしたちはなにを集めていたのか。金。金を集めていた。誰かが望むものに速やかに形を変えるもの。自分や大事な人を守り、満たし、時間と可能性そのものになるもの。未来、安心、強さ、怖さ、ちから──これまで金をつかみながら考えたいろいろなこと、こうしてひと塊になった金を見ながらいま頭にやってくる言葉のすべてが真実だという気もしたし、すべてが例外なく的外れであるようにも思えた。わからない。今わたしが見つめているこれは、いったいなんなのだ?

 

金とはいったいなんなのか。

上では選択肢だと書いたけれど万能ではない。いくら金を積んでも選べない選択肢もある。花の望みもそうだった。

 

著者は1976年生まれ。主人公の花は80年生まれくらいか。どちらも俺と同世代。作中で描かれる90年代から00年代の空気が当時を偲ばせる。郷愁を誘われる。タイトルの黄色は風水の金運を表している。当たり前のものとして日常にあった、今もあるスピリチュアル。そしてコロナ禍の現代への接続。去年読んで感銘を受けた角田光代『方舟を燃やす』と重なる。

 

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小説はその時代の空気や精神を表現する。今という時代に金について書かれた小説を読むことで現代日本における金のあり方がおぼろげながら見えてくる。自由の選択肢。他者を損なってでも手に入れたい欲望の対象。人間同士を結びもすれば解きもするもの。総じて「力」。「力」であるがゆえに尊く、そして恐ろしい。

 

 

 

以下、ディケンズ、バルザック、フローベール、ドストエフスキーの金をテーマにした作品。どれも名作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:フローベールの現代を舞台にした小説もそうか

*2:課税前

*3:結論はありきたりだが

*4:オウム真理教を彷彿とさせる




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