
濱口監督の新作を見てきた。
ネタバレあり感想。
長野県のある町にグランピング場の建設計画が持ち上がる。コロナ禍で経営難に陥った東京の芸能事務所が政府からの補助金目当てで立ち上げた事業だった。この計画をめぐって地元住民と計画担当者(本業は芸能マネージャー)のあいだで軋轢が生じる。
大体そんな話。
中盤の、議論が紛糾する地元への説明会あたりまでは産業開発による自然破壊、人と野生の共存の可能性、そういうありきたりな、ナウシカやもののけ姫や寄生獣でいいじゃん、みたいな話なのかなと思いきや、担当者の高橋が長野の自然に魅せられて自分の人生を見つめ直すあたりから、そうじゃないかも、と思いはじめた。説明会のシーンでは、自分たちの都合しか考えていない身勝手なよそ者=悪人と思われた彼が、かつて挫折を経験して今も宙ぶらりんな気持ちで与えられた仕事をこなしているだけの、ごく普通な、どちらかと言えば善良な人間であることが徐々に明らかになる。計画の張本人たる事務所社長も経営難をなんとかしようと足掻いてグランピング場建設を決断したのだし(元々俳優だった彼は過去に何か問題が起きて引退せざるを得なくなり今の仕事をしているらしいことが示唆される)、経営コンサルタントにしても悪意から環境破壊をしようとしているのではなく計画を実行するのが職務であるからそうしているに過ぎない。タイトルの意味はおそらくそのへんにあるのだろう。明確な悪は存在しない。ただ一人一人の事情があるだけ。
自分がとりわけ面白く感じたのは芸能事務所スタッフ二人が長野へ向かう車中で交わす会話のシーン。10分くらいだったか。普段はあまりプライベートな話をしてこなかったのか、お互いの生活に今初めて深入りするようなやりとりはところどころユーモラスで可笑しかった。このシーンで一気にこの二人のキャラクターの厚みが増したような気がする。
この映画のキモは多くの方が指摘するように、あのラストだろう。最後の最後になって突き放される。わけがわからない。これまで見てきたものすべてをぶっ壊すような衝撃的な展開。俺の頭で考えても、同行者と話しても、満足いく答えは出なかった。ネットで検索してみても、うーん、という感じのものが多かったが、ひとつ、主人公と娘は人間として暮らしているが実は鹿の化身なんじゃないか、というのがあって、腑に落ちる、と思った。手負いの鹿は人間を襲うという。ならばあれは我が子を失った親鹿による攻撃だったのではないか。主人公は蕎麦屋での支払い金額を間違えたり、娘を迎えに学童へ行く時間を忘れる。鹿の化身だから人間社会のルールがわからない、馴染めない、その暗示だとしたら。一方で、主人公はこのあたり一帯について何でも知っているという。鹿ならば山の中まで知り尽くしていて当然。ああそうかも、と言う気がしてきた。三人で水汲みしたときの銃声。おそらくあのとき、娘は鹿の姿に戻って人間に撃たれた。靄の中に現れる二頭の鹿は幻視だろう。そして親鹿は我が子の死体を見つけ、人間へ怒りをぶつけたあと、亡骸を抱えて森の中へと姿を消す。おそらくは二度と人前には現れない(居場所をなくした鹿はどこへ行く? という主人公の問いに、高橋はどこかよそへ、と答えている)。彼の攻撃が人間を殺すにはいたらない脆弱なもの(高橋は気絶しただけだろう)なのが切ない。野生にはそこまでの力はないのだ。一方で人間は銃で鹿を撃ち、重機で山を潰すことができる。彼我の暴力の圧倒的な差。主人公と娘を鹿の化身と考えると、この映画がまるでおとぎ話か寓話のように見えてくる。
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