読んだのは10冊。一部ネタバレあり。
- 稲田豊史『本が読めなくなった人たち』
- 都築響一『Museum of Mom’s Art』
- 宇野常寛『庭の話』
- 都築響一『バブルの肖像』
- 井上宮『ぞぞのむこ』
- 坂東眞砂子『死国』
- 田中啓文『蝿の王』
- スズキナオ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』
- 山本文緒『無人島のふたり』
- 久坂部羊『人間の死に方』
稲田豊史『本が読めなくなった人たち』
かつては本こそが情報を得るためのメディアだったが、今は動画にその座を奪われてしまった。本は「ながら見」ができないからタイパが悪い。若い人のうちには配信で映画を見ながら漫画を読む人もいるという。俺なんかにはそれの何が楽しいのかわからんが。「ながら見」ができないからこそ集中できていいんじゃないか、とか思ってしまうのは完全に時代錯誤なのだろう。もともと、長文テキストを読んで内容を理解する、という本好きにとっては当たり前の能力は特殊な能力であり誰にでも備わっているわけではない。
本を読まず動画ばかり見ていると語彙が話し言葉中心になる。雰囲気をふいんき、延々とを永遠となどと誤って覚えてしまう。別に意味は通じるし、本人が恥ずかしいと思わなければ生活する上で支障ないかもしれない。けれども書き言葉の豊かさというものがある。すぐれた小説や詩の表現に触れることで言語の領域が広がる。人間は感じるのも考えるのも伝えるのも言語を用いる。言語の領域を広げるほどに、感じ方、考え方、伝え方も広がる。それって人生を豊かにすることにつながるんじゃないかなあ、と俺は思う。
まあ世の中の潮流がどうなろうと、これまでそうしてきたように、これからも俺は本を読み続ける。
hayasinonakanozou.hatenablog.com
都築響一『Museum of Mom’s Art』
どこの道の駅にも、奥の方に手芸や木彫りやビーズアクセサリーなどを並べたコーナーがある。並んだ品々を見るたびに、どこの土地にもアーティストはいるもんなんだなあ、と感動する。本書ではそれらをおかんアートと呼称している。うまい呼び名。
おかんアートは制作の楽しさを得られるだけじゃない。人にあげたり一緒に作ったりと他者とのコミュニケーション手段にもなる。これっておとんアートにはない特徴。男の方がストイックになってしまいがち。だから男は孤独になる…という本を以前読んだ。
hayasinonakanozou.hatenablog.com
制作欲求って人間のかなり根源的な部分に根ざす欲求じゃないか。子供の頃、夢中でクレヨン画を描いたり粘土を捏ねていたのを思い出すと、そこには純粋に制作の喜びがあったように思う。
宇野常寛『庭の話』
動画を見てから読んだら内容がかなり理解しやすかった。
SNSによる低コストな相互承認ゲームからの離脱。帰ってきたウルトラマンのエピソードから共同体を否定し、資本主義と再分配こそ目指すべきだと述べるくだりは、自分も他人とすぐ馴染めるタイプじゃないので同意しかない。
庭とは人が人間以外の事物と触れ合う、公共的でありながら孤独でいられる場。読んでいて虫や花と接する機会をもちたくなった。
後半の、アーレントの人間の条件を敷衍した制作の称揚は感動的。没頭できる趣味が人生の充実には必要。他者からの承認目当てのSNS発信という安易な自己表現から脱却して孤独な制作へ。
俺の中にあった問題意識がこの本で一本の線になってつながった感覚がある。
独身中年男性の孤独の問題→インターネットを離れて人間以外の事物と交わる「庭」へ→孤独でもいいしおかんアート的にでもいいから何かを制作する。
人生の希望は制作にあるんじゃないか?
中年男性を救済するのは恋愛でも家族でも国家でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接つながる技術』であると確信しています。
宇野常寛『ラーメンと瞑想』
都築響一『バブルの肖像』
1986年から91年までのバブル景気を振り返り、痕跡をたどる「バブル・グレイティスト・ヒッツ御一行様の同窓会」。最後の最後でドナルド・トランプが登場するのでびっくりした。
ジュリアナ東京、ボジョレ・ヌーボー、ティファニーのオープンハート、アッシー、メッシー、ミツグ君、ゴルフ会員権、地上げ、NTT株、1億円ふるさと創生交付金、タクシー券、財テク、チバリーヒルズ、青田買い就職、ボディコン、ワンレン・ソバージュ、宮崎シーガイア…バブル崩壊直後に社会人になった就職氷河期世代の自分は直接は体験せずとも見知った語が数多く、懐かしい気持ちになった。
とにかく金遣いが荒く、品がなく、無計画。けれどもその常軌を逸した浮かれっぷりに多少の爽快感を覚えるのもまた事実。老後に備えて貯蓄しよう、みたいな昨今のしみったれた価値観とは無縁のノリノリな時代。5000円や10000円程度の「近距離」ではタクシーに乗車拒否された当時の銀座? の写真は今の若い人にはフェイク画像にしか見えないかもしれない。

本書が書かれた2006年からもすでに20年が経過している。掲載された場所の中にはとっくに跡形もなくなったものもあれば現在も存続しているものもある。現存するバブルの遺跡をめぐる旅なんてのをしたら楽しそう。泡と消えた夢の跡。
井上宮『ぞぞのむこ』
怪現象が起きる漠市をめぐる連作短編集。どれも不気味でおぞましい。
漠市とは呪いの源のようなもの。そこに立ち入り、何かに手を触れたり関係を持ったら家に帰る前に石鹸でしっかり手を洗うことが強く推奨される。コロナ禍を経た現在ならそれが感染症を防ぐ効果的な手段だと腹落ちする。
恐怖というより生理的嫌悪感を催す話が多い。その極めつけが「ざむざのいえ」。皮だけになった人体の中で無数の虫が蠢く。その描写が滅法気持ち悪い。
全話に登場する矢崎がいい味を出している。忠告はするが助ける力はない。呪いに対する人間の無力さが現れている。
坂東眞砂子『死国』
土俗ホラーの意匠を用いて喪失感や寂しさを描いている。怖くはない。逆打ちによる死者の蘇生によって心の欠落を埋めようとする、それに巻き込まれて自身の過去や感情と向き合わざるを得なくなる登場人物たち。
たびたび田舎に対する東京もんの優越が描かれて微笑ましい。
男女の恋愛感情や性が頻出するのにやや辟易した。痴話めいたシーンが少なくない。同窓会で再燃する初恋。不倫。駆け落ち。
親友と思っていた相手が、向こうからしたら子分みたいなものだったという齟齬は味わい深い。
田中啓文『蝿の王』
ムシの描写が気持ち悪い。
子供が殺害されるシーンが多い。
怖くはない。
ハルマゲドンやカルト宗教は世紀末感がある。
終盤の出産あたりまではかなり面白かったが、最後の方は息切れした。イエスに対してノーってしょうもない駄洒落。
イエスの誕生に際してヘロデに殺された子供たちが悪魔になった設定は斬新でよかった。
スズキナオ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』
昼営業のスナック、人の家の家系ラーメンを食べる、その人にとっての思い出の地であるマイ史跡巡り、食べた唐揚げの個数まで割り勘する飲み会、椅子を持ち歩いて好きなところで腰を下ろすチェアリング、などの話が面白かった。ラーメンと酒の話題が多い。人、店、旅、調査、酒、散策、本文からとった各章のタイトルに趣がある。しんみり落ち着いた文章が好ましかった。
コロナ禍の中年男性の旅の記録『家から5分の旅館に泊まる』も素晴らしい。電子と紙、両方買った。
山本文緒『無人島のふたり』
2021年4月、体調不良から病院に行ったところ膵臓がんのステージ4と診断された著者が5月から10月まで、亡くなる9日前までつけていた日記。はじめ抗がん剤治療を行なったが、あまりに副作用がつらいため断念し、緩和ケアに切り替えた。部外者が言うことではないがQOLの観点から見て英断だったと思う。
突然の宣告による驚きから死の覚悟に至る心理が書かれている。闘病期間がコロナ禍と重なり人と会うのが難しい時期だったのはタイミングが悪かった。
死の覚悟といっても診断からわずか半年間の短さ、50代という若さもあり、諦念に近かったように見受けられる。生きようとしている人を突然襲う病いは残酷だ。
久坂部羊『人間の死に方』
外科医である著者の父親の死生観。自身、麻酔科医でありながら医療を信じず、ストレスが諸悪の根源と考え、節制をせず、検査の類は一切積極的に受けなかった。それで87歳まで長生きした。
この本を真に受けて検査を軽んじたり医療不信に陥るのは避けたい。この父親には死への覚悟があったり、自身や息子が医者である点でも一般的ではない。あくまでn=1の挿話として読みたい。心配性、不安がちな自分は本書のおかげでだいぶ気が楽になった。
「世間では長生きをよいことのように言う人も多いが、実際の長生きはつらく過酷なものだ。足腰が弱って好きなところにも行けず、視力低下で本も読めず、聴力低下で音楽も聴けず、味覚低下でおいしいものもわからず、それどころか、むせて誤飲の危険が高まり、 排泄 機能も低下し、おしめをつけられ、風呂も毎日入れず、容貌も衰え、何の楽しみもなく、まわりの世話にばかりなる生活が〝長生き〟の実態だ。 これで認知症にでもなればまだましだが、頭がしっかりしていると、つらい現実がすべて認識され、家族やヘルパーに世話になる心苦しさに耐えなければならない」
このくだりは漠然と「長生きしたいなあ」と思っている自分の価値観を揺さぶられた。結局、どれほど死に抗おうと最後には必ず敗北するのだ。その認識なく諦めることをしなければ最後期の苦しみを長引かせることになりかねない。そんな無理に引き延ばしたような生はQOLの観点から否定的に見られるべきだろう。
「死に瀕している人の苦しみは、経験しなければわからない。それをなまじ有効な治療で引き延ばすのは、酷なことだと私は思う。命を延ばすと言えば聞こえはいいが、その実態は無益な苦痛を引き延ばしているだけである」
孤独死について、世間ではまるで自由気ままに生きた罰のような書き方をされることが多いように感じているが(将来の当事者としてそう感じる)本書では肯定的に書かれているのが嬉しい。「家族がいないほうが、平穏に死ねる可能性もある。無理解な家族に、平穏な死を阻まれる心配がないのだから」
「もちろん、孤独死の悪い面もあって、どれほどしんどくても身のまわりのことをすべて自分でしなければならず、痛みや苦しみや不安や孤独にも1人で耐えなければならない。しかし、それは自分で選んだ道であって、それまで自由気ままに暮らしたことを忘れてはならない。 私は在宅医療で、身寄りのない高齢者を何人も診療したが、それぞれに工夫し、自らの生き方を確立していた。孤独な生活者が苦労しているだろうと思うのは、家族持ちの的はずれな空想ではないか」













































