年が明けてから家族ぐるみで交際のあった道外に在住の友人家族から月が変わる毎に相次いで訃報が届き意気消沈!そして呆然としながらも遠くから冥福を祈るばかりで可もなく不可もなく何一つ話題の無い独居生活に身を委ね後期高齢者となった白髪頭のオジサンも明日は我が身?と自覚をしなければいけない歳になってきたのかも・・・と思い始めた今日この頃ですが実家の後継者として仏門に入り僧侶となった亡き友が何度も仕事を変えながら自由に過ごしているアンタが羨ましいヨ!と私に紹介してくれた一休宗純 の俳句 を懐かしく思い出しています
・世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬるを待つばかりなり
・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
・門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まりやもなし/ 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
・釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな
・秋風一夜百千年 - 秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ。
・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
・えりまきの 温かそうな 黒坊主 こいつの法が 天下一なり - 本願寺で行われた開祖親鸞の二百回遠忌に、他宗の僧侶としてはただ一人参拝し、山門の扉に貼り付けて帰った紙に書かれていた。
・分け登る 麓の道は多けれど 同じ高嶺の月こそ見れ