以下の内容はhttps://hatekamome.hatenablog.com/entry/4b7c0629ae02923c7aad0bcf33d29532より取得しました。


『イワン・デニーソヴィチの一日』



午前5時、いつものように、起床の鐘が鳴る。
マローズ(極寒)に閉ざされたシベリアのラーゲル(強制収容所)の一日が始まったのだ。
いつもなら鐘と同時に飛び起きて、作業に出るまでの1時間半あまりの貴重な時間を有効に使うシューホフだが、その日は気分がすぐれず、なかなかベッドを抜け出すことが出来なかった。
朝から懲罰をくらい、医務室にも行ってみるが作業免除にはならず、とにかく朝食をとって、マイナス27度以下という極寒の中での作業へと出かけていく……そんな風に始まったイワン・デニーソヴィチ・シューホフの一日が終わり、彼が再び眠りにつくまでの出来事が、彼の心情と共に丁寧に語られていく。


ラーゲルにはさまざまな理由で懲役刑となった人々が暮らしている。
軍人、インテリ、バプテスト信者、エストニア人がいてラトビア人がいて、モルダビア人がいる。
そう、ラーゲルの中の社会はまさに当時のソ連の縮図なのだ。
様々な民族によって構成された他民族国家。
支配者、被抑圧者、そして支配者に取り入る者、横領、ピンハネ、賄賂は当たり前、生き残るためには、理想を語って演説をぶつなどもってのほかという社会。


シューホフは根っからの労働者だ。
働き者で手先が器用。働かされている間に様々な技術を習得し、貴重な労働力として頼りにもされている。
何より仕事を始めると、寒さも時間も忘れて夢中になり、自分のやり遂げた成果に満足してほほえむことすらしかねない。
まさに、社会主義国家の主人公にふさわしそうな彼なのだが、とある事情から、10年の刑期のうちすでに8年歳月をラーゲルで暮らしている「囚人」なのだ。


長い年月の中から切り取られたたった「一日」。
ラーゲルという社会の縮図が、大きな国家を反映しているように、今日という一日の積み重ねが一年を、そして長い年月をはぐくんでいく。
点を描いたとみせて、人の一生を、さらにはもっと壮大なスケールの物語をもはぐくむ。
こういう文学は、やっぱり大陸ならではの作風だという気がする。


この物語が書かれた1960年代前半だ。
小説が当時のソ連の政治体制の矛盾を指摘するとともに、作者が実際に体験したことのある強制収容所の実態を赤裸々に告発する内容であったにも関わらず、この小説が抹殺されずに発表された経過については、本書の解説に詳しい説明が掲載されている。
もちろん様々な社会的背景や、この物語に惚れ込んだ人びとの尽力があったからに他ならないのだが、この小説が、当時のソ連という国で受け入れられた一つの要因として、この物語が1人の労働者の日常を描いた「プロレタリア」文学であると同時に、まさに「正統派」ロシア文学の流れをくむ小説でもあるということも一因ではなかろうか。
そんな風に考えてしまうほど、「ロシア」的な物語。
読み手にとっては、ここが好みの分かれ目かもしれない。


イワン・デニーソヴィチ・シューホフの一日は終わった。そして、彼のラーゲルでの生活も。でも、彼の人生は、その後もまだ続いたはずだ。
生きることがつらく苦しく、時に絶望的なことであっても、働くことに、日々の食事に、ちょっとした楽しみに喜びを見いだしながら、人は生きていくのだと、彼の一日は今も語りかけ続ける。






以上の内容はhttps://hatekamome.hatenablog.com/entry/4b7c0629ae02923c7aad0bcf33d29532より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14