物語は1944年8月7日からはじまる。
その日、フランス北部のサン・マロの街に空から大量のビラがまかれた。
“ただちに市街の外へ退去せよ”
ドイツ軍が侵攻していたその街に、アメリカ軍が集中砲火を浴びせるというのだ。
けれどもマリー=ロールにはその勧告は届かない。
大きな屋敷でたった一人、不安に駆られながら大叔父の帰宅を待っている16歳の彼女は、目が見えなかったのだ。
母親は彼女を産んだ際に亡くなり、6歳の時に両目の視力を失った彼女は、それでもパリの博物館で働く父の愛情を一身に受けながら、父の巧みな指導のもと目が見えなくても一人で外を歩けるようになり、点字を覚え、ジュール・ヴェルヌの小説を愛読するようにもなる。
彼女は幸せだった。戦争が激しくなり、父と二人、追われるようにしてパリを脱出するまでは。
妹と二人、孤児院で幼い日を過ごし、ラジオで偶然耳にしたフランス語放送に心を奪われた少年ヴェルナー。
その子ども向けの科学放送は彼の好奇心を刺激し、妹のユッタ以外はなにも信じられなかった彼に科学と技術という確かな拠り所を与えてくれた。
やがて彼は、孤児院を出た少年が皆そうさだめられていたように炭鉱労働者になるのではなく、独学で学んだその知識と腕前を見込まれてナチスドイツの技術兵となる。
500ページを越える長編の物語の全編を通してバックに流れているのはドビッシーの「月光」とジュール・ヴェルヌの『海底二万里』を朗読する声、そして美しい宝石<炎の海>にまつわる不思議な伝説。
だがそれは勢いよく前面に出ることなく、あくまでも名脇役に過ぎない。
二人の主人公、マリー=ロールとヴェルナーの間を行ったり来たりするだけでなく、時代を前後し場面を移しながら語られる物語は、とぎれとぎれのようでありながら散漫な印象は全く受けない。
まるでモザイクのような断章の一つ一つが、緻密に計算し尽くされ、精巧に積み上げられていく。
腕の良い錠前師でもあるマリー=ロールの父親が、盲目の娘が指先で触れて街の様子を理解することができるようにと作り上げた精巧なジオラマのように、ピースの一つ一つがカチリとはまって、やさしく繊細で切なく残酷でけれども温かい物語が作り上げられているのだ。
物語が第二次世界大戦を背景にしているからには、結末は予想に難くない。
けれども追い詰められていくマリー=ロールとヴェルナー、それぞれの見事な心理描写に、読み手は次第にはやまる胸の動悸を押さえることができない。
そしてまた登場人物それぞれの互いへの想い、祖国や愛する街への想いが静かにじわじわと胸を締め付ける。
同時に、一つ一つの言葉にもセンテンスにもエピソードにも、選び抜かれ、研ぎ澄まされた美しさを感じさせる文章は、おそらく原文のものでもあるのだろうが、隅々まで気を遣って訳したのであろう翻訳者の気概をも感じさせるものでもあった。
ピューリッツァー賞を受賞したというこの極めて繊細で美しい長編小説を、この訳者の翻訳で読めたことをも嬉しく思う。
(2016年10月27日 本が好き!投稿)