思い起こせば、私が初めて「これは韓国文学だ」と意識して読んだ作品は、この本の著者である斎藤真理子さんが第1回日本翻訳大賞を受賞した『カステラ』(パクミンギュ著/クレイン)だった。
以来、『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ、筑摩書房)や、 『回復する人間』(白水社)などのハン・ガン作品、お気に入りの作家イ・ギホの『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』(亜紀書房)など、十年ちょっとの間にこれまで読んだ斎藤さんの訳書は(共訳を含めると)軽く10冊を超えている。
そのどれもが、単に面白いだけでなく、いろいろ考えさせられるものを含んでいるのは、韓国文学の奥深さはもちろんのこと、訳者の目利きによるところが多いと思っている。
本書はそんな斎藤真理子さん(以下、著者という)のエッセイ集だ。
タイトルにある「なむ」とは韓国語で「木」のことだそうだ。
1990年、30歳の誕生日に勢いで韓国に留学することを決めたという著者が、当時書いた詩の一節にこんなくだりがある。
留学前に持っている本を古本屋に引き取ってもらう場面だ。「本って、本当に重いですよね」私が言うと おじいさんが答えた。「さようでございます もともと木でございますからね」。
留学先のソウル、その後移り住んだ沖縄、東京、故郷新潟。いろいろな木の育つ土地を尻取りのようにして歩いて
きたという著者。
翻訳家であり、詩人であり、読書家であり、母親であり、常に深い洞察力と、広い視野で物事を真剣に考える一人の人としての著者の思考が、美しい言葉で熱く力強く綴られている。
初出を確認すると。古いもので1994年、新しいものは2024年に発表されているようだ。
あとがきによるとこれらは、1992年~1996年、著者が沖縄で暮らしていた頃に書いたものと、2017年から現在まで、つまり著者が韓国文学の翻訳を手がけるようになってから書かれたものなのだという。
読んでいる間はあまり気にならなかったが、その間に実に20年の空白がある。
そういえば…と、収録されているエッセイの中に『チボー家の人々』のことを取り上げたものがあったことを思い出す。
その中で、ジャックが15歳から一足飛びに20歳になり、成長期の一番肝心なところが描かれていないことに言及するくだりがあったのだ。
もっとも、著者の場合は……と考える。
この本を読んでいくと、書かれていない20年の空白部分は、たとえていうならば年輪のように、その前の数年間の延長にあり、その空白の時期に蓄積されたものを感じさせる、より深くより広い見識のために磨かれた年月であることがわかるのだ。
願わくば私の読書も、その積み重ねが、私自身を、より広くより強くより太くするものであって欲しいと思ったりもした。