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『一人娘』

 

大学院で文学の研究を続けるラウラは「子どもを産まない」と決めている。
世の中は、子どもの世話をするのは男じゃなくてわたしたちっていうふうにデザインされているのよ。子どもを持てば、キャリアも自分のしたいこともセックスも大抵犠牲にしなきゃならない。時にはパートナーとの関係だってぎくしゃくすると彼女は力説した。

うまくいっているときはかわいく、いとおしいとしても、子どもはいつだってわたしたちの自由を束縛し、経済的負担になる。精神的にも物理的にもどれだけ女性の重荷になることか。

子どもを持たないとどうかしていると思われた母の世代とは違って、ラウラ達の世代では産まないと決心する女性も多い。
種の保存のために自由を諦め、自分を犠牲にする者たちと、社会や家族からの非難をいとわず、自分なりの生き方を貫く者たち、女友達は二つのグループに分かれた。
ラウラはもちろん後者で、親友のアリナもそうだったはずだ。

けれどもやがてアリナは結婚し子どもを身ごもる。 
そこで二人は袂を分かち…というわけでなく、少しばかり複雑な思いを抱えながらも、ラウラはアリナのために喜び、友の傍らに寄り添い続ける。

だがアリナは出生前診断で、胎児は生まれた瞬間に命を落とすことになるだろうと告げられてしまう。
子どものために準備したものを片付け、墓地の準備をし、生まれた瞬間に精一杯の愛で抱きしめようと決意するアリナだったが、胎児の時からイネスと名付けられたその赤ん坊は重度の障がいを持って産まれ、そして生きた。
死を受けいれる努力をしてきた心をリセットすることの難しさ。
仕事との両立どころか、ひととき気を休めることも難しいほどの我が子の重度の障がい…。

一方ラウラのアパートの隣室には、息子を事故で失うことにおびえながらも、ほかでもないその息子に亡きDV夫の面影を見てしまう母親がいて、ラウラ自身もまた母との関係に悩んでもいた。

子育てにおける女性たちの計り知れない孤独。
追い詰められる母親たちの姿が描かれる一方で、自分が経験していないあれこれにも賢明に想像を巡らせて、少しでも助けになろうと手を差し伸べる女性がいることの救い。

そうこれは女性が直面しうるという点ではありふれた物語で、そういう意味での苦しさはあるけれど、同時に女たちの共闘の物語でもあって、そこに救いや展望がある。
もちろん多くの課題もまた残されてはいるのだけれど…。


私は子どもがいないから、母と娘の物語を読むとついつい子どもの視点に立って読んでしまうことが多いのだが、この物語は「母」でも「娘」でもなく、「女」として「人」としてあることを肯定してくれているようにも思われた。

グアダルーペ・ネッテルの作品は、これまで読んできた 『赤い魚の夫婦』も 『花びらとその他の不穏な物語』も、ありそうであり得ない、ぞわぞわするような不穏な雰囲気が好きだったのだけれど、この作品は今までと少し趣が違っていた。

最初の数ページこそその違いに戸惑ったりもしたが、読み始めればそんなことはすっかり忘れて、誰かの物語を読んでいるというよりも、自分自身が場面場面に立ち会っているようなそんな気持ちになりながら、彼女たちと一緒にゆっくりと時間を掛けて歩んでみた。
そしてまた本を閉じた今もまだ、あの人この人のその後の人生を気に掛けている自分がいる。




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