原題はTranspatial Modernity: Chinese Cultural Encounters with Russia via Japan (1880-1930)
著者のシャオルー・マー氏は、1984年杭州生まれで、比較文学、とりわけ19世紀・20世紀のユーラシア大陸を越える文学と文化の相互関係を専門にする研究者だ。
著者は本書で、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国の文人たちが日本を仲介者としてロシア文学・文化を翻訳・受容していった過程を、三言語の一次資料を基に明らかにしていく。
リレー翻訳とは、三つ(以上)のテキストの連なりで、別の翻訳からの翻訳で終わるもの
をさす。
最終的な出版物にしか着目せず、あいだに入る訳がほかの読者に消費されることなど意図していないかのようにあつかう「重訳」とは異なり、リレー翻訳は翻訳のプロセス全体へ気を配るようにうながす。その中には、それ自体読まれることを意図して訳された、媒介の役割をはたす中間の翻訳もふくまれる。(p38)
注釈も参考文献も充実している学術書なのだが、正直に言えば、書かれてることの半分……いや3分の1も理解できていないのではないかと思う。
それでも、この本は面白かった。
“だれもがみな同じいまのなかにいるわけではない”
ブロッホ「同時代性の非同時代性」も、エーコやフーコーの引用も、思わず書き留めておきたくなるようなものばかりで興味深かったが、それ以上に、ロシアから日本、そして中国へと、西洋を介さないアプローチがもたらしたあれこれに読み応えがある。
プーシキンの『大尉の娘』がたどった遍歴
宗教的苦悩が取り除かれたトルストイの作品
翻訳によって試みられる文学改革
ロシアの恋愛小説、ニヒリズムやヒューマニズムといった思想が、日本語訳を経て中国に伝わる過程でどのように「変容」していったか。
いやもうそれは翻訳というより翻案小説なのでは…と思ってしまうくだりがあって、永江朗著『日本の時代をつくった本』を思い出したりもした。
中国の文人たちが日本を仲介者としてロシア文学を翻訳・受容していったことを検証する過程で、翻訳とはなにか?どうあるべきか?という根源的な問いかけについても考えざるを得なくて、そこもまたこの本の読み応えを支える重要な要素であるように思われた。