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『ムーア人による報告』

 

1528年、スペインの征服者(コンキスタドール)であるナルバエス率いる探検隊は、現在の米国フロリダ州と思われる場所に上陸した。

インディオの村で一人の奴隷が金塊を発見したことから、ナルバエスは欲に駆られ、一行は金の出所と思われる都を求めて内陸部へと歩を進め始めたのだった。

一行の前には立ちはだかるのは、過酷な自然と指揮官の無策、内部対立にインディオとの緊張関係、物資の不足に病気の蔓延……結果隊は壊滅し、8年後、後続の探検隊に「発見」された生存者はたったの4名だった。
そのうちの3名によってまとめられた報告書が現存するが、4人目の生存者についてはたった1行「エステバニコというアゼンムール出身のアラブ系黒人である」と記されているだけなのだという。

そうした史実を元に、4人目の生存者とされる人物と同じモロッコ出身の著者が描き出したのが、4人目の生存者の視点によるこの物語(報告書)だ。

探検隊の経験したあれこれと平行して語られるのは、エステバニコがエステバニコになる前の話。
イスラーム王朝下のモロッコで公証人の息子として生まれたムスタファは、父親の期待に背いて商人となり、その才を発揮して羽振りよく、一時は奴隷売買までも手がけていたが、ポルトガルの支配が進むにつれ行き詰まり、家族を養うために自らを商品として、キリスト教徒の奴隷となった。
そうして訳のわからぬまま他の奴隷達と共に教会に連れて行かれ、新た名前を与えられ改宗者とされたのだった。

私は奴隷に身を落としたとき、自由を失うばかりではなく、母と父が私のために選んでくれた名前まであきらめざるをえなかった。名前は貴重だ。その中には一つの言語、一つの歴史、一連の伝統、ある一つの世界観が詰め込まれている。名前を失うことは同時にそうしたものとのつながりを失うことも意味する。(p14)


「被支配者」となったアフリカのイスラム教徒が、「支配者」スペインの新たな征服に同行するという矛盾。
遠征隊のカスティーリャ人たちによるインディオにへの暴行を目の当たりにして、我が身のことを考えざるを得ない痛み。

それでもエステバニコは、持ち前の機転と優れた観察眼を生かして、インディオの言語と習慣を学び取り、旅を続ける。
エステバニコを含めた4人の生存者はやがて薬草や衛生や医学的な知識を生かすことによって、インディオたちから幾ばくかの信頼を勝ち取り、それぞれインディオの伴侶を得もする。
すべてを失い、身を寄せ合うことでしか生き残れなかったったの生存者たちの中にあって、自由と平等を取り戻したように感じていたエステバニコだったが、後続の探検隊に「発見」されたことで、再び人生の岐路に立たされるのだった。

「新大陸」発見に限らず、多くの歴史的な記録は征服者の視点で書かれたものだ。
それを征服者でも被征服者でもないが、傍観者でもいられない被支配者の立場から描くことで、正規の報告書では語られなかったであろう不都合なあれこれを含めて見えてくるものがある。

語り口は穏やかで、一見すると静かな物語のようだが、中身はかなり熱を持ち、起伏に富んだ冒険譚でもある。
読みながら色々なことを考えずにはいられない本だった。
一章、一章がかなりの読み応えで、読み終えるまでかなりの時間を要したが、じっくり読むにふさわしい物語だった。




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