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いま読む『源氏物語』

 

五年もの間、小説を書かずに『源氏物語(池澤夏樹=個人編集日本文学全集)』 の現代語訳に取り組んだ作家の角田光代さんと、『紫式部ひとり語り』『平安人の心で「源氏物語」を読む』ですっかりお馴染みになった感のある平安文学研究者山本淳子さんの対談集。

いやはやこれは面白かった。期待以上に面白かった。

たとえば角田さんが問いかける。

源氏物語』は非常に長いなかで話のタッチが変わるんですよね。最初は女性達のエピソードがぽんぽんと並ぶように出てくるんですけど、「玉鬘」になると突然、映画みたいなエンターテインメントになります。そこから「若菜」は物語の集合体のような話になって、最後の「宇治十帖」はいわゆる純文学系の物語のように終わる。この変化は何でしょうか?(p32)


対する山本さんの答えはというと……

紫式部が出仕する前に書き始められたと考えられている「帚木三帖」あたりについては、よく言われていることだから目新しくはないとしても、物語が大きく変わっていくあたりで、後援者が道長から彰子に変わったのであろうことや、紫式部自身や彰子の成長の過程が読み取れるといった話には思わず、なるほど!なるほど!と膝を打つ!

そうそう私も、宇治十帖にはいったあたりで、いつの間にか、母恋し物語から、母と娘の物語に変わってきたなあと思っていたのだ。

藤壺光源氏を愛していたのか」や「末摘花の役割はなにか」などのテーマには、あれこれと考えさせられ、雀の子を犬君が逃がしつるのあの場面が有名なわけに驚き、瀬戸内寂聴さんは花散里が大嫌いで、角田さんは薫君が大の苦手、実は人気の六条御息所……といった話題には、私も、私もと口を挟みたくなる。

講演や対談を拝聴しているというより、レベルの高い読書会に参加しているような感覚で、とても楽しく読めると同時に、これまで古典文学として『源氏物語』を研究してきた学者もその多くが男性であったことをふまえ、藤壺や紫の上や他の多くの女性達の視点から読み直し、そこにまたいろいろな可能性が広がりそうなことにわくわくしたりもする。

この本を読んだ後では、源氏の君がお隠れになって、何だかトーンダウンしたように感じていた「宇治十帖」もめちゃくちゃ魅力的に思えてきた。
正直、角田光代さんの源氏は、淡々としすぎる気がして上中下巻のうち、上巻だけを流し読みしただけなのだけれど、角田さんがどういう姿勢で現代語訳に取り組んだのかを知り、俄然興味がわいてもきた。いずれ通しで読んでみたいかも。
そんなこんなで私の『源氏物語』探求はまだまだ続きそうだ。




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