何年も前に購入し、ひと通り目を通した後もずっと手元に置いて、ふと思いついたときや、関連がありそうな本を読んだときなどにページをめくる。私はこれで、ひとり出版社「共和国」に惚れました
と言い切っていいと思うお気に入りの本だ。
そうではあるが、この本のレビューを紹介するのは本当に難しく、ずっとレビューを書けずにいた。
今回「共和国」設立10周年記念の読書会にあったって、不十分であったとしても、やはりこの本に触れないわけにはいかないだろうと、紹介を試みることにした。
ご存じのように、この本の著者くぼたのぞみさんは、クッツェーやアディーチェの翻訳を手掛ける翻訳家で、詩人だ。
なぜボードレールなのか?
ボードレールについて、耽美で頽廃的な印象しかもっていなかった私は、アフリカ出身作家の作品の翻訳を多く手がけてきた著者の人権意識にも、大いに啓発されきた自覚があるだけに、あのくぼたさんがボードレール!?と、驚きを覚えずにはいられなかったのだ。
フロート・コンスタンシアを訪ねたのは、数年前にケープタウンを旅したときのことだ。アフリカ大陸の最南端にあに位置する風光明媚なこの街はJ・M・クッツェーの生地で、彼が長年住み暮らした土地でもある。
クッツェーの自伝的三部作の翻訳リサーチのために訪れた地で、偶然立ち寄ったワイナリーの名前に聞き覚えがあった著者は、ボードレールの詩を思い出す。
そんな書き出しで始まるこの本で著者は、ボードレールが愛した褐色のミューズ、ジャンヌ・デュヴァルの視点からボードレールの詩を読み解くという方法を試みながら、18世紀から現代に至るまで、ヨーロッパで、アフリカで、そして日本で、褐色の肌を持つ女性がどのようにみられ、語られてきたかを探っていく。
その手法はそのまま、テキストをどう読むか、テキストからなにを読み解くかを読者に問いかけるものでもあるよう。
その問いかけの一つの答えであるかのように、附録として巻末に収録されているアンジェラ・カーターの『ブラック・ヴィーナス』もまた読み応え十分で。
「なにを読むか」とともに「どう読むか」が問われ、読んだ後もそこに留まらず、どう広げ、どう掘り下げていくのかが問われる、読書というものの奥深さを改めて感じさせる1冊だ。