架空の町“ソヨン洞”を舞台に繰り広げられる連作短篇。
ソヨン洞に住む市民のコミュニティサイトで、物議を醸す発言を繰り返す“春の日のパパ”とは何者か?
あの人じゃないかしら?
いやもしかしたら彼(彼女)かも?
そんな憶測から始まる物語に描かれているのは、不動産バブルを背景に、マンションを転売して資産を増やす“一般人”や念願の一戸建てを手に入れた一家、住宅環境や教育環境、近所づきあいや所得格差……等々。
より住み心地良く、より便利に、より資産価値が上がるように…と願う持てる者。
仕事も住む場所もなにもかもが不安定で、なにひとつ選ぶこともままならない若者達。
だが“持っている”と思われる人たちだって、実はいっぱいいっぱいだったりするのだ。
あの物語に出てきた人がこの物語にも登場し、良き家庭人だとおもわれた人物が別の場面では強烈なクレイマーだったり、ママ友たちの憧れの女性が、騒音トラブルの元でありながら知らぬ顔を押し通すような人だったり、個性が強い登場人物達の中で常識的に思えた女性が、別の人物の視点からみるとなんとも感じの悪い人にみえることに驚いたりも。
そこにもここにも私がいて、あそこにもあちらにも見知った顔が見え隠れする。
どこにでもいそうなあの人この人の、ありふれていそうな煩わしいあれこれから、こんなにも目が離せなくて、読んでいるとなぜだか息が詰まりそうなほど胸が痛くて。
いつもながらチョ・ナムジュ、国も生い立ちも立場も異なる読者に“これは私だ”と思わせるのが巧すぎる。