『波』(原題:The Waves)は、1931年に発表された、ヴァージニア・ウルフ7作目の長編で、ウルフの著作の中でも“最も実験的”と評されることの多い作品だ。
あなたは「波」と聞いて、なにを思い浮かべるだろうか。
寄せては返す
大波小波
次々に打ち寄せる
波頭が崩れる
海を見ながら波について考えていると、浮かんでくるあれこれがすべて、この物語に当てはまるような気がしてくるから不思議だ。
この物語を……これは確かに物語ではあるのだが……どんな物語であるかを紹介することはとても難しい。
主な登場人物をあげることならできる。
バーナード、ネヴィル、ルイス、スーザン、ジニイ、ロウダの6人。
幼年期にはじまって、学生時代、青年期、そして中高年…と、物語の中で時は流れていくのだが、ひととおり読み終えてみても、彼らのうち誰一人として、くっきりと浮かび上がってくる人物はおらず、何が起こったのかさえはっきりと順序立てて説明することはできない。
それは、この物語に「語り手」がいないためで、読者は、彼らが口にした言葉から、あるいは各々の胸の内で、自分自身やお互いにについて言及する際にもらすほんのわずかな断片的情報から、あれこれと推し量るしかないからだ。
誰かが誰かに想いを寄せ、誰かが誰かに嫉妬し、誰かが誰かを疎ましく思い、誰かが誰かをうらやむ。
コンプレックスもあれば優越感もあるし、愛もあれば友情もあり、希望もあれば諦めもある。
ページをめくるたびに、6人の胸の内が次々と押し寄せて、ようやくつかんだと思うとまた離れていく。
そう聞けば、なるほどこれは6人の男女の成長譚なのか…と思う方がおられるかもしれないが、そうとも言い切れない。
もう一人、自らはひと言も発せず、胸の内のかけらも明かすことがない、それでいて圧倒的な存在感のあるパーシヴァルという人物もいたりして…。
そしてまた、「意識の流れ」の波間、エピソードとエピソードの合間に、挟み込まれた詩的散文も重要な構成要素だ。
夜明けから日没まで刻々と姿を変える海、日の光、鳥のさえずり、自然の営みを見事に表現するこの美しい散文が、人間たちの物語に彩りを添えるだけでなく、打ち明けられることのないあれこれを見事に補っているかのようだ。
あえていうまでもなく、人間の営みもまた、大きな流れの中ではとてもちっぽけなものだということは、誰だってわかっているはずのことではあるのだけれど……。