読んだ
わたし自身、オーバーワークすることでキャリアのショートカットをしてきた。それはつまり新卒で就職してからの数年、腰掛け感覚で働いていて、努力してこなかった時期を取り戻すために圧縮してキャリアを積む必要があったからなのだけれども、その過程で得たこと、失ったことがある。
終電=定時、つまり終電が来るまでを毎日の定時退社の時間と定めて、めちゃくちゃに働いた時期があった。朝は9時半に出社し、夜は24時23分発の終電車に走って乗り込むような生活を半年以上続けていた。金曜の夜は「明日の朝を気にせず思いっきり残業ができる」ボーナスタイムだったし、必要であれば連続で徹夜もした。
そこで一気にキャリアを貯金できたのは大きかったし、「わたしも必死で何かをやることができるんだ」という自信もついた。
元記事から引用するが、
「頑張るな」と言って、苦しみを避けることを正当化してはいけない。苦しみは、努力の一部だ。「考えろ」と言って、行動しないことを正当化してはいけない。行動は、努力の一部だ。方向を考えながら、苦しみを引き受けながら、行動し続ける。それが、努力だ。楽をしながら成長はできない。考えるだけで変わることもできない。
これはまさにそうだと思う。
死ぬほど考えて、同じだけ行動して、逃げたくなるような苦しみを引き受けることでしか成長することはできない。それを続けられる人が一握りの成功者になれるのだとも思う。でも、ただやみくもに自分の時間や精神を捧げる必要もない。人生には踏ん張るときが必要だ、と元記事には書かれている。わたしもそうした。腹を決めて、深い海に潜るように仕事に没頭する必要がある瞬間というのは、必ず来る。キャリアは階段状に上がっていくので、踊り場でくつろいでいるだけでは上がれない次のステップがある。
でも、その努力は絶対に「自分自身のため」にするものであってほしいと思う。会社のため、上司のため、自分以外の他人のためにするものではない。他人は他人だ。自分の人生に責任は取ってもらえない。わたしも今は主たる生計者として、家族を養うために働いているが、それだってひいては自分のためだ。自分の幸せのため、自分が愛している家族を幸せにするための努力だ。自分の人生で引き受けると、自分で決めた人たちのためだ。
ここをわたしは一度、間違えたことがある。自分以外の人のため、上司のため、会社のために自分の努力を捧げようとしてしまった。捧げても捧げても足りなかったから、どんどん自分をすり減らしていくしかなかった。そして心身を壊し、逃げることになった。
逃げたことは恥じていない。死なないために、生き延びるために必要だった、と今でも思う。ただ、自分のがむしゃらを捧げる先は間違えたな、ということは、とても思う。わたしが自分の人生を捧げる相手は、自分自身でなければいけなかった。
地獄のような数年を経てふたたび社会に復帰したとき、思ったより多くの人がこの地獄を経験してきていることが分かった。薬を飲みながら仕事に復帰した人、寛解したが以前のような無理はできなくなってしまった人、もう社会や仕事から一線を引いて自分自身の人生を守ることを最優先事項とした人。いろんな人がいる。
50歳が見えてきた今、じゃあどうすればよかったんだろう、と何度も思う。視野が狭く、優れた知恵を持つわけでもない凡人のわたしが、なんとかして自分と家族の食い扶持を確保し、様々なステップを上がっていくためには、どういうやりかたがあったのだろう。
今思うと、それは「戦略的に、期限や対象を区切ってがむしゃらにやること」だったのではないかと思う。終わりのないがむしゃらはしんどい。いつまでも期限の来ない努力は、よほど強靭な精神を持つ人にしかできないと思っている。
でも、このプロジェクトが終わるまでは、このトラブルが収束するまでは、このバトンを渡しきるまでは、と自分でゴールを定め、そこまではがむしゃらに、必死に取り組んでみるのはどうだろう。重要なのは、誰かにゴールを依存してはいけないということだ。会社や仕事は、常にあなたの努力を必要としているから、彼らはゴールを定めてはくれない。四半期、半期、通期、それぞれで区切って評価をくれるかもしれないけれど、次に来るのはさらなる高い目標と努力の要求だ。彼らにゴールを決めてもらうことはできない。自分で決めるのだ。自分が定めたゴールまでは120%、200%で走り切る。終わったら意識して休息をとり、自分の努力の成果を振り返る。成果を振り返ることのない努力はよくない。それは自己満足にすり替わりやすいから、正しい方向に力を使えたのかを振り返ることが必要だと思う。そうして戦略的にがむしゃらに働き、戦略的に休息を取ろう。仕事は人生をベットして遊ぶゲームのようなもので、定められたルールがある。でも必ず抜け道や、自分なりのハックはできる。攻略法は必ずあるのだ。
わたしが「逃げろ、そして生き延びろ」を書いたのはもう10年以上前で、それから時代や社会も少しずつ変わってきていると思う。逃げていい、努力しないでいい、穏やかに、マイペースで、つつましく最低限の生活をできればいい、という生き方も否定しない。仕事なんてただの方法でしかない。生きて死なないための方法は、他にいくらでもあるのだ。でも、それでも、あなたが「仕事で成長したい」と思うなら、戦略的がむしゃらに挑戦する、ということを選択肢に入れてみて欲しいと思う。そして自分自身のために、自分の努力を捧げ、このゲームを勝ち抜いて欲しい。人生、一緒に頑張っていきましょう。
今日はそんな感じです。チャオ!
