以下の内容はhttps://hase0831.hatenablog.jp/より取得しました。


戦略的がむしゃらに挑戦しよう

読んだ

syu-m-5151.hatenablog.com

 

わたし自身、オーバーワークすることでキャリアのショートカットをしてきた。それはつまり新卒で就職してからの数年、腰掛け感覚で働いていて、努力してこなかった時期を取り戻すために圧縮してキャリアを積む必要があったからなのだけれども、その過程で得たこと、失ったことがある。

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終電=定時、つまり終電が来るまでを毎日の定時退社の時間と定めて、めちゃくちゃに働いた時期があった。朝は9時半に出社し、夜は24時23分発の終電車に走って乗り込むような生活を半年以上続けていた。金曜の夜は「明日の朝を気にせず思いっきり残業ができる」ボーナスタイムだったし、必要であれば連続で徹夜もした。

そこで一気にキャリアを貯金できたのは大きかったし、「わたしも必死で何かをやることができるんだ」という自信もついた。

元記事から引用するが、

「頑張るな」と言って、苦しみを避けることを正当化してはいけない。苦しみは、努力の一部だ。「考えろ」と言って、行動しないことを正当化してはいけない。行動は、努力の一部だ。方向を考えながら、苦しみを引き受けながら、行動し続ける。それが、努力だ。楽をしながら成長はできない。考えるだけで変わることもできない。

これはまさにそうだと思う。

死ぬほど考えて、同じだけ行動して、逃げたくなるような苦しみを引き受けることでしか成長することはできない。それを続けられる人が一握りの成功者になれるのだとも思う。でも、ただやみくもに自分の時間や精神を捧げる必要もない。人生には踏ん張るときが必要だ、と元記事には書かれている。わたしもそうした。腹を決めて、深い海に潜るように仕事に没頭する必要がある瞬間というのは、必ず来る。キャリアは階段状に上がっていくので、踊り場でくつろいでいるだけでは上がれない次のステップがある。

でも、その努力は絶対に「自分自身のため」にするものであってほしいと思う。会社のため、上司のため、自分以外の他人のためにするものではない。他人は他人だ。自分の人生に責任は取ってもらえない。わたしも今は主たる生計者として、家族を養うために働いているが、それだってひいては自分のためだ。自分の幸せのため、自分が愛している家族を幸せにするための努力だ。自分の人生で引き受けると、自分で決めた人たちのためだ。

 

ここをわたしは一度、間違えたことがある。自分以外の人のため、上司のため、会社のために自分の努力を捧げようとしてしまった。捧げても捧げても足りなかったから、どんどん自分をすり減らしていくしかなかった。そして心身を壊し、逃げることになった。

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逃げたことは恥じていない。死なないために、生き延びるために必要だった、と今でも思う。ただ、自分のがむしゃらを捧げる先は間違えたな、ということは、とても思う。わたしが自分の人生を捧げる相手は、自分自身でなければいけなかった。

地獄のような数年を経てふたたび社会に復帰したとき、思ったより多くの人がこの地獄を経験してきていることが分かった。薬を飲みながら仕事に復帰した人、寛解したが以前のような無理はできなくなってしまった人、もう社会や仕事から一線を引いて自分自身の人生を守ることを最優先事項とした人。いろんな人がいる。

50歳が見えてきた今、じゃあどうすればよかったんだろう、と何度も思う。視野が狭く、優れた知恵を持つわけでもない凡人のわたしが、なんとかして自分と家族の食い扶持を確保し、様々なステップを上がっていくためには、どういうやりかたがあったのだろう。

今思うと、それは「戦略的に、期限や対象を区切ってがむしゃらにやること」だったのではないかと思う。終わりのないがむしゃらはしんどい。いつまでも期限の来ない努力は、よほど強靭な精神を持つ人にしかできないと思っている。

でも、このプロジェクトが終わるまでは、このトラブルが収束するまでは、このバトンを渡しきるまでは、と自分でゴールを定め、そこまではがむしゃらに、必死に取り組んでみるのはどうだろう。重要なのは、誰かにゴールを依存してはいけないということだ。会社や仕事は、常にあなたの努力を必要としているから、彼らはゴールを定めてはくれない。四半期、半期、通期、それぞれで区切って評価をくれるかもしれないけれど、次に来るのはさらなる高い目標と努力の要求だ。彼らにゴールを決めてもらうことはできない。自分で決めるのだ。自分が定めたゴールまでは120%、200%で走り切る。終わったら意識して休息をとり、自分の努力の成果を振り返る。成果を振り返ることのない努力はよくない。それは自己満足にすり替わりやすいから、正しい方向に力を使えたのかを振り返ることが必要だと思う。そうして戦略的にがむしゃらに働き、戦略的に休息を取ろう。仕事は人生をベットして遊ぶゲームのようなもので、定められたルールがある。でも必ず抜け道や、自分なりのハックはできる。攻略法は必ずあるのだ。

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わたしが「逃げろ、そして生き延びろ」を書いたのはもう10年以上前で、それから時代や社会も少しずつ変わってきていると思う。逃げていい、努力しないでいい、穏やかに、マイペースで、つつましく最低限の生活をできればいい、という生き方も否定しない。仕事なんてただの方法でしかない。生きて死なないための方法は、他にいくらでもあるのだ。でも、それでも、あなたが「仕事で成長したい」と思うなら、戦略的がむしゃらに挑戦する、ということを選択肢に入れてみて欲しいと思う。そして自分自身のために、自分の努力を捧げ、このゲームを勝ち抜いて欲しい。人生、一緒に頑張っていきましょう。

 

今日はそんな感じです。チャオ!

50歳を前に、スキルの天井が見えた

よい記事を読んだので、最近思っていることなど。

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20代の後半で本格的に仕事に取り組むまでは、言葉は悪いけれども「腰掛け」のような感じで働いていました。なので、新卒ボーナスというか、もっとも丁寧に仕事のノウハウをインストールしてもらえる新卒期を漫然と過ごしてしまい、30代で心身の不調を感じ休職するほど死ぬ気で働き、遅れを取り戻す必要がありました。

死ぬ気で働くことの是非みたいなのはありますが、いったん横においておくとして、わたしにとっては必要な時間でした。そうすることで遅れを取っていた経験を圧縮して得ることができたし、経験を得ることで自信もついた。そういう視座を持つ人たちの中に自分を置くことで得られた人との縁、というのもあります。

さて、そうして30代で圧縮して得られた経験を元手に転職をして年収を上げたり、より自分の興味がある仕事についたりできた40代なわけですが、50歳が見えてくるに従い、だんだん自分の手持ちの資金が尽きてきた感触が出てきました。

もともと、大量の時間を投入して「質」より「量」でなんとかする、という働き方で味をしめてしまったこともあり、結婚して家庭を持ち、子どもを産んでからはその手法が取れなくなった。時間に制約が生まれ、「質をカバーするために時間(量)を投下する」ことができなくなったんですね。このままではいけない、このままいくと、スキルの天井にぶつかり、成長企業の中で存在価値がなくなってしまう、という焦りばかりで空回りしてしまい、2025年の前半はまったくふるわず、苦しい時間を過ごすこととなりました。

そこで必要になるのが、冒頭で紹介した記事にあるような「変わり続けること」であり、過去の自分を思い切って捨てる勇気なのだろうと思います。でも、わたしはなかなか過去の自分を捨てる勇気がわかなかった。だって、30代、死ぬ気で、ほんとうにそれこそ死んでもいいくらいの気持ちで働いて得たスキルです。簡単に捨てられるわけがない。わたしのアイデンティティの根源であり、自分が自分らしいと思える振る舞いの作法だったわけですね。

でもこのままの振る舞いでたどり着ける未来はあまりかんばしくなく、すでに自分が天井にぶつかっている、ということを自覚してからは、まさに背水の陣という状況で、古い自分を壊して、その屍を乗り越えなければいけない、という覚悟をする必要がありました。

そうしたとき、わたしの支えになったのが家族であり、友人だったのではないかと思います。仕事や会社の関わりというのは、「ともに成長する」ことが合意された共通認識であり、切磋琢磨するための仲間です。逆を言うと、その場に居座りながら成長したくない、成長できない、このままの自分でいたい、というわけにはいかないんですよね。

でも、家族や友人との関係は、そうではない。そのままの、今のままの自分でもいいし、もちろん成長してもいい。でも、成長しなくてもいい、というのを受け入れてくれる、その安心感を足場にすることで、初めて古い自分を捨てていけるんじゃないかなと感じました。

 

今のわたしはまさに「過去の自分」を捨て、その屍を乗り越えようとしているところです。周囲には成長するためのヒントや、お手本になる人がたくさんいます。今、天井を破れないと、ここにいる価値はない、と自分を追い込む必要があります。

でも、仕事を終えたら、だらしなくてずぼらで、どうしようもない自分を愛してくれる人たちがいる。そのオンオフをしっかり意識しながら、ぶつかっている天井を破って、尊敬している人たちと新しい場所へ行けるといいな。

そんなことを、最近は考えています。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

人間を「断捨離」するなよ

「わたしは友だちが少ない」というテーマでここ数日考えていたのだけれども、そういう趣旨の記事を読んだりAIに壁打ちしてもらってみると、最終着地は「友人は少なくても自分が豊かに生きられているのであれば、それでよい」という感じになることが多い。

「自分が豊かであれば、友だちの数は問題ではない」という着地には同感するし、息苦しい人間関係であれば一度整理したほうがよい、という結論は理解できる。ただ、どうしても「友人を『断捨離』しましょう!」という言い方に、とても違和感を覚えてしまうのだ。

 

もともと『断捨離』という言葉は、やましたひでこさんという人が「片付けのメソッド」として提唱されたもののようで、不要な物を「断ち」、手放し「捨て」、物への「執着から離れる」という考え方のよう。なるほどモノの整理にはよさそうだし、ただ捨てるだけでなく、物への執着から離れる、という発想も共感できる。わたしは「モノより思い出」派なので、強い思い入れがない限り物を手放すことに抵抗はないが、何に対しても思い出があるから取っておきたいという「モノにも思い出」派の娘とぶつかることがある。たとえばサイズアウトした服(ファーストシューズ、とか、初めて買ったワンピース、とか、記念的な意味があるものは別として)はバンバン処理するし、子どもの力作はデータ化したり額装したりはするが、そうではないものは一定期間保存したのち処分してしまう。自分の持ち物も、一定期間持ってみて「使わなさそう」と思ったら、捨てるのにそこまで抵抗はない。そういう意味では、「断捨離が苦手な人」ではないのだろうと思う。

 

ただ、もともとが執着の強い人間というのは自覚していて、だからこそこんなに長い間ブログを書き続けているのだろうけれども、同時に「執着が強い自分」というのにやや嫌悪感があるのも事実。

「執着」については10年前にこんなエントリーを書いたことがある。

執着を捨てる。良いできごとにだけ目を向ける。 - インターネットの備忘録

執着しちゃうっていうのはそれなりに思い入れとかがあるんだろうからゼロにはできないし、ゼロにならないからって焦って無理やりもがいても意味は無いので、それよりも「いま、できていること」「誇りに思えること」はないかを意識して見つけるほうが、よっぽどいい。

人間関係についても、同じ。

執着を捨てる。相手の気持ちを知りたがらない。自分のしたいことだけする。未来を楽しみに思っても、期待はしない。

— はせおやさい (@hase0831) 2014年12月7日

当時は人間関係で悩むことや、相談を受けることが多くて、そういうときに感じていたのが「これは執着なのか?何なのか?」をしっかり切り分けないといけないのだということ。

本当に自分に必要な関係性であれば、なぜこんなに悩んだり苦しんだりするのだろう、というのをずっと考えていて、それはきっと「見えている目の前の相手」にフォーカスせず、「相手の気持ち(見えないもの)」を深く知りたがるから発生しているのかもしれないと思ったのだ。

要するに、人間関係に執着してしまうとき、わたしは相手の気持ち(見えないもの)を知りたがっている、というのを自覚的である必要があるし、良い意味で「そんなのわからないよね」と一歩引いたスタンスを取るほうが、うまくいくことが多い。例えば言葉の裏を読むとか、言っていないことを汲み取るとか、そういうことをするのをやめた。それに「相手のすべてを知って理解したい」、という感情は、相手を支配したい、という感情まで3ホップくらいで行ってしまいそう、というおそれが自分の中にあることも大きい。

 

とはいえ、「友だちが少ないのは悪いことではないですよ!」と高らかに宣言され、「不要な人間関係は逆に人生のネガティブ要素になるので、断捨離しましょう!」と言われて「なるほどそうですね!」と思えるほどドライにもなりきれない。

これについては2009年にすでに書いていて、

つかず、はなれず - インターネットの備忘録

・求めすぎない

・与えすぎない

・今だけ見ない

がキーワードだなと思っているのだけれど、相手に求めすぎてもいけないし、逆に与えすぎてもいけない。与えすぎる、というのはすぐ求めすぎることに反転するし、「与える」とは一見とても善行のように思えて、相手を支配するための大義名分にもなりかねない、というのが持論としてある。

そして一番大切なのは、「今だけ見ない」の部分。「今の関係だけ見ない」というのは「今この瞬間の状況だけで相手との関係に見切りをつけない」という意味である。

誰だってそうだと思うのですが、いいときがあれば悪いときもある。ひとにはそれぞれ事情があり、ものにはタイミングがあると思います。

これを忘れて今この瞬間だけ見てワーッ!ってなると悩んじゃって人付き合いがしんどくなっちゃうと思うので、いいときはともかく悪いとき、相手との関係がなんかちょっとドヨ〜ンとしてるなーというときほど「今このひととはそういう時期なんだな」と一歩引いてみる。
ほんとにご縁のある相手なら、いま離れていてもまた仲良くなる時期がくるし、そのまま離れていっちゃうなら、その人とはそういうご縁だったと思うこと。

これを着物の柄の「よろけ縞」にたとえて、「つかずはなれず」でいけるといいなと思っていたのが2009年。

「よろけ縞」の参考画像

この、1本1本の線が自分の人生だとしたら、いろんなひとと近づいたり離れたりするときがあるのは当たり前で、近づいたときの時間にフォーカスし、そのときをしっかり大切にするのが大切、という考え方をしている。

 

要するに、一定の距離を保ちつつ、もっと長期間で関係性を見るほうが、結果的に相手との良い関係を作れるのではないか、と思っているのだ。まあ今のわたしに断捨離するほど友人が多いのかというとそうでもないのだけれども、この瞬間に相手のことを「いやだな……」と感じたからといって、一度できた縁を捨ててしまうのは、あまりにもったいない。

 

何が言いたいかわからなくなってしまったけど、友だちの人数が少ないのを恥じることもないけれど、だからといって積極的に減らす必要もないんじゃない?そもそも、人間はモノじゃないんだから、「断捨離」とか言って勝手に縁を切るんじゃないよ、ということが書きたかったのだと思う。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

友だちの多さで自分の価値を測るのもうやめたい

前の記事で「わたしは友だちが少ない」という話を書いたのですが、そもそもなぜ「友だちが少ないとよくない」と思ってしまうのか、というところを書いてみたいと思います。

マジでなんとなくなんですが、子どもの頃からなにか良くないことをすると、親から「そんなんじゃお友だちができないよ」と叱られた覚えがあります。喧嘩すると「だからお前は友だちが少ないんだよ」と言われたこともあったり。そう思うと、わたしにとって「友だちが多い=良いこと」というのは、親からの刷り込みだったのかもしれません。

 

確かに、子どもの頃はみんなの中心にいて、話題の主役になっている子のほうが人気者、というイメージがありますよね。少なくとも、わたしは人気者ではなかったし、学級委員体質で、ふざける男子を帰りの会で糾弾したりしていました。それでも数人のお友だちはいた覚えがあるし、お誕生日会を開けば何人かは来てくれた記憶があるので、嫌なやつではなかったのでしょう。でも、それでもどことなく「わたしは友だちが少ない」という後ろめたさから自由になれることはありませんでした。

 

では、なぜ「友だちが多い=良いこと」だという価値観に逆らえなかったのでしょうか。

 

承認欲求と所属意識の充足

1つめは、承認欲求と所属意識からくるものなのだろうと思います。本質的に、大人になった今でも、わたしは承認欲求と所属意識から自由になれてはいないのですが、子どもの頃は余計にその意識が強くありました。◯◯ちゃんの友だちとして認められたい、といった子ども同士の関係だけでなく、大人から「いい子だね」と言われることが、ものすごく嬉しかった。我が家は両親ともに聾唖者で、母親は病気がちで入院していることが多く、「母親代わり」にいろんなことを担っていたのですが、そこで褒められるのが本当に嬉しかったんです。

言い換えると、ただ言われたことをやっているだけで、インスタントに「ここにいていいんだ」という実感を手に入れられたのだと思います。母親の病気は心因性のもので、その原因はお前にある、と親族から責められたことがトラウマになっているのかもしれません。子どもの頃は、「わたしのせいで家族が壊れたのだ」と自分を責めることが多かったのですが、そのぶん、欠けた穴を埋めるように、母親の役割を担えば周囲はとても褒めてくれました。自分であけた穴を、自分で埋めているだけなのに!と思いつつも、周囲の大人から存在を認めてもらえてるようで、気持ちが安定しました。

そして同時に、母親代わりに家事をしたり家族のケアをすることは、自分の役割はここにある、という所属意識も満たしてくれるものでした。今、自分が子育てをしている身として考えると、まったくありえない話です。子どもはただそこにいて、存在するだけで素晴らしく、何も担ったり責任を果たす必要がないからこそ子どもなのに!

 

話がそれましたが、まずこの承認欲求と所属意識の充足、というのは強烈にあったのだと思います。学校に置き換えると、◯◯ちゃんとわたしは親友だよね、と認め合うことであったり、わたしは◯◯ちゃんグループの一員(仲良し組)だよね、と思えることであったり、といったことでしょうか。

 

集団意識と「人脈」という幻想

そして2つめ、これは中学から社会人になって培われたものだと思うのですが、集団意識と、人脈=宝という刷り込みです。中学や高校に上がると、集団に属していることが具体的なメリットになることが増えました。

わたしはいわゆる「耳年増」というやつで、噂話や年上の人たちの話を聞くのが好きでした。周りが知らない情報を得てそれを伝えることに愉しさを感じていたのだと思います。そうなると、集団で行動することにメリットが発生してきます。時代的にも、いわゆる「コギャル世代」としてラベリングされ、そのラベルに沿って振る舞うと、ちやほやされたり、優遇されたり、良いことがたくさんありました。

その価値観のまま大人になると、今度は「友だちの多さ」が「人脈」として転用されるようになります。自分の生活圏内で増やせる友だちの数は頭打ちとなり、いわゆるクラブイベントや、異業種交流会的なものに出入りするようになっていきました。ポケベルからPHSガラケーへ移行し、電話帳のメモリが埋まっているほどスゴい、という評価軸が産まれ、それはそのまま名刺入れの厚さ=交換した名刺の数として評価されるようになります。

わたしは新卒で営業職に配属されたので、その傾向は加速していき、とにかくいろんな会社やいろんな人と名刺を交換したことで評価される機会が増えました。今、冷静になると笑ってしまう話ですが、展示会や異業種交流会に連れて行かれ、「今日は名刺を◯◯枚交換するまで帰ってくるな」と言われたりしていたのです。今思うと、ただ名刺を交換しただけで何の商談にも繋がらないのであれば、単なる資源の無駄遣いです。でも、とにかく必死でした。

 

価値のスコアリングと「リア充」という同調圧力

そうして社会人生活が続き、ダメ押しになったのがSNSだったのだろうと思います。マイミクの数が増えていくのに喜びを覚え、Twitterのフォロワー数の増減にドキドキしたのが昨日のことのようですが、いわゆる「友だちの数」がスコアリングされるようになってしまったことの功罪を全身に浴びたのです。

特にTwitter初期は今ほど殺伐としていなかったので、キャッキャウフフのオフ会に参加しまくり、「けまらしい」と言われてもフォロー/フォロワー数が増えるのが楽しかった。自分の価値が数値化されていくような快感と怖さが同時にあったのです。「ぼっち」という言葉も、この頃から盛んに目にするようになり、「ぼっちは嫌だ」「みじめだ」と思うようになったことも大きかったかもしれません。要するに、孤独と付き合えるほど成熟していなかったんですね。

 

友だちの多さで自分の価値を測るのもうやめたい

あれこれ書きましたが、今でもTwitterのフォロワー数が減ると少しさみしいです。一瞬でもわたしに興味を持ってくれた人が、今は興味を失ってしまったのだな、と感じるからです。

でも一方で、「フォロワーの数は、自分に向けられた銃口の数」という考え方も理解できるようになりました。「わたしに興味を持ってくれている」というのは、ポジティブな意味だけではないのです。ネガティブな意図で、わたしが失敗したり、不幸になるのを期待したり、失言を待って揚げ足を取ろうと、こちらを伺っている人も、フォロワーの中には含まれているのですよね。そういう意味でも、数が多いからスゴい、という価値観は早めに手放していきたいなと思うようになりました。

 

前回の記事を書いたあとに思ったのは、多くはないけれど、わたしには友人がいる。わたしと夫の結婚の証人になってくれた友人がいるということ。頻繁ではなくても、折りに触れ飲みに誘ってくれる友人がいるということ。お互いライフスタイルは変わったけれど、居心地のよい遠さで付き合ってくれる友人がいるということ。片手で数え切れてしまう規模の人数ですが、これがわたしの抱えられる人間関係の上限なのかもしれません。

 

自分の上限が分かったからこそ、この人数規模なのだろう、と思うとだいぶ気持ちもすっきりしてきました。まず「友だちの人数」で人生の豊かさを測ろうとしないこと。夫という親友が1人いてくれるだけでも、わたしにとっては上々です。

 

そんなことを考えつつ、引き続き「友だち」とはなにか?について思いを馳せてみようと思います。また書けたら書きますね。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

ママ友との「ちょうどいい」距離って何?

わたしにはママ友がいない。

正確に言うと、会えば雑談したり何かの飲み会に誘ってもらえたりする方はいるのだが、こまめにLINEを交換したり、少人数で遊びに行ったりする人がいない。娘は保育園に0歳のときから通わせていたが、6歳で卒園するまで、結局そういう人はできなかった。

 

要因を考えてみたことがある。まず思いつくのは、保育園に子どもを預けるのは、有職で働く親が多いことだ。退園時間がバラバラなこともあり、顔見知りが作りにくかったり、会話をする時間がなかったせいだろうか。いや、それでも退園時に保育園の下駄箱のところで世間話をしている母親たちを見かけることはあったし、実際それで周辺住民から苦情が来るほど保護者がたむろしていた、という問題も聞いたことがある。であれば、忙しい時間帯だから話す時間がないということは関係ないだろうし、幼稚園なんかである「保護者が集まってなにか作る時間がないから」というのは、理由にならなさそうだ。

 

他の原因に思いをはせると、我が家は夫の送迎率が非常に高く、保育園がらみのことは夫に任せきりだったこともあるかもしれない。我が家が通わせていた園は、男性保護者の送迎率がそれなり高いほうだったと思うが、まだまだ女性保護者が送迎していることが多かった。なので、夫経由でパパ友・ママ友ができる期待は薄かった。それに夫は背も高く、服装は黒ずくめに長髪で、話しかけやすい風貌かというとそうではない。それにこれはわたしの問題であって、夫の責任ではない。

 

他にも、保護者同士が顔を合わせるといったら子どもの行事、例えば運動会とか、おゆうぎ会みたいなものがあったが、我が家は夫婦で参加していたので、どうしても話しかけられにくい……というか、もともと自ら話しかけに行くタイプではないのも問題だったかもしれない。周辺の保護者たちが楽しそうに話している輪の中に入れてもらっても、曖昧に微笑むだけで、たいして自分から話を振れなかったのもある。これもわたしの問題だ。

 

もっとも会話する機会が多かったのは卒園のタイミングで、保護者がグループに別れてそれぞれ卒園式で出し物や記念品を準備する企画があったのだけれど、仕事にかまけてあまり関わることができず、わたしがやったのは当日のちょっとした司会?のみ。ここでもまた存在感を発揮できずに、そそと当日を終えることとなった。

 

振り返ってみると、節目節目で趣味の合う人と会話したり、意外な共通点があって話が弾むことはあれど、自分から連絡先を聞けずに終わってしまってばかりだった。送迎していればいつか会うだろうし、グループLINEはあるからなにかあれば連絡はつく、という油断もあったと思う。でも卒園したのち、小学校に入学してから疎遠になってしまって、受け身だと何も起こらないのだなあというのをしみじみ思い知った。

 

というか、そもそもわたしにはママ友に限らず、友だちと呼べる人が非常に少ない。仕事以外で日々会話をしているのは夫と娘で90%を占める。残りの10%で、たまーにやりとりや業務連絡をしてくれる人がいるくらいで、それも本当に「まれ」である。

 

なぜだろう。

 

わたしに問題があることは間違いない。まず受け身であること。連絡不精なので、自分から何気ない連絡というのをすることができない。また、誘ったとき断られたら悲しいので、というか、そもそもわたしから誘われても迷惑だろうなと思うので、誰かをなにかに誘うまでのハードルが非常に高い。別にひどい扱いをされた経験がある、とか、嫌な断られ方をしたことがある、とかでもないのに、自分から誘うというのがめちゃくちゃ億劫なのだ。

 

自分に自信がないわけでもないのに、友だちづきあいが非常に下手なのはどうしてだろう。そもそも友だちとママ友は、何が違うのだろう。

距離感か?話題の種類か?それとも、価値観なのか???

 

一方で、イベントを企画して人を集めるのは、苦ではない。これは企画をひらいて「来たい!」と言ってくれる人がいるからであり、断られたときのショックが小さいからだろう。わたしはあくまで主催者であり、別にあなたが嫌なら来なくても大丈夫ですよ、という逃げのスタンスが取れるからだ。そう思うと、わたしは他者との距離感を取るのが本当に苦手なのだろうなと感じる。好意を持つと近づきすぎたりするし、逆に嫌われるのを怖がって離れすぎたりしてしまうのだ。

 

40代も後半になってこんなことで悩むのは馬鹿らしいのだけど、これはこれでわたしの個性なのだろうとも感じており、明日から「ハイッ生まれ変わりました!」と活発に知人たちへ連絡を取るようになったら、何か別の方向の心配をしたほうがよいとも思う。

良いふうに言うと夫が一番の理解者で親友だから、だいたいのことは夫が話しを聞いてくれるので、会話したい欲は家庭内で完結している。また、悩みごとも人に相談することに慣れていないせいもあり、アドバイスの求め方がよくわからない。

 

巷間では「女性同士は年齢を重ねると、お互いを上手にケアする」みたいな話題があるようだが、どっこいここにケアできないおばさんがひとりいる。わたしだってケアしたいし、ケアされたい。でもそういった欲は夫で満たされてしまっていて、特段必要とも思えていないのだ。しかし、老後を迎えるにあたり、このままでいいのかな?と思う気持ちと、ここまで来たらもう人生どうしようもねえだろ、という気持ちが共存している。どうしたものだろうか。

 

とはいえ、そういえば子どものころから友だちって苦手だったよな〜みたいなことを思い出したので、折りに触れ過去を振り返りながらその原因を探りつつ書いていってみたいと思う所存です。

 

今日はそんな感じです。

チャオ!

リモートワーク入社、子育てしながらのフルタイム勤務5年目の所感

この記事で書いたようにSmartHRに入社し、5年目を迎えることができました。

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まる4年を経て思うことなどを備忘しておこうと思います。

 

フルリモートでの入社オンボーディングに苦戦

コロナ禍での転職ということで、面接〜入社オンボーディングもすべてフルリモート。自宅にPCを発送いただき、セットアップも自分で行う必要がありましたが、とてもスムースに終えられたのを覚えています。

SmartHRは入社オンボーディングがめちゃくちゃ手厚いのですが、ものすごい情報量で、最初の2週間はそれについていくのに精一杯。なんとか業務に着手できるようになってからも、怒涛のSlackチャンネルの流速に圧倒されました。

このとき考えていたのは、フルリモートでの中途入社は本当に難しく、信頼貯金ゼロの状態から周囲の人と関係値を作り、課題を抽出して取り組んでいかなければいけないということ。

下手すると「外部からやってきた中途半端なコンサルがチームを荒らして去っていった」みたいな状態を作りかねないので、めちゃくちゃ気を遣っていたのを覚えています。

なので、まず取り組んだのは当時20人強いたチームメンバー全員との1on1。ヒアリングしながらチームと会社のムードを掴もうと必死でしたが、これは良い効果もあったので、中途入社で「どこから手を付けていいか分からない……」みたいな状態の人にはおすすめしたいです。

アジェンダとしては、簡単なアイスブレイクのあと

  • 自己紹介(何をやってきて、この会社では何をしたいか)
  • 今どんな業務をしていますか
  • 今の業務で困っていることはありますか
  • すぐ改善したい困りごとはありますか、解決できない障壁は何ですか
  • わたしにシェアしておきたいことはありますか
  • 今のあなたのムードをお天気で表すと☀️☁️☔どれですか?

みたいな感じで、項目を揃えてヒアリングし、困っていることとそれに関わる障壁がどんなものかを教えてもらいました。なるべくリラックスしたムードで話すことを意識しましたが、今思うとガチガチで、メンバーのみなさんにずいぶん助けられたなと思います。

やることが……やることが多い……!

暖かく迎え入れていただいたはいいものの、課題をヒアリングしていくとまだまだ立ち上げ期という感じで、チームは混沌としていました。よく耳にしたのは「闇が深いんですよ」という言葉。ブラックボックス化、属人化してしまっているということだと解釈したんですが、それもそうで、ものすごいスピードで成長していく会社と、そこから発生する制作物の量がすさまじく、ある程度の属人化は致し方なし!という状態でした。逆にあの規模であの物量をよく対応していたな……と思うほど。

なのでわたしがまずできることというのは、現状を分解してやる/やらを分類していく、とか、今までなかったドキュメントのフォーマットを整えるとかせいぜいそれくらいで、あっという間にその濁流に巻き込まれていくことになるわけです。

そこから自分のチームを持たせてもらい、立ち上げを担っていくのですが、同時に子どももどんどん成長していくタイミング。コロナ禍後、保育園の預かりは復活していましたが、日中にフルスロットルで仕事をして、終わったら子どもの世話や家のことをしていると、本当にやることが多すぎて、頭がどうにかなりそうでした。

子どもが生まれてすぐの頃いた会社は、フル出社だったこともあり、ある程度は夫に任せてしまっていたのですが、夫のキャリアも今後見通しを立てていかなければならず、かつ、我々の両親はそれぞれ遠方。特にわたしの両親はもう高齢で、サポートは望めないので、夫婦ふたりでなんとかするしかねえ!という覚悟を決めて気合いで乗り越えていこうと誓いました。

この当時は、本当に保育園に救われました。0歳から預けたのでいろいろ言われることもありましたが、うちは早くから預けて良かった。まず生活に余裕ができたというのもあるし、保育園の先生が寄り添ったサポートをしてくれて、さすがプロ……!と感動してばかりでした。

プロのサポートを得られると、ものすごく精神的に安定するので、もしこれから保育園に預ける予定で不安な方がいたら、きっと大丈夫!とお伝えしたいです。

もちろん先生との相性があまり良くなくて、不安になる年もありましたが、それでもたくさんの思い出や支えをいただいて、本当に本当に感謝しています。

結局最後は、家族一丸でやるしかない

そして子どもはこの春から小学校に進学したわけなのですが、わたしは管理職になり、夫もある程度キャリアを積み、忙しく執筆活動を続けている現状は、「忙しさの種類は変わったけれど、やることが多いのは変わらない」状態です。

保育園の攻略方法と小学校の攻略方法も違うし、メンバーとしての成果を出す動きと、管理職として成果を出す動きもまた違う。最初は混乱することもありましたが、半年過ぎたあたりからだいぶ様子が分かるようになりました。

重要さを痛感したのは夫婦の情報連携です。夫はフリーのライターなので、土日に仕事が入ることがあるし、金曜に取材した内容を月曜に提出してくれ、みたいな、会社員では考えられないスケジュールもあったりします。

夫婦の情報連携は、共有のGoogleカレンダーを設定して、なにか予定が入ったらそこに全部入れる、というルールですが、どうしても入力忘れや変更など発生します。結局は顔を合わせたときに「来週こういう予定が入ったんだよね」と口頭でも共有して、予定だけでなく、お互いの忙しさや最近やっていることなど、ざっくりとした全体の状況を把握しておくことが必要だなと思っています。

また、小学校に入って面食らったのが大量のプリントで、いろいろ試したのですが今はこのアプリで管理+冷蔵庫にマグネットで貼りまくるスタイルで運用しています。内容をAIで要約してくれるので、「あのイベントの持ち物ってなんだっけ??」というときにとても役立ちました。

memomeapp.com

子どもは小学校が終わったら学童保育へ行きますが、「今日は早く帰って家にいたい」と言うときもあるし、あんなに大きなランドセルを背負って毎日学校に通っていたら、そりゃあたまにはゆっくり休む日も欲しいよね……というのが痛いほど理解できます。親としては、なんとか叶えてあげたい。そういうときに、リモートワーク可というのは本当に助かっています。

というか、今の会社でなければわたしは子どもを育てられていないし、家族を養うこともできていないと思います。仕事と育児、どちらかが破綻して、仕事を手放していたかも。現在の仕事の目標は高く、タフなミッションを与えられていますが、それをしっかり達成しなければと思えるほどありがたい環境を提供してもらえていることに、心から感謝です。

そして子どもを一緒に育ててくれている夫にも感謝していて、なんというか、当事者としての意識がすごく高いのがめちゃくちゃありがたい。課題や困りごとを自分ごととして取り組んでいるかどうかというのは、ちょっとした会話の節々で漏れ出てしまうと思うのですが、そういう意味で精神的に安心して家庭運営ができているのは、夫のおかげでもあります。

 

ということで、振り返ってみると、ラッキーに次ぐラッキーで「なんとかなった!」という感じではありますが、死にものぐるいで「なんとかなれーッ」と思っていると、なんとかなるのかもしれません。状況をネガティブに捉えようとすればいくらでもネガティブに感じてしまうのと一緒で、なるべく「ま、こんなもんでしょ」とポジティブに構えているのが大事なんだろうな。

 

ということで5年目も前向きに頑張っていきたい所存でございます、という所信表明をもって誕生日&入社記念のエントリーといたします!

今日はそんな感じです!

チャオ!

偽善だとしても、行動しないとやってられねえよ

不定期だが、銭湯で親子連れが入浴を楽しめるイベントを企画している。最初は主宰として、だんだんライフステージが変わるに合わせてサポートスタッフとして、関わり方を変えながら、子どもを育てる保護者たちが、その土地のハブとなる銭湯に入るきっかけを与えたいと思って続けている。

月々の給与をやりくりして、いくつかの団体に寄付を続けている。わたしができないことをしてくれている人たちへ、感謝とせめてもの応援の気持ちを伝えたいからだ。

 

そういう活動をしていると、たまに「偽善的だね」と言われることがある。確かにそうかもしれない。わたし1人がやれることには限度があるし、こんなに少ない額を寄付されたとしても焼け石に水だろう。それでも行動しないとやってられないと思うのは、「善」を行使したいからではない。怒りの矛先をどこに向けていいかわからないからだ。

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