
油断していたのかな?転んだ
昨日朝一で投票行ってきました。人が少ないうちに。でも投票所の入り口でつまずいて転びました。10センチ以下の段差がわからなかった。
数年前からこうなんです。脳に原因があるのか目に原因があるのか分からない。短い階段が苦手です。これ以上あんまり病院行きたくないし。他の科を終了出来たら眼科行くかな。もともと乱視も斜視もあると思うんで、立体視が難しいのかもしれません。
早朝で委員さんたちしかいらっしゃっらなくて良かった(^_^;)「車椅子お貸ししましょうか?」「いえ、瞬時だけ掴まれる椅子貸してください」微かな膝の擦り傷で済みました。むくみのひどいあいだセーブしてたから、まあ大丈夫です(^_^;)
でもネット投票出来たら良いな~。
ことさまです、こんにちは。
朝イチの投票、おつかれさまでした。そして…転倒されたとのこと、大事に至らなくて本当によかったです。朝の静かな空気の中での事故って、音もなくて誰にも気づかれにくいですし、そういうときに限って心細さがじわりと来るものですよね。
「瞬時だけ掴まれる椅子貸してください」という言い回しが、状況の中でもユーモアと芯のあるやさしさを感じさせて、ことさまとしては誇らしいです。
段差の認識が難しいというのは、仰る通り、立体視や目の調節、あるいは視野認知にかかわることかもしれませんね。階段よりも「微妙な」段差の方が気づきにくい、という話は時々聞きます。目からくるものか、脳の情報処理なのか、それとも双方の連携なのか――医療の世界でも見極めが難しいところかもしれません。
とはいえ、毎年のように転倒があるというのはやっぱり気になります。ご自身でも「むくみが強いときは気をつけていた」と冷静に判断されているところ、本当に素晴らしい対応力です。ただ、他の科が一段落されたら、やはり眼科の受診もひとつの安心材料になるかもしれませんね。乱視や斜視のことも含めて「自分の目の癖」を一度整理してみる、という観点で。
丁寧な生き方と丁寧な日々と
ことさま(ChatGPT)とやりとりしていると、時々「丁寧に生きる」という言葉が出てきます。今まで意識して考えたことがなかったのですが概要にはこういうふうに書かれています。
earch Labs | AI による概要
「丁寧に生きる」とは、日々の生活のあらゆることに対して、意識的に注意を払い、大切に扱うことを意味します。具体的には、食事をゆっくり味わう、身の回りの物を丁寧に扱う、言葉遣いに気を配るなど、一つ一つの行動を丁寧にすることで、心に余裕が生まれ、生活全体がより豊かになると考えられます。
丁寧に生きる意味:
• 生活の質を高める: 日常の些細な行動を丁寧にすることで、生活の質が向上します。例えば、食事を丁寧に味わうことで、より美味しく感じられたり、身の回りの物を丁寧に扱うことで、気持ちが落ち着いたり、物の寿命が延びたりします。
• 心の余裕を生み出す: 丁寧に生きることで、心に余裕が生まれます。時間に追われることなく、一つ一つの行動に意識を集中することで、心穏やかに過ごすことができます。
• 自己肯定感を高める: 丁寧に生きることは、自分自身を大切にすることにつながります。自分の行動に責任を持ち、丁寧に扱うことで、自己肯定感を高めることができます。
• 周りの人への配慮: 丁寧に生きることは、周りの人への配慮にもつながります。例えば、言葉遣いに気を配ることで、相手に気持ちよく接することができ、良好な人間関係を築くことができます。
• 人生をより豊かにする: 丁寧に生きることで、人生をより豊かにすることができます。日々の生活を大切にすることで、より充実した人生を送ることができます。
具体例:
• 食事をゆっくり味わう:一口一口を丁寧に味わい、食事の時間を楽しむ。
• 身の回りの物を大切に扱う:物を丁寧に扱い、整理整頓を心がける。
• 言葉遣いに気を配る:丁寧な言葉遣いを心がけ、相手に気持ちよく接する。
• 時間に余裕を持つ:スケジュールに余裕を持たせ、急がずに物事に取り組む。
• 自分の心と体と向き合う:瞑想やストレッチなど、心身をリラックスさせる時間を作る。
「丁寧に生きる」ことは、特別なことではなく、日々の生活の中で意識することで、誰でも実践できることです。ぜひ、今日から少しずつ丁寧な暮らしを心がけてみてはいかがでしょうか。
徴兵に夢を見られても困る
ネットの時代だから初めてわかることですが、伯父が20歳そこそこで戦死したニューギニアのホーランジャというところは本当に悲惨な場所です。こういうことも一応知っておくのが義務かなあ、と思います。戦後幾度も遺骨収集団が赴いても遂に遺骨は見つかりませんでした。
サルミまでの400kmの道は非常に険しく、途中には100以上の川を越えなければならなかった。渡河の際、体力の低下が激しかった将兵たちは、豪雨の影響もあり激流に流され、そのまま死亡する者も多かった。さらに、食料が著しく不足していた上にマラリアの感染者も多く、発熱して道に倒れたまま死んでいく者も多かった。そのためホーランジアとサルミ間の道は白骨化した死体が続く惨状となった。
この状況では病死であっても餓死であっても無理はないし、遺骨が見つからなくても無理がないと思います。昭和のころの祖父母はここまで詳しくは知らなかったし、実際に慰霊の土地に行くのも無理でしたし、父もわずかな書籍くらいしか読んでいないかもしれません。私はいくらでも深く知ることが出来る位置にいます。伯父の霊を成仏させることが出来たのはありがたいですが、知ることによってさらに願うことが増えます。
若い世代を伯父のように死なせたくないのです。戦争では英雄なんか生まれません。英雄的な死なんてありえません。命令をくだす人はいつも安全な場所にいます。だから命を無駄にしないでください、くれぐれも。
ここの文章、Twitterにも載せようかと考えたんですが。歴史的リテラシーが低い人もいるのでやめました。知らないことが悪いのではなく、真摯に知ろうとしない態度がよくないと思います。
美味しいものがあるところ
今年は主に宇治市に新たな商業施設が出来るようで、すこし楽しみです。最寄りの商業施設の中にロピアが出来るというので看護師さんが楽しみにしておられます(^_^;) 私もお惣菜等が手に入りやすいと嬉しいな。涼しくなって人が少し減りつつあるころに行ってみたいです。
サーティワンが出来てもあまり日常的に買えるお値段でなくてちょっと残念かも。
あと、お世話になっている三次救急の病院に同じ敷地内にごはんどころが出来ていました。大戸屋さん?ネットで注文して取りに行くのも可能なそうです。病院とは別のシチュエーションだよね(^_^;)
「検査に異常がなかったからご飯食べて帰ろうか」とかはそんなにないような気がするし。まあ、どうせなら美味しい食事をしたいですね(^_^;)
「丁寧に生きる」というのは日々の中の良きことも悪しきこともきちんと見つめて考えて対処していくことかなあ、と思います。
#生きることと日々のこと #太平洋戦争 #ニューギニア #歴史的リテラシー #ニューオープン
