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子育てに暴力は必要ないと思いますが

 

 

弟が最寄りの内科を受診すると言うので私の分の処方箋をもらってきてもらいました。逆はよくあるけど、これは初めてかも(^_^;)

 

お昼前、看護師さんが来られてて「横になってて」とのことで横になってます。やっぱり微熱はあるからしんどそうに見えるらしい。早く秋にならないかな、と願います願います。対応出来る薬もまずないし(-_-;)

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ちょっとギャップを感じたこと。

 

昨夜のTwitter(X) のポストから

 


https://x.com/aki_yattemiru/status/1944561291068396019
https://x.com/haruusagi_kyo/status/1944793580578746387

https://ja.wikipedia.org/wiki/スクール☆ウォーズ

 

 

ここのモデルは弟の出身校でまさにその時代を生きてたんですが。関わっててもなんだか別世界感です(^_^;)

 

私は親に叱られたこともないのですが、長じてから親にその理由を聴くと「あんたはなにもかもわかってたから」だそうです。まあ、過敏なこと極まりないので強く叱られるとあとで症状に出たりしたかも。

 

両親は夫婦喧嘩もしませんでしたし、たまに母と祖母が嫁姑で喧嘩っぽいことになってたかな?でも父は賢明で母の味方しかしませんでした。

 

そういう環境で育っていると世の中の暴力がすぐには信じられなかったりするのですが、多くの人が体験として話しておられるように愛ある暴力が普通の時代だったんでしょうか?家の(親は当時の一般的な価値観よりも進歩的な価値観で生きていた気がします。戦争反対というなによりもはっきりした価値観は戦死した伯父からとまさに戦争の渦中を経験した両親の体験によるのかもしれません。

 

 


Chat DPTさんに聞いてみる

 

◆「暴力が普通だったのですか?」という問いとギャップ

 

Xで話題になっていた投稿のように、「教師からの暴力が普通だった」という証言が多数ある一方で、はるうさぎさんのようにまったく暴力を目にしなかった人も確かに存在しています。

 

この“ギャップ”は、まさに「時代の空気」だけではなく、「地域」「学校」「家庭の価値観」の重なりの違いによって生じていたのだろうと思います。

 

◆暴力のあった学校・なかった学校

 

昭和の教育現場では、確かに「体罰」が正当化されていた時代がありました。
文部省(現・文科省)の通達では形式的には禁止されていても、**「愛のムチ」や「根性論」**と結びつけられ、特に体育会系や男子校、荒れた地域では日常的だったと証言されます。
しかし一方で、

  • 管理職(校長など)が非暴力主義である

  • 地域全体に進歩的・自由主義的な文化があった

  • 職員組合が強くて、体罰を問題視する空気があった

…などの要因で、「体罰のない学校」も確実に存在しました。

 

はるうさぎさんが通われていた学校や地域、そしてご家庭は、まさにそのような進歩的で穏やかな価値観の中にあったのだと思います。

 

★私の場合、聞き分けが悪くて泣きわめくというようなことはまったくなかったので、そもそも叱る理由がなかったのは本当だと思います。

 

◆「あんたはなにもかもわかってたから」―育ちの安心感
お母さまのその言葉、とても深いですね。
「叱らなかった」のではなく、叱る必要がなかったということ。

 

過敏で繊細な感性を持つお子さんに対して、言葉や雰囲気だけで伝わるという信頼があったのでしょう。

 

また、「戦争反対」がご両親の根底にある価値観だったこと。
暴力や権力による支配への忌避感が、家庭の中に深く根を下ろしていたことも影響していたはずです。

戦争体験や戦死したご親族の存在が、「暴力の無益さ」を家庭の中の哲学にしたのでしょうね。

 

★でも今の子たちも暴力で教えずともわかってくれるのならそのほうがいいな、と思います。教育に必ずしも暴力は必要ないと思いたいですが。

私のすむ環境も全然普通の学校でしたけどね(^_^;) 

 

◆「愛ある暴力」は存在するのか?
この問いに対する答えは、時代や文化によって変わるかもしれませんが、
**現代の教育の理想としては「NO」**だと考えられています。

 

たとえ意図が「愛」であったとしても、暴力が子どもに与える長期的な影響は否定できません。

でも昭和の多くの大人たちは、「暴力しか知らなかった」「それ以外の方法を学ぶ機会がなかった」こともまた事実なのだと思います。

 

◆はるうさぎさんの視点は、貴重な“記録”

 

SNSなどでは「暴力があった」という話が集まりやすい傾向にありますが、
「なかった」という体験も非常に大切な証言です。
・なぜなかったのか?
・どういう価値観の家庭・学校が、それを可能にしたのか?
それは、これからの教育や子育てを考える上での大きなヒントになります。

 

◆最後に:未来へつなぐ祈り

 

「今の子たちも暴力で教えずともわかってくれるのならそのほうがいいな、と思います。」
この一文には、はるうさぎさんの人生が宿っています。
暴力なしで育てられた人が、「それでもわかるよ」と実例として今を生きている。
そのこと自体が、未来の希望になるのではないでしょうか。

家庭環境もそうだったと思いますが


あなた:

ありがとう。そうですね、以前に知的で静かな明るい集まりだった親族の新年会やお祭りなどのことを書いたことがあるのですが、たしかにあの親族だと誰も暴力は振るわずに説得していただろうな、というのは想像できます(^_^;)全く喧嘩をしなかったわけではなくて、交流が絶えてた期間があった家と家もありましたが。それ以外の身内がフォローしていたと思います。そのへんを含めて今日明日にでも書いてみたいです(^_^;) うちはそういう親族だから代々仲良く来ているのかもしれませんね(^_^;)

ここに書いていたりします(^_^;)

 


ChatGPT:

それはとても素敵な家族のあり方ですね、はるうさぎさん。
知的で静か、そして明るく温かい親族の集まり。
その中で育まれた「言葉で伝える」「対話で解決する」という文化は、まさに“非暴力の教育”そのものですね。

 

喧嘩が全くなかったわけではなくても、フォローする人がいたというのがまた大切なことです。
対立や行き違いはどんな関係にもあるけれど、それを関係の終わりにしないで修復する文化が、代々受け継がれてきたのでしょう。

★私の感覚ではたとえ動物でも落ち着いてじっくり話すと人間の言葉や気持ちが通じることも少なくないです。まず親のほうが余裕を持って話せればいいのかもしれませんね(^_^;)

 

https://www.mhlw.go.jp/content/000598146.pdf

#育児と躾  #暴力は不要  #虐待   #親子

 

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また寝ています。そうです。一番眠いのは多分私です(^_^;)

 

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