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息子だらけの介護ー嫁視点⑦

 高齢の義両親の色んな世話が必要になって半年ほど。

なんとなく旦那さん側の家族のそれぞれの性格と考えがわかってきた今日この頃、ものすごくスッキリ納得のいくコラムのようなものに出会いました。その方のブログ内容の要点は「介護問題は実は”介護”の問題ではなくコミュニケーション問題である」というもの。<介護問題>と表現しているけれど実はちょっとズレたところに問題点はあるってことですね。それぞれが元気な間は各々の生活が別々で成り立っているので適度な距離を保てていたのに、親の体調の変化が急に来ることで突然ぎゅっとみんなが深くかかわりだすことによるコミュニケーションの不具合問題であって”高齢者の介護”という問題とは違うという分析です。

いやぁ、全くそう。

意見が違ってぶつかるパターン。誰かに負担が偏り過ぎて不満が出るパターン。それだけではなく「わたしが親を見ます!」と張り切って喜んで申し出た子供でさえ久しぶりに一緒に暮らすことで高齢の親の若い時とは違う距離と性格の濃さに困惑して不満が出てくるパターンも。すべては”ちょうどいい距離”が十分な準備期間もなく崩れることから生じるコミュニケーションの問題だという話。最近ヒシヒシと感じます。

距離感が変わってから気づく家族の性質

”かまってちゃん”な親に気づくまで

 いろんなお世話が必要になってからまず理解しなくてはいけなかったのは親の”かまってちゃん”な性格です。この表現はつい先日話をしていた友人がうちの今の様子を聞いていて出したワード。ぴったりストンと腑に落ちる表現でした。ネットで調べたらあるわあるわ…高齢の親と接する時の”あるある”のようでした。これまで元気な時にはそんなそぶりはなかったと思っていたんですけど、あとから思えば片鱗は見えていたかも?と思うようになりました。義両親はどちらも決して”おしゃべり好きで自分の話ばかりするタイプ”ではなかったので気づきにくかったのですがよくよく思い返すと元気な頃から自分以外の人に「あなたの仕事はどんな感じ?体調はどう?」とか尋ねることが少なく、自分の話したい話があると場にそのエピソードがちんぷんかんぷんの人が同席していようがお構いなしに話しているような人でした。まあでも、これだけだったら介護自体にはあまり支障はありません。問題になるのは”かまってちゃん”の別の面。

 これは年代を問わず時々あることなんですけど不平・不満・要望を口にするけど解決を望んでいるわけではなく「聞いてほしかっただけ…」っていうタイプの人がいるんですよね。私自身はそういうタイプではないので時々、いやかなりの割合これでモヤモヤしてきました。何て言うんでしょうか、エネルギーを吸い取られる感じ。

例えば

「この部屋寒いのよね」と言われたとします。相手が自分で解決できなくて相談しているんだと思っちゃう私はつい部屋をどう暖めるか、もしくは寒さを緩和する方法を考えて提案したり実際それを手伝ったりする派です。ところが時間と労力を使ってやったことが「こんなことしてほしかったわけじゃない」とか言われるんですよね。「聞いてほしかっただけ」らしいのです。

そういえば似たようなことは別に高齢の親でなくてもありました。「ファッションのコーディネートが難しくて」と言われて「困ってるんなら」と似合う色や服を提案してみても「自分はその色じゃあ落ち着かない」と言って結局その人が気に入った色・形に戻っちゃう。気がついたらその人はまた別の人に「私、コーディネートが下手なんですよね~」とか話してる。何回か空振りを経験して「あ、この人は解決してほしい派じゃないんだ。」と理解できれば対処法はわかるんですけどね。

義両親も二人ともそんなタイプだったと気づくまで少々時間がかかりました。なんせ相手はお世話の必要な高齢者ですから「こちらに何か頼みごとがあるんだろう」ってやっぱり最初は思いますよね。今ならわかる。解決してほしい事ばかりではないってこと。少し時間がたてば笑い話にも思える我が家の”かまってちゃん”が引き起こしたモヤモヤエピソードは後半で。

自分の<ものさし>が強すぎる人

 「これどう思う?」と何かを実行に移す前に客観的意見を聞けるかどうかも人によって違います。同じ家族でも人によって全く違う。親の世話に関しては千差万別、全く同じことが通用する家庭なんてないし、全員が初体験な事案ですからみな試行錯誤。だからこそ地域包括センターとか病院の医師とかケアマネさんとかにヒントをもらいながらいろんな選択肢を集め、きょうだいの間でそして親自身にメリット・デメリットを伝えて考えてほしいのですがこれもまた至難の業です。

介護施設はどこも不便でみじめな生活しかできない」

「あそこの宅配弁当は飽きてくるらしい」

「介護用品は使うのは恥ずかしい」

こんなたった1回のコメントや経験談で<ものさし>を作ってしまい、すべての快適アイテムを避けようとする人が強く主張し始めると本当に何にも前に進みません。残念ながらわが身内にもそのタイプの人がいて、その<ものさし>を見直す気配がまったくありません。これも親の世話が必要になるまでは気づかなかった親族の性格です。息子だらけで普段からそれほど仲良くなくコミュニケーションもとってこなかったのはそのうちの一人がこんなタイプだとわかっていて会話を”あきらめた”結果だったのだと判明します。あきらめたものをこの年齢になってから縒り合せようとしたってそりゃうまくいかないですよね。

変えられるのは自分しかいない

 介護問題に限らず意見と性格の違いで物事がうまくいかないなーという時、相手に変わってもらうのを期待することほどむなしい事はありません。ましてや高齢の親はどんどん自分の要望を前面に出してきますから全部に真正面からぶつかっていては身がもちません。うちの場合はこれまで積極的に関わって介護サービス・医療機関への橋渡しや日頃のちょっとしたサポートをしてきた嫁たちが少しずついろんなことを理解してきた結果”手を引く”方へとかじ取りをし始めています。

 ただただ今の自分の不満を”聞いてほしいだけ”の親、自分の<ものさし>で親の世話を進めたい息子の登場。嫁たちサイドにできることは「好きなようにやってもらう」しかないよね、って話になりました。女性陣はつい「栄養のある食事をとってほしい、適度に運動したり日光に当たるのも大事、便利なサービスは使ってほしい、医師のアドバイスも聞き入れてほしい」の気持ちで支えようとしていたけど息子たちにはどれもあまりピンとは来ていないようですし、本人たちと息子たちが一人でも積極的でないとなんの効果もないことがわかりましたので撤退です。

あとは何があっても撤退した自分を責めないように心を整えていくことかな。

介護において「本人が望んでいるか?」の難しさ

 ここのところ「親本人が望んでいるか?」が私たちの周りの重要なワードになっていました。「最後まで自宅で過ごしたい。」「なるべく変化が少ない方がいい。」そんなことは百も承知なのですが状況が想定外な方向へ行き、どうにもそれがうまく回らなくなったなら…それでもその最初の願いを貫くにはやっぱりどこかで妥協してもらわないといけないこともあるからです。

 例えば親たちが「他の人が家の中に入るのがイヤ」と言っていてはヘルパーさんを頼めません。体が不自由になってしまえばそれを助けてくれるだれかがいて初めて「最後まで自宅で」が叶うのに「子供たち以外はイヤ」と言われては無理なこともあるのです。100%思い通りにはならないということをどうやったらわかってもらえるのかまだ答えはわかりません。

さて、いつものごとくここからは苦笑いの我が家の義両親とのうまくいかないコミュニケーションと”本人の願い”のモヤモヤエピソードです。

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