以下の内容はhttps://harunonegoto.hatenablog.com/より取得しました。


TENSYOKU

その会社は海にごろごろ流れている野生の商品を整理して、選別し、求めている顧客へ届ける。特定の時期にまとめて出荷される商品もあるけど、そのサービスでは扱っていない。

商品は様々な特性を持っている。
会社は顧客の要求に合う商品を見繕って薦める。海の動向なんかも伝える。この会社からはろくな商品が来ないと思われてはいけないからちゃんとフォローする。

 

昔は会社が紹介した中から選ぶだけだったけれど、最近は顧客が自分で探すやり方もある。どちらにしても大海原に出るのは顧客の本業ではないから会社が案内をする。会社は商品を選別しやすいように、商品をカテゴライズする。かかりやすい餌や釣り竿を教えたりもする。そこで支払う手数料は必要経費だと顧客は思っている。

 

大変なのは商品にも意思があることだ。商品の方も顧客を選ぶ。そして金を払ってもいないのにこの会社にはろくなのがないとかサービスが悪いとか言う。


会社の仕事はそれぞれに要求のある商品と顧客を繋ぐことである。顧客はこんな商品がほしいと会社に要求する。商品もこんな会社がいいとか要求をする。会社は、商品から魅力的に見えるように顧客にアドバイスをし、顧客から魅力的に見えるように商品にアドバイスをする。

 

晴れて双方が合致すればおめでとうございますとなって会社の仕事は完了するが、また別の商品が別の顧客のところから出て漂い始める。
顧客と商品がずっと一緒にいては仕事がなくなるので、商品が出ていってくれる方がその会社からしたらありがたいのだろうなんて言われることもあるけど、商品が出ていきたいのに出られないとか、合わない商品を手放せない方が良くないだろうと、海は流動的であるべきという意見が最近は多い。

つまり、その会社っていうのが今回の場合はリ〇ルートエージェントのことで、商品っていうのが転職する私で、転職先の会社はリク〇ートにお金を払って今回私を採用した。

私はリ〇ルートにお金を払った顧客ではないので、リクル〇トは私の頼る相手ではない。だから、どうしたらいいか教えてもらおうとしたり不安なんですと相談しても意味はない。対応が遅いとか、担当がいるのに返信がいつも代理だとか、どこそこの辞退の話がちゃんと伝わってんのかとか、受けたはずのWeb適性検査のリマインドが違う日程で届くとかでいちいち不満を言って心を乱す必要はない。私は自分の要求が叶うようにリ〇ルートを最大限利用できればよい。この商品が採用されるように互いに連携しているのだと思えばよい。

思い返すと去年の今頃はまだ登録しただけでどうなるのか何も見えてなかったんだな。1年前の自分に自慢してドヤ顔したいな〜とか考えるのが楽しいので私は過去を振り返るのが好きだぜ。

 

秋頃にサイトに登録。その翌月くらいにWebで面談、実際に動くのは繁忙期後に、って話になってしばらく放置。


冬終わり、向こうから連絡がきて面談、繁忙期終わりに始めますって言ったけど終わってさらに一ヶ月ほど放置。

 

(n−1)月17日
突然やる気スイッチを入れることに成功し、キャリアシート、職務経歴書を完成させて面談を予約。同時進行で気になったところには応募ボタンを押し始める。

 

n月16日
書類選考通過の連絡。なぜかこれを皮切りに書類が通り始める。
そこまでの間ずっと始めたことだけに満足していたので、書類選考を受けているという気分が全くなかった。今から同じことやれって言われたら一ヶ月も何も考えずに応募ボタンをぽちぽち押すのはできないだろうな……。

繁忙期終わって仕事が落ち着いていたのもあって、何の焦りもなかった。

 

送りっぱなしで忘れていたため連絡が来て改めて選考を通った会社の内容見て、えっこんな良さそうなところが通してくれたの?!と初めて緊張。そこで第一志望というものができる。そのあと応募済み一覧みたいなとこ見たら(それまで一回も見てなかった)結構書類で落とされててわははってなりましたね。
結論から言うと、最初に書類通してくれたその会社に決まった。

 

n月22日
午後と夕方に初めてのWeb面接。
ここから2週間くらい面接の日程がぼんぼん入って、リ〇ルートのサービスにめちゃ感謝する。いちいち電話で「一次面接通過となりました。つきましては二次面接の日程を…」「ありがとうございます。今予定を確認いたしますので…」とかやらなくてもマイページからボタン一つでいいんだよな。今は令和だもんな。そういう電話応対も選考の内だと思ってたけど、しないで済むなら企業もありがたいに決まっている。ただし今度はWeb面接のスキルとか慣れてないとマイナスなんだろうなとも思う。

 

n月23日
記念受験のつもりで送ったところが通過し対面面接の連絡が来る。人に言えば普通に知ってるファッ〇ョン誌(そこを伏字にしてどうする)を作ってる出版社だったので「着ていく服がない」と焦ってトゥモローランドに駆け込み店員さんに勧められたスーツを一式そのまま購入。

 

n月27日
先週に受けた第一志望から最終選考の連絡。
2回目で最終だし(もとから選考日程にはそうあったけど)、最終なのに対面とWebどっちでもいいらしいし、面接するのは代表者じゃないっぽいし、なので脈無しなのか?と喜びより疑心暗鬼に。
まあでも書類も面接も一社通るなら他も通るっしょ、と思って引き続き応募したり適性検査を受けたりする。これは焦っていなかったというのが半分、期待しすぎないようにというのがもう半分。

 

n月28日
Webで受けたとある大手の一次面接がとても雰囲気良くて同率1位の第一志望が2社になる。

 

(n+1)月2日
第一志望の最終選考に行く。会社所在地が良い場所すぎてもう結構その気になる。

 

(n+1)月4日
第一志望からオファー面談の連絡。

その日にリ〇ルートに電話で相談。
相談内容
①内定ってことでいいんですよね?
②明日と明後日に面接あるんですけど行くべきか?辞退するべきか?
③先週に一次受けて結果待ちの一社だけちょっと諦めきれない
④併願があるって内定先には言っていいんですか?


相談の答え
①内定だよ!
②明日の面接はできれば行った方がいい。明後日はまだ辞退してもいい。
③こっちで状況を伝えて選考結果の通知を早めてもらいましょう
④内定は内定。「併願があるならいいです」とはならないから安心せよ。


転職サイトを使うメリットの1つは手間の少なさだけど、もう1つはやはりこういうときだ。転職特有の状況に慣れた答えをさくさく示してくれる。

 

(n+1)月5日朝
選考を急かしたところから一次面接通過の連絡。通過するんかい。急かしたら。
リ〇ルートの調整のおかげで、二次面接が通った場合の最終面接の日程まで仮で決定してもらえる。
……その日は私が5ヶ月前にチケット取って楽しみにしてた、もっと言えば2年前のサマソニで見れなかった海外バンドの来日の日なんだよな……という涙を静かに飲みこむ。

 

(n+1)月5日午後
某出版社の記念受験の面接。
第一志望が自分に合っていると感じたその感覚が、ちゃんと間違っていなかったことを実感。

いや、ここはここで良かったんですけどね。本社建物に入っただけで良い経験になりました。

 

(n+1)月10日午後
同率1位の第一志望の二次面接。
決して何が悪かったわけでもないのですが前回の面接の雰囲気の良さはそのときの人事の人の良さだった可能性が浮上。加えてリ〇ルートが急かした話とかも知ってるのかよくわからない面接官で、向こうも消化試合だったのか?

 

同日夜
オファー面談。会社の所在地がとにかくめちゃくちゃいいので面談の前からその気になってしまう。
オファー面談、本当にオファー感あってドキドキしちゃった。

バンドの来日は見れることになりそうだとなる。

こうしてみると駆け抜けた感があるね。これやりながら通常の仕事もしてたんだもんな〜。準備に1ヶ月、活動1ヶ月というところ。

 

結局〇クルートには、「他の人はどうしてるのか?」とか「こういうことしても問題ないか」みたいな一般的な相談だけで面接練習とかしなかった。職務経歴書の添削も、書いた方がいいことと書かない方がいいことを聞いただけで大きな添削とかしなかった。面接練習もなし。

というのも、前職(その時で言えば現職)で人に何かを説明するということには慣れており、そこは大丈夫かなと思ったこと。そしてもう一つ、これはおそらく他の人にもおすすめなんだけど、chatGPTに面接練習をしてもらったこと。

chatGPT、使えますね。0から1を生み出してはくれない代わりに、こちらが5だか10だか90だかBだかCだか甲だか乙だかわからないで出したものを揃って100に近づける道筋を立ててくれる。
それに話す練習にはならなくとも、一度自分で他者に伝えるために文章にしたものは話すときにも出てきやすかった。この、他者(他人ではない)に伝えるためにっていうのが重要で、自分で読むだけの文章とはやっぱり効果が違う。

しかも改善点だけでなく良い点も具体的に指摘してくれる。悪いことは忘れてしまう私のようなタイプは褒められたとこだけ覚えてるじゃないですか。面接で焦っても、最低限良い点だけを押さえて話せた。

 

あとリ〇ルートで使ったのはスカウト機能だけど、結局一社も応募しなかった。スカウト来ると自己肯定感が上がるからオンにしてた。

選ぶのも選ばれるのもお互い様だ。
結果としては30社応募して、8社書類が通ったうち3社は書類選考の結果前に辞退、5社面接受け、その内の1社が見送り、他3社は結果を待たずに辞退。

もともと定員の少ない職種だから20社30社応募しろってアドバイスをもらっていたのでその通りにできたかなと思う。しかし紙と電話しか無い時代ってどうしてたんだろ。

 

転職って周りでもめずらしい話じゃないけどみんなこんな大変なことやってたんですね。全員すごい。
と同時に、転職をあんまりハードル高く感じてはいけないなと思う。今いる仕事を辞めたらもうやっていけない、と逃げ場がないのは何より地獄だと思う。転職が頭によぎって初めて感じたのは、リク〇ートを始め転職サイトの広告が巷にあふれていることのありがたみだった。そういう点で本当に感謝してる。対応が遅いとかいつも返信が担当者代理だとか辞退の話が伝わってんのかわからないとか受けたはずの適性検査のリマインドが間違った日程で来るとかは全然OK。私はリクルー〇の商品であり、金を支払った顧客ではないので。

 

特に写真がない記事になるのでここで前職場の好きだったトイレの窓からの景色を載せるか

 

現職が一社目で年数は長いのは印象がいい、転職はできると思いますよ。と担当の人は言っていた。あとは合うところがあるかどうかですよねと。
キャリアカウンセラーって職業は大変だろうな。仕事って続かない人って本当に続かないし、おんぶにだっこで全部やってもらおうとする求職者もいるだろうし、何もキャリア無いのに不満ばっかのやつとか、自分で何も決められない人とか、とんでもなく常識ないのとか、想像するだけでもヤバそうな人いっぱいいるぜ。

かくいう私も大学に人より長く在籍していたり卒業と就職に間があるなどのヤバみはあるんですが、この会社ではそれがすべて「資格の勉強を諦めずに続けていた」と解釈をされるミラクルが起こっており、なんか全部相性なんだなと納得することにした(実際資格の専門行ってたしそこからその業界に行くのも一般的な話なのでおかしくはないのだが、大学は普通に留年したし新卒で就活しなかったのでそのあいだは実質フリーターでした)。

 

以下、備忘録的に。

・現職(前職)と応募先企業の違いを挙げ、「今は適わないことが御社でなら適う」と言うのが転職の基本形かなと思う。

 

・転職しなければ解決しない問題/転職が直接関係ない問題、を分けて考えないと、おそらくあなたの悩みは解決しない。例えば職場の人間関係とか。

 

・人間関係を理由に転職するのがいけないわけではないが、その根本理由を考えずに「転職で解決」とだけ漠然と思っていても解決するかは運次第ということになる。

 

・個人的に「現職(前職)にこんな問題点があるので転職したい」と言うのは好きじゃなかったので、「現職(前職)のやり方も良かったし成長できたけど次はもっとこういう経験をしたいんです」って言ってた。

「一人で一社を担当してきたので幅広い経験ができたけど、今度は逆に一人じゃ回せないような大きな規模に関わりたい」みたいな。

何かを上げるために他を下げるのは良くないってオタクは義務教育で習うのでね。

 

他に写真もないので前職場前のお気に入りの写真でも載せよう

転職の成功って何をもってなんでしょうね。辞めたけど前職だって間違いではなかったと思っている。
私の場合、転職に限らずこういうときの決め手って感覚が第一に来る。迷いながら「でも条件はいいから正解のはず」って決めると失敗する。

今回は条件がどうこうの前に「いいな」と思ったから決めた。

ただまあ、真面目な話をすると、未経験の業務も多そうで不安だった中、オファー面談で「たとえばこういう知識がある人に来てほしい」って聞いた話が全然余裕だったのでそれなら大丈夫か、って思ったという具体的な後押しはある。即戦力っぽいな。私なのに。

 

今のところいい感じです。面接してくれたのが直の上司なので、この人が採用しましょうって言ってくれたんだよなー、とありがたく思ってるけどそろそろちゃんと頑張らないと「違ったわ」ってなりそうでこわい。

でも前職で「もっとこういうことやりたいのにな」って思ってたことできそうでうれしい。

あと辞めてわかったけど前職がなかなか昭和なとこだったのでその対比で死ぬほど働きやすい(死ぬほど働きやすいとは?)。前職、苦労したというほどはないけどかなり鍛えられたと思うことは多い。

転職自体満足の結果なんだけど、しかしその中に「前より良くなった」ことではなくそもそも「前と全然変わった」ってことに満足してるところがあって、自分には定期的に環境をがらりと変えたい欲があることに気づきつつある。

10年後20年後に自分が何をしてるのか「まあこんなだろうな」って想像できることってこわくないですか。生活水準の上下ではなく、幅の想像。

だいたい突き当たりまでを想像できる一本の窓の無い廊下をあとはただ歩くだけみたいな感じ。快適な廊下かもしれないけどそれはもうただの作業なんだよ。

やることやってれば勝手にどんどん進級して進学してた子供時代ってそれはそれで私を満足させていたんだろうな。ではそれが幸せだったのかというと全然今の方が良くて、なぜかというと私の求める変化は「変わる」ではなく「変えられる」なので。

別にインドやジャマイカに移住したいわけでも自由なフリーランスになりたいわけでもないし、人と違うことをやりたい欲はまじで全然ないんだけど、とにかくこれまでの自分が想像してなかったことになってたい、みたいなのがずっとあって、そろそろそういうのはだめな年齢ではという気もする……これくらいの願望はみんなそうなのか……?

 

未来の希望にあふれたこと書いていたつもりなのになぜこんな終わり方に……?

秋とか冬の諸々2024

9月初旬

ひいきにしてるバンドのライブに行ったところ、対バンがたまたまV系で(対バンがたまたまV系ということはそうないと思うのですが)、1000年ぶりに正統派V系バンドと正統派バンギャさんを見て死ぬほど元気になった。

バンギャ文化は地球が滅んでも存続してほしい文化のひとつ。息ぴったりのコール、突如として始まる(ように部外者には見える)ヘドバン、無茶苦茶になった後なぜかみんなちゃんと元の位置に戻っているモッシュ。怖えーけどフレンドリーな人たちで暗黙の了解がたくさんある世界。立ち姿や手の上げ方ひとつで「この人バンギャだ」とわかる感じ、あれ何。

バンギャファッションを見てるだけでも最高。派手髪、ボディピアス、厚めぱっつん前髪と姫カット姫カット?!)、ハーフツインテ(ハーフツインテ?!)、スタッズベルト、ロリータ系でガチヘドバンするのもかっけえよ。

最近の自分は信念もなくゆるく生きていたと反省した。目が覚めた。そんなとこで目を覚ますな。

 

シンプルにライブハウスが好きなのもあるけど、こういう場所が最高に落ち着いてしまう。今推してるアイドルたちは全員心の底から好きだし本気で売れろと思ってるけど、界隈そのものを自分の居場所に感じているわけではなく、見ず知らずで迷い込んだバンドのライブで落ち着いてしまう。

アングラ感。いい歳してこういうことを自分で言うのってどうなんでしょうねって気もするけど結局好きだなーと思う。

みんな自分の好きなもののことがめちゃくちゃ好きで、かつ、それを全く好きではない人たちがいるということを完全に理解している人たちの世界。



 

9月下旬

再びひいきにしてるバンドのライブに行ったところ、その日そのバンドは2番手だったのだがトリの4番手に出たバンドがなんかむちゃくちゃに良くて、音源を聴き返しもせず帰り道にチケットを買う。V系ではないです。

200人もないキャパが半分埋まったくらいの(要はそこまで盛り上がってない)ライブで、1番手のバンドはそこそこ頑張ってる大学生バンドみたいな人たちで、2番手はまあいつも見てるからいつも通りで、3番手のバンドがおしゃれでうまくて満足だったから、最後のバンドは見ないでいっかなくらいの気分だったのに最終的に全部もってかれた。

あまりに突然に好きすぎると逆に「???」ってなりませんか。帰り道ずっとそれだった。

 

 

10月中旬

関西が拠点のそのバンドのライブを早くまた見たすぎて平日定時退勤後に大阪へ行くことまで検討したが、どうにも間に合わず断念。無事、再び東京でライブが開催。

ライブに行く理由っていろいろあるだろうけど、このバンドの場合、音源がない楽曲がいくつもあるとかライブ映像もほとんどないとかかなり理由が原始的だ。そのライブで撮った動画も音源代わりに聴き返していて、若いころレコードを買うお金がなくてラジオ放送をカセットテープに録音して聴いてたっていう自分の父の話とツールが違うだけで本質的に変わりがないなと思った。

しかし趣味について地道で原始的なことをしていると「本当に好き」みたいな気持ちになるのは良くないと思う。手軽に聴けるやつも本当に好きだし。

 

youtu.be

ライブ見ても音源聴いても改めてライブ見てもなぜ好きなのかわからない。普段好きなバンドの系統と全然違う。

 

 

10月下旬

絶対自分は好きだろうから読もうと思いつつ、絶対自分は好きだろうからいつでもいいかなって引き延ばしてた呪術廻戦をなんのきっかけでもなく読み始めてしまう。1巻読んで、これ完全にダメだわとなってその日にフリマアプリで1~28巻と0巻とファンブックひと揃いまとめて買って3日で完走した。3日で完走して3週間くらい引きずった。

久しぶりに少年漫画にがっつりはまった。展開も行動も全部まっすぐすぎてまぶし~。でもそのまっすぐさも、それをまぶし~と思うのも、どっちも自分にあったのに忘れてたやつだったと思う。

二次元の推しもいつぶりだろう。

生身の推しと違って、一人の人間ではない見えているものがすべてである二次元、勝手な二次創作もファンアートも自分の好きに見て解釈できるので心が痛まず幸せ。

 

二次創作の意味がありまくる話だ。しばらく夏油生存ifの二次創作ばっかり見漁ってた。

喜劇、というものに基本の形があるとすると、「誰もわかってないのになぜか奇跡的に全部うまくいって収まる」みたいな、「そうはならんやろ」という形だと思ってて、

それに対して悲劇の基本形があるとすれば、「わかっているのにすべての選択肢が悪い方へ行く」みたいな、「どうしようもなかった」という形じゃないかと思う。

そしてその悲しさの度合いって、話のひどさ以上に、「そうするしかなかった」と諦めさせる説得力、納得感なんだと思う。

そういう意味で五条と夏油は完璧。どんなに救われる展開を考えても、作品としてこれ以上の完成度にならない。だからこそ二次創作の妄想のバカハッピーエンドが捗ってしまう。原作は絶対これじゃないといけなかったし、その分、そうであってほしくなかった願望を二次創作が受け止めてくれる。原作が原作である意味も二次創作が二次創作である必要も揃っているんだよな。でもやっぱつらいしんどい。

 

 

11月中旬

youtube見てたら関連動画に知らんインディーズバンドのMVが出てきて、いや、関連動画に出てきた知らんインディーズバンドのMVなんて十中八九開くことないじゃないですか。知らないバンド知るならもっと効率のいいやり方はあるし、1個そういう動画開くと今後しばらく関連動画が知らんインディーズバンドのMVで埋まるし。

だからそんなもの普段絶対見ないんだけど、なんとなく開いてしまった結果大当たりで好きなバンドがまた1個増えた。

幸い東京が拠点のバンドだったのでもうライブ行った。バンドっていうかソロ名義とサポートメンバー?なのか顔も編成もろくにわからずに行ったので、演奏始まるまで自分の見たいその人がどの人なのかわからなくておもしろかった。超良かった。

 

youtu.be

こっちのバンドはなぜ好きなのかわかる。こんなん好きになるに決まってるんだよなっていう方。

 

 

 

11月下旬

ま~~~~~~た推し増えた。自分は1人なのに?
生身の生きてる人間のアイドル7人グループ。
最近6人と7人という人数は数える作業なくひと目で判別できるようになったかもしれない。
二次元の推しと違って、見えないところにドラマが流れている生身の人間の推し、胸が熱い。

 

 

 

来年の星座占い(しいたけではないやつ)見てたら、「好きなものが増えます」って書かれてて「これ以上?!?!?!」となった。

感覚と経験則とジンクス混じりの話だけど、好きなものが増えるときって調子がいいときだ。調子が良くないと何かしらの感覚が鈍っているような気がする。好きなものが増えるときって人生をぐいぐい動かせる感じがする。好きなものが増えるから動かせるというか調子がいいから動かせるのかもしれないし、動かせてるから調子がいいのかも。でもそれとは別に好きなものにぐいぐい動かされてるような気分にもなる。

 

 

推したい推しはたくさんいるのに自分は一人しかいない。

 

本当は地下アイドル追っかけたい。あのアングラ感も恋しい。
音楽聴いてライブ行く趣味とアイドルは全然別。音楽もライブも自分の側に手繰り寄せるようなことで、アイドルは自分の熱を向ける行為(決して美しくも素晴らしくもない行為だと思うけど)。そしてそんな熱は持て余してもろくなことにならない。それこそその熱を創作に繋げればいいのではとなる人もいるのかもしれないけど、違うんだよな。むしろ熱を向けた先の感動で私は文章書くことが多いので。

コールしたい。推しのコールで声枯らしたい。ペンライト振りたい。握手会で真っ直ぐに目見つめられてどきどきしたい。同じCD何枚も買いたい。ペンライト振りたい。念を込めるつもりでケチャしたい。グッズの列に「最後尾」の紙持って並びたい。ツーチェキで挙動不審になりたい(なりたくはない)。ペンライト振りたい。

 

 

 

10年前に解散した最推しのこと

 

カリスマ性のある特定の存在に大勢で熱狂する一体感、みたいなのが好きだから自分にはカルトにハマる素質が絶対にある。「我々は崇拝癖がある」と以前友人と話したことがあるが本当にそうだからこわい。もし私がそうなったら止めてくれと言いたいが止められても絶対に聞くはずがないのですみやかに社会的に抹殺してほしい。
その熱量を一番健全に向けられるのでアイドルオタクやってる。
 
アイドルというジャンルそのものが好きで本当に節操なく開拓して熱狂したり応援したり遠くから眺めたりし続けてて、推せればなんでもいいっちゃいいみたいなスタンスもあるんだけど、いいわけねえだろふざけんなっていう存在が10年前に解散したbrand new idol society。
 
もう絶対にないと思ってた記憶には懐かしいとか思わないもんですね。
というか10年間絶対に懐かしがるものかと思ってたかもしれない。感傷的になどなるものかと。数えてもなかったから10年と聞いても長いともあっという間とも思わずそうなんだって感じだったけど、アホほど残業して30%引きの総菜買って帰った先週の金曜日、元メンバーのSNSで解散10周年記念フリーライブやるよって告知を見て、ああそっかーなんて思って、それから長いこと動かしてなかった脳の部分がびりびりして久しぶりと思った。
BiS追っかけてたときの自分に対して「あ、どうもお久しぶりです」みたいなそういう久しぶり。
 
何も焦ることはないのにそれからずっと焦って週末を過ごしてた。終わってホッとしてる。もう焦らなくていい何も追わなくていい。推してたときずっとこんな感じだったなと思った。
 
幸せになれる好きはたくさんあるしいるけどBiSで幸せになれたと思ったこと全然ない。
解散してホッとしてたんだよな。もう追わなくていい。
何回ライブ行っても足りなくて、たとえ最初の1回目から行ってたとしても十分だと思うことはたぶんなく、このグループにもっと前から出会っていたかったのではなくて自分の人生にもっと前からいてほしかった。もっと人生に食い込んでほしかった。もっと滅茶苦茶に追っかければ良かった。これでもうちょっと人生が滅茶苦茶にでもなれば良かった。自分の人生にそれくらいには関係してほしかった。
 
最初の最初の沼落ちの瞬間を鮮明に覚えてる。「ずっとほしかったのこれだったじゃん」って。すとんと、しっくりきて、新しい何かというよりは今まで足りなかったものだと思った。これ見つけるためにアイドルオタク始めたくらいに思った。そういうキモいこと考えるタイプのオタクに最初の1秒でなった。
逆にとか、こういうところがとか、ある意味とかそういう枕言葉なしで本当にシンプルに好きだったな。自分の好き全部これにしてアイデンティティ委ねてしまいたかった。
そうやってずっとまだ足りないと思い続けてたし今でも思ってるなって思ったのが今日のライブだった。
 
 
地下アイドル追っかけるのってねえ、楽しいんですよ。レベルの高いパフォーマンスや演出による感動が少ない(失礼ながら)代わりに、肉体的な充足感がすごい。目の前に生身の人間がいて、それを自分の足を使って文字通り追っかけている充足感。分母が小さいから自分1人分の存在や声が相対的にでかい。そういうところにいると相手がまるで自分の感情に直に触れてくるようで、自分の人生に直接関係している存在に思えてくる。それに加えてあの熱狂と一体感。
推しっていう存在も、楽だよね。自分にとって何が幸せか、嬉しいか悲しいか、そういった感情の根拠を託せる。
抜け出せない人は抜け出せない。
 
推し、という言葉は使いまくるが、推し活って言葉は外側の人間のためにある言葉な気がして自分は使わない。
開き直って自称してるけどアイドルオタクやってること良いことだとも誇りにも思わない。これを良い感情だと思わない。とにかく動機がカルトよりマシなやつとかだし、そうでなくとも「他の人にはわからない良さが自分たちだけはわかる」みたいな熱狂の欲求だから絶対にキモい。
なら書くなよって話なんだけど。
 
書くなよって話なんだけど、私は好きなものに対して「好き!!!!」の「!」の数だけでしか言い表せないことが嫌すぎてずっと言語化に執着して文章を書き続けてる。
 
書き続けてるんだけど、結局好きなものは好きだから好きとしか言えないんだよな~とも今日思った。何がいいのかと言われたら別に何も素晴らしくない。良いから好きなのではなく、好きだから私にとってだけはいいの最たるものがBiS。最推し、やっぱり推させてくれマジでたのむ。

ほとんど歌舞伎町タワーにケチャしてましたね。(一応ステージも映りました。)
 

ずっとこんな感じだ

歩きながらイヤホンで音楽聴いてたら、「うわやっぱこの曲めちゃくちゃ好きだな〜」ってなって帰り道にちょっと小走りになったりした。
 
これ10代のときの話じゃなくて先週くらいの30代残業帰りなのやばい。
 
Vaundyのアルバム聴いてたらbenefitという曲が一番好きで、というかこの曲が好きというよりこういう90sオルタナが聴きたいんだよなと思ってそれから、radioheadとかsonic youthとかPixiesとかteenage fan clubとかマイブラとかスマパンとかを急に一生懸命聴くに至っている。
このへんのジャンルは好きだけど疎くて、友人の好きだったバンド、誰かがコピーバンドやってたバンドっていう記憶が多い。友達の友達みたいな。もしくは友達の元恋人みたいな。
何かのバンドに付随してその人が思い浮かぶとか、その人と言えばそのバンドみたいな記憶のされ方って羨ましいなとちょっと思う。でもほしいかというとほしくない。今の推しでは記憶されてほしくないけど、昔の推しグループとなら、セットで誰かに思い出されたらちょっといいかもしれない。
spotifyが勝手に作成してくれる90's Altanative Rockのプレイリストをありがたく活用させてもらってる。そこからアルバムに飛べるから助かる。
聴きたいものがシームレスに聴ける現代文明には死ぬほど感謝してる。CD買ったり借りたり地道に探してた頃を音楽目覚めたてのがむしゃらさと絡めて楽しく思い返すことはあるが、それが今より良かったことなんて少なくとも私はないな。
 
20年以上前の世界的バンドらを聴いてる一方で久しぶりにちっさいハコのライブに行ってる。
今1番ライブ見たすぎるバンド、行きたすぎて(あと母数が少なくて)整理番号1番を2回取った。まだ今後も取れてしまいそう。しかしそういう部分に欲を出したらいけないと過去の自分が警報を鳴らす。
本当にハコと言いたくなるこの規模のライブハウス、もうそんなに行くことはないと思ってたのに今年は月一レベルで行きそう。もし私のストーカーがいたら行動把握すんのめちゃ楽だろうな。
バンドは推しではないので、行きたいなら自分の気が済むまで勝手に行きまくってそれで飽きるなら飽きればいい。好きだなーと思った時にいろいろ理由つけてそれをセーブする癖に気づいてから、リミットを意識的に外すようにしている。
 
具体的にどのバンドというわけではないが、ギタリスト然としたギタリストと、ロックンローラーって感じのギターボーカルと、音楽とかロックというよりとにかくバンドやりたくてやってるベースとドラム、みたいなのがいるバンドが好きかもしれない。
それと最近気づいたけど、簡素なドラムセットでヤバいドラム叩くドラマーがめちゃくちゃ好きだ。テクニカルとかただ手数が多いというのとはたぶん違うんだけど。この前のライブですげー好きなドラム見たのにサポートだったらしくて名前がわかんなくて悲しい。

ライブハウス以外でお目にかからないような格好してるバンドマンとか、よれよれのTシャツとか着てるバンドマンとか、派手なグルーピーちっくな女とか、こもった埃っぽい室内とか、1階に眼科のあるビルの地下やアパートの横とかで近隣住民に配慮しながら肩身狭く営業してる感じとか、隠してあるような入り口とか、終わって外に出た瞬間のあっけなさとかライブハウスのこと全部愛してる。
 
チケット取ってライブに行くという趣味、考えれば考えるほど自分に都合のいい趣味すぎる。
日程や内容が決まっていて不確定要素が少なく、どんな楽しみがあるか知っている安心感はあり、けれども毎回新鮮なおもしろみと何らかの刺激がある。それに酒が飲める。受け身で楽しめるのに身体を使って楽しんだ充足感もある。なぜか自分と向き合うような時間でもある。人が大勢いる中で一人でも勝手に楽しめる。酒も飲める。おしゃれをしていくも良し、しなくとも良し。酒だって飲める。パッと非日常を楽しんでさくっと日常に戻る。でも余韻が残る。
別にライブという趣味はとても素晴らしいのでぜひ行きましょうとお伝えしたいわけではない。ただ自分が幸せになる事柄に自覚的でありたいなという話。
 
ほどよく先に駒を置くようにぽんぽんと予定が立っていくと、だらだら続いている生活に区切りがつくのがいい。自分でつけられるというのがいい。そうやって気がつけば6月に、気がつけば年末に、と今年はやっていきたい。
 

繁忙期が終わり2024

忙しいと感情が消去法で喜怒哀楽の怒になってぷりぷりしながら退勤してしまう。たまに哀になるのは良くない。

 

仕事頑張りたくないわけじゃないんだけど、自分の考える頑張り方で頑張るだけで頑張ったと評価されて結果出して頑張ったな〜!ってなりたいからだめなんだよな。

決まったやり方しかできないより、するすると周りに合わせられるスマートさには憧れる。そういう手札の多さ。人脈とか知識とかすごい発想というのよりもっと目立たない手札の多さというか。

でもやっぱ自分のやりたい頑張り方だけで頑張りて〜
苦労したくないとは言わないけど納得できない苦労はしたくね~

 

頑張りたくないわけじゃないんだけど、たまに辞めるの選択肢はちらつく。

でも仕事を辞めたいというか、頑張るのやめたいだけで職場や職種を辞めたいわけじゃないんすよね。職場、辞めようと思えば理由はいくらでも出るんだけど、理由にはなっても決め手にはならない。いいところというか、気に入ってる。居心地はいい。トップの考えに賛同できる。尊敬できる人がうろうろいる。

先日、お昼買いに行こうとしたエレベーターでたまたま一緒になったからという理由で40代と50代の男性上司と3人でランチしたんだけど、普通に楽しく気負わず過ごせて良かった。あー私もようやく「若い女の子」を抜け出たのだなと思った。

あとこれはいいことでもないんだけど、私は「内輪ノリ」が好きなんですよね。
わかる人にはわかる話をわかる人とだけ盛り上がる。オタクがまさにそう。

だから職場の人と同じ専門の人間として話ができるのって大事かもしれない。前提条件を同じにしている人と話せることのありがたさ。プライベートだけじゃ足りないこともある。

あとなんかちょっと変なこと言っても「え〜すご〜い私わかんない〜😂」とか言う人がいない。「へえ、それってどういうこと?」って、わからないことは知ろうとする人、頭がいい悪いで話を終わらせない人ばかりなのはめちゃくちゃありがたい環境。(まあただ、興味のない話を相手を立てながら終わらせるとき「あー私よくわかんないですね~」は言うけどな。)

 

なりたかった大人になれてる、と思える生活があるのはこの職場のおかげも大きいんだろうな。それなら食いついていかなきゃいけないんだろうな。

 

 

繁忙期終わったぜ。気づけば年度も終わってたぜ。

結局私は大暴れできないとだめだ。

忙しい!!!!って言えるだけ働いて、遊んだ!!!!って言えるだけ遊びたい。

めちゃくちゃ忙しくしないとめちゃくちゃ遊べない。これだけ労働したんだからこれだけ遊ぶってなれるし、ほどほどに働くだけではほどほどに遊ぶだけで満足してしまう。

でもほどほどじゃダメか?

私、別に派手なことするタイプじゃない。休日は家から出たくない。金のかかる趣味はそんなにない。服も化粧品も外食も好きだけど、SNSを見てるとどちらかと言えば無くて困らない方だと思う。

ほどほどがやっぱり1番幸せじゃないか?

そう、学生の頃がそうだった。ほどほどにバイトしてその中でそれなりに満足していた。特別我慢して倹約したわけでもない。豪遊したいわけじゃない。

使いたい金額の話をしているわけじゃない。ほどほどに興味の範囲を納めて、自分を合わせていた。それをやりたくないんだよな。外にもっといろいろあるのに、それを見ようとすれば見れるのに。今これで満足してるからいいと考える。行くか迷ったら行かない。やるか迷ったらやらない。そうやって自分で自分のやれるキャパを決めるのが嫌だ。

めちゃくちゃ遊びたい、は時間や金額の数字の話じゃなくて、セーブしないこと。
何を?興味とか。うわ好きかもって思ったときの勢いとか。見つけられたかもしれない好きなものに全部出会っておきたい。根本的に言えばそういうことだと思う。

手札とかキャパとか、突き詰めると同じようなものかもしれない。懐?

 

10月(前後)の諸々2023

誕生日の月は調子が良い、という自分にしか通じないジンクスが今年は11月になった模様。融通の利くジンクスで助かる。

 

10月の記憶があまりなく、あまりないということはないだろうと手帳を見返したところ、表参道と荻窪でライブを見て、上野でキュビズム展を見て、アメリカのバンドと韓国のバンドと北京のバンドをよく聴いており、上司に連れられて赤坂の豚肉がおいしいお店に行き、くらちゃんみにょちゃんと東京駅で小籠包を食べ、歯医者でセラミックの詰め物を施し、月末に神保町の古本市の収穫でほくほくしていた。むしろ割に充実してた。

 

 

今年は平均して月1.2回ライブに行っている。

 

サマソニに行けたのも良かった。

やろうと思えばできるはずだけどやったことないからやってなくて、別にやらなくても困らないでも絶対やった方がいいし、それなら早い方がいいと思う。ということのひとつが夏フェスに行くことだった。

大昔にロックインジャパンとか、ベイキャンとか、行ったことがないわけではなかったけど、鉄板のとこ行けて良かった。

これは飲みたいと食べたいとライブ見たいを全て叶えようとしているところです。

 

フェスではないけど、BiKN shibuyaも行けて良かった。1日でアジア各国のバンドがいろいろライブやるイベントでした。インドネシアと北京と韓国と台湾のバンドを見た。

もともと知っていたバンドばかりではなかったが、この日のためにたくさん聴いた。聴いた分好きなバンドが増えて、好きになるたびに「このバンドのライブ見れるのか」「このバンドもこの日に見れるのか」と毎度新鮮に浮かれた。

好きな音楽が増えるなら順序はなんだっていい。先にチケット取ってからだっていい。

これは釜山のバンド、say sue me。

 

そういえばピンクのジャージのズボンが可愛くてまた浮かれた。

少なくとも6年以上ぶり、もしかすると8年ぶりとかでtheピーズのライブにも行った。そんなに久しぶりとはいえ、数えようもないけど、これが1番多くライブに行ってるバンドなのは確かだ(チケットが取りやすくライブが行きやすい、という理由はあるが)。

知らん間にドラムとベースが新顔になってて、メンバー3人だったはずが4人になってて、ギター1人のはずが2人になってて、ベースボーカルのはずがギターボーカルになるなど変化していたが、総じて感想が「変わってなくて安心した」だったのが良かった。

今のドラムの人いいなあ、他どこで叩いてるんだろう、と思って調べて聴いたバンドのひとつがすごく良くて、気づいたらそれから数日のうちにワンマンのチケットを取っていた。

そのバンド、曲が普通にめっちゃ好きということのみならず、ドラムとギターボーカルが幼馴染で、高校生の時に2人でピーズのコピーやってた、って話見て完全に全部好きになってしまった。

マリというバンド。検索しにくいバンド名はやめてほしい。でも由来が同じく幼馴染のギターの実家の犬の名前らしくて、なら仕方ないねとなった。

ワンマン楽しみ。

2日連続ライブ行く日程になってしまったが、できればそれは避けたかったのだけど仕方ない。

場所が初めて行くzepp shinjukuと、これまた少なくとも8年ぶり、もしかしたら10年ぶりとかで行くbasement barなのも楽しみ。

 

***

 

行きたいライブは、今のうちに行けるだけ行こうと思っている。

聴きたい音楽は聴けるだけ聴きたいし、行きたい美術館も行けるだけ行きたいし、読みたい本は読めるだけ読みたいと思ってる。観たい映画も観れるだけ観るようにもしたいが、まだちょっとそれができていなくて反省。来年へ。

 

文化的な趣味を忘れることを恐れている。

あと物価高騰とか親の健康とか5年後の自分の仕事と収入とか加齢による身体の変化とかも恐れてはいるが、根本的に私はなんとかなっちゃうと思って生きている。そしてこういうことがなんとかならなかったとき、それはなんとかならなかったという明確な答えになってくれる。

 

趣味なんて、カルチャーなんて、別に忘れてしまってもなんとかなることはわかってる。そうしてなんとかなることを恐れてる。

たぶんそこでなんともならなくなって、ああ自分があのとき趣味を忘れてしまったからいけないんだ、とはならないのだ。そんなわかりやすい答えにはなってくれない。

趣味を忘れた先の時間は、それ相応の(きっといかにもその年齢と社会的地位にふさわしい)物事で埋められ、それが正解だったような気がして生きていけてしまう。本当はそっちこそが正解かもしれない。かもしれない、程度の正解に沿って年齢を重ねることを恐れている。

 

まあたぶんこれが正解なんでしょう、と自分の外側に決定権をゆだねた正解だけで生きていくのがこわい。いや、こわいではないが、うるせえよ、くらいにはかなり思ってる。

 

何から何まで自分で決めたいのか、ということではなく、なら何なのかというと

どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う

という小津安二郎の言葉に尽きる。

芸術といっても自分が作り出すものではなく受け取るものの方にも言えるだろうし、なんなら、美学、と言い換えてもいいかもしれない。

 

No music no lifeを10代の頃マジで豪語していたことはちょっと恥ずかしいから触れないでほしいけどそうだった人たち(私です)。

音楽なんてなくても生きていける。

生きていけるって気づいてそれでも、となった先が分かれ道だったんだろうか。

 

 

 

そういうことがこわくなりすぎて必死すぎて10月は記憶なかったっぽい。

 

20230613

あの会食から1年とは。
フェスタ!&カムバ!って無邪気に楽しんでいたような記憶。ジョングクの髪が短かった。
翻訳を追いきれなくて、TLをスクロールしながら徐々に何となく、察してきたという感じだったと思う。誰かの翻訳と、誰かのRTと、誰かがツイートした芸能ニュースと、を同時並行で見てどこで何を最初に知ったのかの時系列をあんまり覚えていない。
休止、という言葉を見出しにつかったサイトひとつひとつにブチぎれて普段見ない芸能ニュースサイト見過ぎて胸焼けしてた。
その前から、K-POPファン歴長い人たちの雰囲気からなんらかの予兆を感じてはいたはずだったけど、7人を見てこの人たちはどうなっても大丈夫でしょと思っていた。確かにこの人たちは大丈夫だけど、自分は大丈夫かは考えてなかった。
まあ別に大丈夫ですけど。
インスタのストーリーズに長文書いたりした。

ホビさんが先陣を切ってLollapaloozaを成功させ、ジンくんがシングルを出して兵役に行き、ソロアルバムが4人から出て、末っ子はインスタに飽きたらしい。


で、1年。
全然、普通に好きだなって思ってる。
好きというのがなんの引っかかりなく100%で出てくる。他人に証明したいとも思わず、自分で自分の気持ちを疑うことなく出てくる。なんの引っかかりもなさすぎて、意識しない。
普通に1番好き。普通に特別好き。
空が青い、飼い猫が可愛い、月曜がつらい、BTSが好き。特別の反対としての普通ではなくて、イレギュラーの反対として、それが通常営業という意味で、普通に好き。それが自分の普通という意味で普通に好き。

 

www.youtube.com

久しぶりに7人揃っている!と思って観始めたら、あまりに当たり前に好きで、「なんだ〜」と思ってしまった。なんだ、やっぱりね。なんも変わってないじゃん。結局好きじゃん。改めて好きとかじゃなくて、それでも好き、でもなく、ずっと好きなまんまだったんじゃん。
聞き慣れた声が7人分聞こえてそれだけで全部だった。
意味をほぼ理解できていない言語の話者に親しみをおぼえるのは、よく考えると不思議な気もするし、でも理由を考えると当然の気もする。
単に声だけじゃなくて、意味わかってないくせに、聞き慣れた会話のリズム。7人の口調とかテンポ。
正直1回目は何と言っているのか字幕を追うのに精一杯で、2回目以降でようやく意味以外を追ってる。でもそれは単に確かめるみたいな感じで、つまり、何と言っているかがわかれば、あとは誰がどんなタイミングでどんな表情どんな仕草で誰に向かって言っているのかというのは想定内に進んでいる安心感。気心知れた相手との想定内な会話の安心感に似ている。

 


好きになったのが7周年のフェスタの後だったから、今年で3回目のフェスタだ。
3年ってこんな感じなんだ~と思ってる。
それを今総括しようとは思ってなくて、とにかくこんな感じなんだ~とだけ思っている。
3年、って私の中では長い。1番入れ込んだグループを好きになってから解散を見届けるまでが1年と1,2ヶ月だったから。毎年恒例なんて行事の記憶は当然なんもなかった。それと比べると長い。
推しがたくさんいる人間として比べるなんてとても野暮な行為だと思いますが、どっちがいい悪いではなくて今は今で新鮮だなって思ってるところ。3年も経ったのに、3年経ったということがまた新鮮でわくわくしてる。
今しかないからこそ素晴らしいのだと思っていたよ。あのときは。
今しかないからこんなに輝けてこんなに熱量を上げられるのだと思っていた。一生アイドルでいてほしいと思うなんてひどいことだと思ってた。
アイドルとファンが一緒に未来を考える、なんてそのときの自分に言ったら想像できなさすぎて信じないと思う。
未来を考えるということは過去を考えることでもあるらしい。
ある程度の長さを共にすると、お互いの過去にお互いが含まれてしまうらしい。
付き合いは長さじゃない。
なんてよく言うけど、過去と未来まであるつながりの強さというものがあるんだなと感じている。
今だけどんなに強く思ってもそれとは代えのきかない、短くて濃いのとはまた別のつながりの強さ。
当人次第のものと、勝手に流れてしまった時間によるものの、両方が合わさった強さ。

最近は持続可能な推し方を考えています。
細く長く、っていうものでもない。
自分の過去にも未来にもいてほしい。そして過去と未来を共有させてほしい。一緒に過去を思い返したいし、未来を楽しみに待たせてほしい。
結局それって、自分の過去と未来もちゃんと更新してかないといけないんだよなと思ってる。その中に好きな人たちを織り込んで。
彼らによってめちゃくちゃ泣いたり笑ったりして生かされながらも、それはそれとして関係なく生きていくしかないような気がしてる。
なぜか突然概念的かつ大局的な話になってしまった。

 


7人みんな、しきりに「“BTSとARMYが”10周年」と言う。
これが本当にすごいなぁと思ってる。ファンダムに名前をつけること自体はめずらしくないけど、「みなさんのおかげで自分たちがいます」という言葉だってめずらしくないけど、自分たちの活動、ではなく、自分たちとファンの活動だとここまで言い切ってしまうのが素直にすごい。言うこと自体は簡単だけど、その徹底ぶりが。その結果作られているものがすごいというか新しいと思う。
名前の付いたファンダムの一部であるとき、今まではそのファンダムに参加しているというような、チーム名みたいなイメージだったけど、バンタンの呼ぶARMYって少しちがう。言ってみれば、個であり全、全であり個?いやわかりませんが…
私個人はまだ3周年ほどなのに、ぼくたちが10周年だと言われても自分が該当しない疎外感がない。といってももちろん私も10年なんです~と思ってるわけでもない。
彼らの呼ぶARMYというのはつくづく不思議。

 

youtu.be

3年も経つとさすがに最初に好きになった曲を日常的に聴くこともなくて、Dynamiteを聴くと好きになったばかりの頃の気持ちがよみがえってくる。
何か全く新しい世界が急に目の前にひらけたようだった気持ち。
見るもの聞くもの全部が新しくて刺激的で、いくら調べても尽きなくて、とにかく何もかも全部知りたくて必死になってた。
それはこのDynamiteという曲にあまりにぴったりで、Dynamite新規だなんてちょっと引け目に思ってたりしたけど、今ではこの曲で新規になって良かったなって本当に思ってる。


10周年おめでとうございます。
その数字の重みに何を言ったら相応しいのか全然わからないけど、こんな素晴らしい数字に立ち会えたことがまず素直に嬉しくて、そしてその先が彼らにも自分にもあるのだろうと思えることに今は安心の気持ちが大きいです。嬉しいと安心がメインなのかな。

数年後の約束ができるってロマンチック。




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