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続・読書の巻

このブログは前回(読書の巻)の続きからになっているので、

もし読んでいなければ読んできてほしい。

その方が何かと私に好都合になりそうだ。

 

さて、

昨日の私は物語のことを毛糸の手編みセーターと例え、

読書のことをセーターを着ることと表現した。

だが、

実際私は毛糸の手編みセーターなんて着たことは一度もない。

しかしそのことも私が物語を毛糸の手編みセーターと例える要因のひとつとなっている。

 

私は毛糸のセーターなど着たことはない。

故に私は毛糸のセーターというものが、

どのような着心地で、

どれほど温かい服なのかを知らないのだ。

その服を着た結果私はどう感じるのか、

それがわからないからその服を着るのだ。

ある意味それは一種の期待のようなもので、

私はそれを着ることによって暖められることを暗に望んでいる。

 

別に気持ちが明るくなったり心が温まったりすることを求めているわけではない。

私が“セーターを着る”ことで得られる温もりは、

私が今まで感じたことがなかったり、

忘れていたりしたような感情の昂りにある。

自分の中の“何か”を揺さぶるような物語を、

私は欲している。

 

斜に構えている私にとって、

市場に出回る物語の殆どは、

化学繊維で作られたツルツルした服のように見受けられて、

その服を着ても温かくなるわけではないし、

むしろその着心地に嫌悪感を抱いてしまうことの方が多い(正直読まず嫌いなところはあるのでこの見立てが完全に合っているかと言われると自信はない)。

事前に結末が見え透いてしまう物語(特にハッピーエンドのものに多いように思える)を摂取しても、

大概私に残る感情といえば、

これはフィクションだから許されるのであって現実ではこんなに上手くいかない、

という物語への不満くらいである。

 

不満というのは一時のものだから、

結局物語を摂取しても後には何も残らないのだ。

時間と労力をかけてそんなことをするのは無駄なので、

そんな物語なんてさらさら摂取する気にはなれない。

 

私は私の中の何かを変えてくれる物語を望んでいるし、

また一方で大幅に何かが変わってしまうことを恐れている。

物語を摂取して、

何かが変わった喜びと、

何かが変わりすぎてしまいそうな恐怖がせめぎ合う。

そうした時に感じる、

「読まなければよかった」という感情が、

私にとってその物語に対する、

最大限の賛辞なのだ。

その物語には、

良くも悪くも私を変えてしまう程の力があったのだ。

こんなに素晴らしいことはない。

 

あっという間に借りた3冊のうち2冊を読み終えてしまった。

とても着心地のよくて温かいセーターを貸してくれた盟友には感謝しなければいけない。




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