これは私の持論だし、
有識者でもなんでもないので、
異論反論は全然受けつけるのだが、
最近のニュースはどう見ても、
ネットの延長線上に落ち着いてしまっている気がする。
科学技術の発展と共に、
ネットもある意味“安価”なものになり、
今では“生活必需品”にまでなった。
一家に一台パソコンがないような暮らしから、
一人一台スマホを持つような暮らしが当たり前になり、
誰もが手軽にネットに接続できるようになった。
ネットの発達に伴ってSNSが誕生し、
SNSのおかげで、
人々は自分の所在地、立場、人種等、
コミュニケーションのバックグラウンドにある情報を超えて繋がることが可能になったように思える。
私がこんなところで喋っているのも、
ネットのおかげと言ってよい。
しかしそういった革新の中で、
情報の単位が大衆から個人にフォーカスされ、
良くも悪くも個人が世界に与える影響が大きくなった。
YouTubeであげた収益で生活する、
いわゆるYouTuberは典型的な良い例であろう。
その一方で、
表現は悪いが“バカな奴”も世界に進出してくるようになってしまった。
クラスに一人はいたような悪ガキや、
他人を見下すことで承認欲求を満たしていたいじめっ子のような人物も、
こぞってネットに出現し、
なにかしでかすとすぐネットに載せられ、
権力を履き違えた人物達に叩かれ、
炎上し、
それを全世界が見ることができるようになってしまった。
その炎上したコンテンツが、
ネットの中でニュースに立ち代るような存在になり、
マスメディアはそのコンテンツを、
“ニュース”として取り上げるようになってしまった。
昔は“大衆”という単位が主な勢力を持っていたし、
“社会”という言葉がまだ形を保っていたから、
テレビ等のマスメディアも、
“社会”のニュースを取り上げていた。
しかし、
“個人”が主力になった今、
ニュースの内容も“個人達”が興味のあるニュースになり、
“社会”にとってのニュースが後回しにされてしまっている気がする。
これは非常に勿体ないことであるし、
間違えてはいけないのは、
ネットが全てではないということである。
ネットというひとつの大きなメディアの勢力にあやかるだけのテレビになってはいけない気がする。
巷では煽り運転の犯人の映像やら、
有名人のプライベートやら、
どうでもいいニュースばかり流れている。
もっと他に重要なニュースがあるだろうに。
なんと言ってもまだ一家に一台以上テレビが置いてある時代である。
テレビというマスメディアにしかできない“ニュース”とはなんなのか、
我々視聴者は考えるべき立場にあるのではないだろうか。