はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と六十九
「ガッコウ ハ シャカイ ノ シュクズ?」
「学校は社会の縮図」
ん?
「って、よく言われたものだ」
ん~。
「もちろんポジティブな意味合いで、そう言われていたとは思うけれど」
「ポジティブな、ですか」
「そう。縮図だからこそ、ナンともカンともな大人たちのこの社会を、社会の有り様(サマ)を、問題点を、課題を、学校という社会の中で学べるのだ、ってな」
ん、ん~。
学べるのだ、と、言われても、いったい、どうやって、学ぶというのか。現場で孤軍奮闘されている先生方にはタイヘン申し訳ないが、私の中には、学校というものに対してズッと抱き続けてきた不信感のようなものがあるものだから、そう易々とは鵜呑みになんてできないのである。
「しかしながら」
ん?
「もはや、学校は、縮図どころか写し鏡なんじゃねえのか、という指摘、なくはない」
縮図どころか、写し鏡?
「この両者、似てはいるが、実は、子どもたちからしてみれば、致命的に違う」
致命的に、違う?
ナニが、ドコが、違うというのか。
「縮図なら、まだ、シビアながらもギリギリ教材となり得(ウ)る、かもしれないが、写し鏡となると、もう、子どもたちにとっては余りに荷が重すぎる」
写し鏡では荷が重すぎる、とは、いったい。
「縮小版だから辛うじて学べるのだ。ソレが原寸大の写し鏡では、教材の域を、レベルを、軽く飛び越えてしまう、わけ」
なるほど。
なんとなくながらも、写し鏡の恐ろしさみたいなもののその理由が見えてきた。
「大人たちの社会の中に渦巻く、差別。誹謗中傷。理不尽な同調圧力。そして、ジワジワと広がっていく歪んだ仲間意識、仲間づくり。が、引き起こす、分断。排斥。排除。が、そのまま原寸大で、だぜ」
う~わ~。
「そりゃ、傷付くだろ。心が潰れてしまうだろ。そして、ナニもカもイヤになって、絶望して、登校することもできなくなる」
ま、まさに、ソレだ。私が、以前からズッと抱き続けてきた、モノ、の、その正体。ソレを、呑気に、「学び」などと言われても、そんな簡単に納得などできるわけがないのだ。
「それでも」
ん?
「縮図ではなく写し鏡であることもまた致し方ない。ソレが現代を生きる子どもたちの宿命だ。と、言うのなら、大人たちよ、もうそろそろ、いい加減、まず大人たちの社会から、差別を、誹謗中傷を、理不尽な同調圧力を、歪んだ仲間づくりを、一掃していかなければならないんじゃねえのか、ってな。ソレが、写し鏡の大元(オオモト)である大人たちに課せられた使命であり責務だろ。違うかい」
違わない。
不登校、どころか、信じられない数の子どもたちが自ら命を絶っているのだ。夢も未来もある子どもたちが、ナゼ、ソコまで追い詰められなくてはならなかったのか。絶望しなければならなかったのか。大人たちは、ナニがナンでもそうしたトンでもない悲劇の現実から目を逸らすべきではない。
「ひょっとしたら」
ん?
「大人たちは、あの『自己責任論』を、あの『新自由主義』を、未来ある、というか、この国の、この星の、未来そのものである子どもたちにまで押し付けようとしているのかもしれねえな」
またまた、自己責任論と新自由主義、か~。
万が一にもそうだとしたら、この世は、もう、完全に悪夢の奈落。奈落に、光り輝く明るい未来などあろうはずがないのである。(つづく)