はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と弐
「ファクトチェ~ック!」
「それでもデマは、フェイクは、堂々と垂れ流される」
ホントだ。
まさに、堂々と、垂れ流されている。
「そして、たいていの場合、誰も責任なんて取らないし、取らなくったって、たいした問題にもならない。むしろ、騙される方が悪い、ってなもんだ」
そんな感じだ。
「場合によっては、垂れ流している本人が、誰かに騙されれている、なんてことさえあったりしていそうで、かなり厄介だよな」
厄介だ。
選挙演説で、ドコからドウ見てもデマとしか思えないコトを熱弁。どころか、己の熱弁に酔いしれて涙する。みたいな、そんな候補者さえいたりする。あの手の候補者は、ひょっとすると、本気でファクトと信じて訴えているのかもしれない。
「と、いうことはだ。候補者も、有権者も、そう簡単にはその嘘を見抜けないってことだ。と、なると。第三者によるファクトチェックが必要ってことになる」
第三者によるファクトチェック、か~。
「この第三者がポイント。非党派性と公正性を、そして、意見の検証ではなく、あくまでも事実の検証なんだということを、ちゃんと理解できている第三者でなきゃ~ならねえからな」
意見の検証ではない、か~。
傲慢と偏見に満ちた差別的な意見を意見と見做(ナ)すことには大いなる抵抗があるが、本来、意見はイロイロあっていい。しかし、事実は一つ。イロイロあっていいはずがない。にもかかわらず、そのたった一つの事実を捻(ネ)じ曲げてしまうことまで表現の自由と宣う候補者を目にすることがある。だから、だから必要なのだろう、その検証が。ファクトチェックが。
「皆が皆、とまでは言わないが、既成メディア批判に明け暮れるネット信奉ピーポーたちが、『ネットにこそ事実、真実がある』と吹聴しまくっている。だけに、今こそ、眠れるジャーナリズムを目覚めさせ、立ち上がらなければならねえんじゃねえのか、既成メディアさんたちよ。ってな」
つまり。
「既成メディアが、その第三者にならなければならないと」
「そう、そういうこと。すでに動き始めている新聞社もあるようだが、全社挙げて、少なくとも選挙期間中ぐらいは、毎日毎日、徹底的にファクトチェックし続けなければダメだろ。ソレが責務だろ。と、思うんだが、どう思う?」
「既成メディアには申し訳ありませんが、どうしても、心許(モト)なく感じてしまいます。でも、おっしゃる通り、ソレこそが、既成メディアのやるべき仕事だと思うし、そうすることで、きっと、捲土重来(ケンドチョウライ)。既成メディアが本来もっているチカラが、ジャーナリズムが、多くの人に間違いなく再認識されると思います」
「だよな。ま、おそらく、支持者の手前、恥ずかしげもなく『フェイク呼ばわりしやがって。不正確だ~。誤導だ~』などと厳重抗議する政党も出てくるかもしれないが、負けねえでほしいよな。ナニがナンでもジャーナリズム。事実を伝えるコトこそがジャーナリズムなんだから」
その通り。
事実を伝えるコトこそが、ジャーナリズム。ナニがナンでも負けないでほしい。(つづく)