はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と八十六
「ニワリ セイジカ ハビコル?」
投票は自己表現と自由。
その二つが阻害されているような選挙なら投票なんてしなくていい、か~。
それなりに理解できなくはないが、どうしても、ナニかが引っ掛かる。
そのナニかとは。
ある巨大都市の首長を決める選挙。その投票率の低さを目(マ)の当たりにして、じゃ、最初から、全てのピーポーたちの考えた政策を、より多くのピーポーたちに理解してもらえるよう丁寧に訴え続ける、などというコスパもタイパも悪いコトはせず、たとえば2割程度の、たかだかその程度の支持を得るための戦術で充分と、残りの8割は切り捨てても勝てると、思い始めるのではないか、という懸念、ソレが、おそらく、その引っ掛かる、その「ナニか」だろう。
いや、きっと、そうに違いない。
あの、過半数の、6割の、支持さえ得られれば残りのピーポーたちの思いなど知ったこっちゃない、という6割政治家。どころではない、この、2割政治家。相当に厄介だ。
そんな厄介な2割政治家を蔓延らせないという意味でも、いかなる理由があろうとも、「投票なんてしなくていい」などと宣うことは、やはり、好ましくないような気がしてならないのである。
「投票しない、と、投票なんてしなくていい、とは、違うと思うのです」、と私。
すると、Aくん、「投票しない、と、投票なんてしなくていい、とは、違う、ね~。ん~、・・・なるほど、そりゃそうだ。少なくとも前者は本人の意思。後者のように、周りから、とやかく言われる筋合いはない、と、僕も思う」、と、あまりにもサクッと納得したものだから、少々拍子抜けする。
「大袈裟かも、傲慢かも、思い上がりも程々にしろ、かも、しれませんが、候補者を育てるのもまた、有権者である私たちに課せられた使命だと思うのです」
「使命、ね~」
「低い投票率の中での、たかだか2割程度の支持で、得票数で、首長に、などということが罷り通ってしまったら、私たち有権者が候補者を育てるコト自体、もう、おそらく、儘(ママ)ならなくなるだろうし、候補者は候補者で、弱者に、少数派に、その思いに、目を向けなくなってしまうような、目を向ける必要なんてなくなってしまうような、気が」
「するわけだ」
「はい、メチャクチャ、しまくっています」
「その懸念、的を射ているかもな。その程度の支持でいいなら、わざわざそんな弱者や少数派に目を向けなくとも、その思いに耳を傾けなくとも、ズブズブ癒着丸出しの、太い利権にもガッチリと支えられた圧倒的な権力を握る候補者は、元々もっている圧倒的な組織票にチョコチョコッと上乗せするだけで、充分に、戦えてしまえそうだからな」
ふ~。
そんな、主体が誰なのかがよくわからない組織票っぽいものではなく、頑として凛とした自分が、己自身で考える。深く、深く考える。そして、己の意思で清き一票を投じる。ソレで、あの北欧のような優に80%を超える投票率に、どうすればなるのか。悲しいかな、私には、全くもって、見当すらつかない。(つづく)