はしご酒(3軒目) その六十
「ヤッパリ キョウイク!」②
「現場は、たしかに、荒れ模様だからな~」
と、再び、少し、モヤが掛かってしまった、Z’さん。
妙に、その、「荒れ模様」が引っ掛かる。
Aくんが宣っていたコトを、そのまま丸ごと鵜呑みにする、ならば、現場はすでに、もう、荒れ模様であることを放置しているかのように、捨て置いているかのように、思えるからだ。
そう、荒れ模様を放置する。という、感じ。
たとえば、硬直化の申し子、トップダウン。
その中で、心ある学校の先生たちは、やがて、声もなく、音もなく、静かに心身ともに疲弊していく。そして、消え去る。この感じが、私が漠然と抱く、「荒れ模様を放置する」、感じ。
考えてみると、「学校とはナンだろう、真の教育とはナンだろう」という問い掛けに、誰もが納得できるように答えられるようなシモジモじゃないエライ人にお目にかかることなど、まず、ないような気がする。ソレどころか、そもそも、あの人たちは、ソンなことに、微塵も、問題意識をもっていない。言い換えれば、ソンなコトに問題意識をもっていたら、その手のエライ人たちにはなれない、ということなのだろう。
そんなその手のエライ人たちがイニシアチブをとっている教育界なのだ。ソレゆえ、どうしても、教育の根幹部分がプスンプスンと希薄になっていく。だから、放置もまた、当然といえば当然、な、コトなのかもしれない。
そんなコトだから、いとも簡単に、テストの点数アップ=評価(もちろん、生徒に対してだけでなく先生に対しても)、などという、実に短絡的で稚拙な図式みたいなモノが、出来上がってしまったりするのだろう。(つづく)