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栄養も教養もバランスよく取ればいいじゃない

以前ちらっと書いたウルグアイホセ・ムヒカ元大統領の話も含め、仕事を辞めてからは『心のゆとり』というものを考えたり感じたりするようになった。

もちろん次の仕事は早く決まってほしいし焦燥感は当たり前のように募っているが、それよりもっと手前の根本的な精神は昔より落ち着いていると思う。

『諦観』『諦念』という言葉がある。字面だけ見ると『諦』が入っているので「もう無理、やーめた」みたいなネガティブな意味に捉えてしまうが、仏教の世界では「物事の本質や真理を悟り、迷いを捨て去る」という意味で、いわば悟りの境地に至る考えの基礎を指す。

これはスピリチュアルの世界(といっても多岐に渡るが)でも言われる「執着を手放す」という行為と似ている。決して「物欲を無くせ」と言っているのではなく、「欲しいものを探すことをやめなさい」というものだ。この言葉でも合っているのか分からないので言語化は非常に難しい。

「こうなりたい」と思い努力することは大事だが、「自分はこうあるべきだ」という思い込みは自身を雁字搦めにし、盲目にさせる。ネットの無かった頃ですら周りを見て「人間はこうでなければダメなんだ」と思ってしまうのに、ネットが発達して顔も名前も分からない人の言葉が常に目に入れば、更に迷いや間違いを生むのは明白だ。

世界は知らないが日本は良くも悪くも教育熱心な国である。それこそ全ての物事に正解や結論があると錯覚してしまうほどだ。

その前提に浸かっていると、「こうすれば金持ちになれる」とか「こうしないと決して成功しない」という甘言に引き寄せられてしまう。自分に合わないものだろうとそこに正解があるならばとそれを調べ、どんどん自分自身が分からなくなっていく。

もちろん「執着を手放す」というのは仏教的な観点から見た一つの考えであり、これが唯一の正解というわけではない。ただ自分にとっては面白い発見で、心が落ち着いたというだけだ。

宗教やスピリチュアルというジャンルは散々お金儲けの道具にされてきたため、その名前が出るだけで忌避する気持ちはよく分かる。しかし、隙あらば高額な本を見せてくるようなものを避けて軽い気持ちで見てみれば、意外と大きな発見があったりする。

ただでさえ心理や意識に関わることなので、言語化されても雲をつかむような話に聞こえてくることもよくある。ましてや海外の人の話なら翻訳による微妙なズレというものもあると思うので、理解するというよりまずは慣れるような姿勢で見るのがいいと思う。

タイトルにも書いたが、栄養も何か一つを摂ればいいというものではない。野菜だけ食べてても筋肉はつかないし、肉ばかり食べてても血液はサラサラにならない。

ならば教養も色々なジャンルから広く取り入れて取捨選択していけばいい。それが漫画やアイドル、場合によっては鉄道でも、自分にぴったりの発見がある可能性はゼロではない。「人生とはキハ110系のようなもので…」とか言い出す自分もいるかも知れない。

そう思うだけで知的好奇心が湧いてくる。何事もやってみなければ分からないということなのだろう。

「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」とはよく言ったものである。こうやって先人がとっくの昔に当てはまる言葉を作っているんだから敵わんもんですな。

昨日の政治記事もそうだけど、こういう話題は緩くやってる自分のブログでも説教臭くなるから多用しないようにしよう。

一記事で 一度はボケなきゃ 気が済まない (ハム王、心の一句)




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