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腕時計は「いる」も「いらない」も一枚岩ではない

場末のネット掲示板で「腕時計とか今時いらなくない?」的なスレッドがやや盛り上がっていた。

この手の話題はSNSでもたびたび論争になるので、もはや定期ネタとも言えよう。ここで厄介なのが、どちらの意見も派閥が違う(理由が違う)人たちの集まりであるということだ。

例えば『いる』派の中では「社会人のマナーとして当然」という理由の人もいるし、「投機の対象として優秀だから」という観点の人もいる。そして『いらない』派でも「時間なんてスマホで確認すればいい」という人もいれば「思考停止でマナーマナー連呼する奴が嫌いだから」という人だっているだろう。

しかし、SNS掲示板といった個人を特定できない不特定多数の場では、そういった個人個人の理由は考慮されず『いる・いらない』という意見を各々が言うだけで、建設的な議論ができない。

更に、(海外は知らないが)少なくとも日本では積極的にディベートをする文化が無いため、「自分の意見を否定された=自分自身を否定された」と捉える人が少なくない。これはネットの発達に伴う『薄い繋がり』がもたらした弊害だと思う。

もっと言うと、最近のSNSは「過激なことを言って注目されればお金になる」というふざけたシステムなので、もはや自分の意見すら関係なくどちらかの人間を何かしらの蔑称で呼べば簡単に注目してもらえる。

先述の例で言えば「腕時計いらないとか言ってる奴は社会未経験のニート」とか「腕時計がマナーとか言ってる奴は思考停止の老害」とかだろうか。勿論これを本心で言ってたとしても問題だが。

一応自分は『いる』派である。理由は去年ぐらいにも似た記事を書いた気がする。

スマホのようなマルチデバイスは『何でもできる』という長所がある分『何をしてるか分からない』という短所がある。

例えば電車で目の前の人にスマホを向けられれば、少なくともいい気はしないだろう。たとえ相手が「電子書籍を読んでただけです」とか「インカメで髪型直してただけです」と言われて本当にそうだったとしても、スマホを向けられたという事実は「もしかして撮られてる?」という疑念を抱かせる。素性も知らない人なら尚更警戒するだろう。

それと近いことが社会での時間確認でも起こりうると思う。社会では自分の想像を超えて利口な人もいれば偏屈極まりない人もいる。

取引先やお客さんの目の前でスマホを取り出して(本人だけでなく周りにも)疑念を持たせかねないより、腕時計を見て「私は時間を確認しているだけです」という完全な護身を完成させるほうが楽だ。「李下に冠を正さず」とはこのことである。

そういう意味ではスマートウォッチはお互いの譲歩の完成形ではなかろうか。

『マナー』と一括りにすると反感を買いやすいが、こういった理由も含めてマナーと言えば説得力は増えると思う。

その前に、まずは誰しもが相手に敬意を持って『意見の押しつけ合い』ではなく『建設的な議論』をしようという姿勢を持つことが最優先か。

義務教育の期間中にその精神を家庭と学校で育てられればいいけど現実は難しいものである。




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