大塚英志さんが『マイナンバーから改憲へ』で指摘している、自民党改憲案で「「個人」という現在の保守が忌み嫌う語から「個」がとれて「人」と」変えられている問題について、高橋哲哉・岡野八代『憲法のポリティカ――哲学者と政治学者の対話』では次のように論じています。抜粋してご紹介します。
https://hakutakusha.co.jp/book/9784768479582/
〈「個人」と「人」〉
高橋:立憲主義のモデルとしては、やはり国家対個人になると思うんです。人権といえば、これはあくまで一人一人の権利が基本なので、例えば日本国民のほとんどが神道を信じる、だけど私はキリスト教徒ですといったときに、たった一人であってもその権利は保障しますよというのが基本的人権の尊重でしょう。最後は一人一人の単位にいくわけです。これは近代国家、民主主義国家としては、主権者人民、国民の一人一人、個人を単位として国家がそれを保障するというかたちになるのが当然だと思うんです。
岡野:ですから、現行憲法の「個人」を自民党草案で「人」と書き直した意図がどこらへんにあるかわかりませんが、私にとって「人」というと、何か日本だとすぐ「それは人の道に反しているから」とか言われそうで、「人」という言葉に社会的なプレッシャー、ぼんやりした集団主義的なニュアンスを、どうしても感じてしまう。一方、「個人」とは全体の中の一部ではなくて、一個がこれ以上分割できない、インディバイド、インディビジュアルなんだという、そこに他と比較できない一つ一つ価値がある。おっしゃるように九九パーセントの人が反対しても比較できない一個の価値を同じように尊重しないといけない。これは、個人というものの持つすごく大きな重みだと思います。
高橋:彼らはとにかく個人の「個」を消したいようです。
岡野:それは幸福追求権に出てくるような個人の考え方ですよね。どういう幸福を一人一人が描いていても、国家は、その手段は少し手助けするかもしれないけど、あなたの幸福はこれですよというのは、やはり言ってはいけない。これは個人が一人一人夢見るところは侵害してはいけないという立憲主義の一番大きな柱です。そこが切り捨てられてしまうという恐ろしさはありますね。
(『憲法のポリティカ』、65~66頁)
