狂乱の「戦後80年」も終わり、あらためて出そろった様々の論評に感心した。まだまだ知らないことがわんさとあることだ。
若い人向けに、小さな感想を記す。
原爆投下についての、米国人の肯定的言表は何をどう言っても変わらないだろう。
正義は勝利したという、日本人も内々そのようなマインドを右翼でない限り持っているからだ。
爆弾の種類で許される問題ではなく、非戦闘員への大量爆殺では同じなのである。
つまり、アメリカ人は、敵対戦で損耗率を最低限にするという作戦は、当然の権利だと思っている。軍隊では当然の話だ。
日本が戦争を仕掛けてきて、勝手なこといわれてもなーというのが本音なのだ。
本土上陸作戦「ダウンフォール作戦」を練ったが、少なく見積もっても50万人の兵の損耗が見込まれる。
それが5月。
7月に原爆実験が成功したとトルーマンは連絡を受け取る。
トルーマンは、二つ決断する。
もう一つは、日本全土原爆攻撃をして兵の損耗を圧倒的に減らすこと。その作戦計画に着手。
既にご存じのように、広島、長崎ばかりか、小倉、京都などほぼ全都市が対象である。
北海道上陸直前で9・2終戦調印がなされ、北海道分割は免れた。
この時、右派、学者多数派が語らない問題は、天皇の責任である。
近衛の証言から明らかとなっている。
天皇は、国民を盾にして、何を守ろうとしたか。
それは共産主義から「國體」を守ることであった。平たく言えば皇室を守ることだった。
天皇は、政治の決定的時点で、やはり元帥としての役割を果たしている。
さて、なにを言いたいかというと、
原爆投下は、日本の重慶爆撃と同じである。
爆弾の威力で残虐性を訴える方法を、私はとらない。
吉本主義者の私は、爆弾の下の一人ひとりの命を等価であると考えるからである。
そして、多くの愛の子供を産んだ。
アメリカ人は、それほど核爆弾で助かった、という実感をもったのだ。
ここには加藤典洋が吉本から受け取った、「内在」(主観的了解)から「関係性」(客観的な逃れられない立場)を理解していたら、反原爆運動が、アトムに代表される新しいエネルギーだから平和に利用しましょうなどとノーテンキに原発をバカバカ作ることもなかっただろう。
人にとって危険であるという原点で、核爆弾も原発も悪である。
非戦闘員への無差別爆撃は、爆弾の差異で悪は測れない。
反原発運動は、良くも悪くも核の平和利用を積極的に推進したのである。
(これについては、運動を批判しつつも、川村湊などのモロ批判とは別に、加藤同様その理由を肯定的に了解している)