この映像では、米兵の死亡時の死体から爆死の後の死体損壊なのか、それともまだ生存していたが引きずり出して虐殺したのか、語られていない。爆心地より捕虜が収容されていた憲兵隊本部は200メーターだったというから、おそらくもう死亡していたと思いたい。
大衆の残虐性から、丸山眞男の民主的「主体」論で解けるのか?
吉本隆明は、「大衆の原像」という概念で、大衆への信頼を持ちながら、
一方で大衆の残酷さは、歴史的な民俗性にまで下降することでしか解けないとした。西欧モデルの「主体性」をその意味で批判した。しかし今となっては私は吉本は丸山を批判してたが、否定をしたわけではないと理解する。アプローチの方法であって、西欧モデルの主体論では、あの皇国思想に惑溺した特殊日本人を真実のところで把握し損なうだろうと批判したはずだ。そのうえで、では戦後民主主義をどう生きていくか、そこの中に大衆の原像を繰り込んで生きていくしかないと批判したのだろう。
ありていに言えば、知的に上昇した者は、参政党の支持者や日本会議の広範な田舎の田吾作など、自らの不全感を言語化できずにいる大衆の「弱者」としての部分を代弁していくことを吉本は方法としようとしたと言える。