トランプ大統領が、矢継ぎ早に大統領令に署名して、反民主党抹消政策に出ている。
今日の報道では、早くも国民の65%が、これ以上トランプに強い権限を与えるべきでないとアンケートに回答しているとのことだ。
これは、やはりアメリカ国民の民主的感覚が働いていると評価してよいのか、それとも当選させていながら何をいっているのだ、危険なのは最初から分かっていただろうに、と軽薄さとみて侮蔑すべきなのか。おそらく両方とも容認できるのかもしれない。
さて、遅きに失するがマイケル・サンデルのコメントがyoutubeに表示されてきた。マイケル・サンデルのトランプ現象の「必然性」と、トランプの反民主主義権力と社会政策をどう克服すべきか分かりやすく、手短にエッセンスを語っている。
私は、ここ数年現代アメリカリベラリズム批判の観点から、サンデルに傾倒し自らをサンデルと同様に「コミュニタリアニズム」に位置づけてきた。
カントの抽象的個人から出発する裸の個人を想定し、「無知のベール」をアプリオリに措定し、そこから万民が合意できる自由と平等原理を、機会の平等性として確保するロールズの「現代リベラリズム」を、サンデルは徹底的に批判して登場した。
ロールズのリベラリズムは、ルソーの社会契約論が、19世紀から発達した経験論や実証主義によって一種のフィクションとして、誰もそのような約束はしていないと突き崩された近代原理の危機にたいして、再帰的近代として書き直したものであった。その意味で、世界のリベラリズムとして圧倒的説得力をもった。これは、アメリカにとって、70年ベトナム戦争の敗北が見え、経済が悪化し、帰還兵や労働者・学生の反乱の時代であった。
従って、アメリカの混迷を立て直す切迫感に満ちたものであった。
サンデルは、少し遅れて、ロールズの抽象的個人から出発するため、アメリカ民主主義は「手続き民主主義」に陥って、個人の権利問題ー訴訟での勝ち負けーに変質してしまっていると批判し、全面的にコミュニタリアニズムを展開する。
後年、ロールズはサンデルの講義に自ら出席し、持論を修正していくのだった。
私がサンデルのリベラリズム批判のどこに膝を打って納得したかというと、人はみな生まれた時から国家民族エスニティー共同体地域といった属性をもっている。そこから出発しなけば民主主義的自由も平等も基礎づけられないと、主体をアリストテレスからヘーゲルの延長に位置付けたことである。つまり人間とは「社会の関係性」である、そこが欠落した場合、正義論でもおかしな話になってしまうのだと論じた。
これは、リベラリズムが人種問題を個人の自由とすることで、本人の道徳感情として処理して構わないとするが(政治問題にはしない)、サンデルは社会の問題であり、個人的選択でひとつの人種として生まれ育った訳ではない、そこには共同体という先行する価値観や慣習の多様性が存在しているのであって、別の共同体がどう処理するか、その合意を作らなければ差別はなくならないと主張したのだった。
これはほんの一例だが、このサンデルのコメントの中にコミュニタリアンとしての「公共性」の面目躍如とした主張が聞き取れる。