親愛なるUさんの記事が急に読めなくなり寂しい。
やはり大学の教員などしていると、少々批判めいたことを書かれるとプライドが保てなくなり、ブロックしてしまうのか?
取るに足らないバカだとみなされているのだろうとこちらは被害者意識が湧いてこないこともない。
しかし、
吉本隆明とまではいわないまでも、在野の肩書のない無名者は宿命のようなもので、あちこちから小ばかにされるのは慣れっこになってくる。
なんでも猪瀬は友人で、お前より影響力がある、影響力のないお前は引っ込んどけと。
この三流落語家がにわかリベラル風情の発信をしているたびに、日本の言論の劣化の象徴のように思えて嗤ってしまうのだった。
猪瀬など、信州大
全共闘から
ネオリベの波に乗って、
道路公団分割民営化の指揮をとってから、
石原慎太郎の舎弟となって都副知事を務めたのち、右派の票を引き継ぎ
都知事に納まった。しかし右翼
一水会からの裏金を追及されぶさまな姿を議会にさらした。
一連の書作物には一定の評価はしてきたが、情けなかった。
立川のように影響力の有無で人の評価を即断する、政治主義を最も私は批判し嫌悪してき立場だ。言論の質より量(力)だという政治主義を否定しないが、これが肯定される条件はかなり厳しく設定されないと
ファシズムや
スターリニズムに転位してしまう。
少なくとも、論争のポイントを
論議してからの判断にするだけの、言論や言葉(人格)への誠実さはあってしかるべきではないか。
私は、山﨑博昭が
中核派だとみなして後の
内ゲバ含めて「聖化」を批判していたが、彼の当時のポジションや環境を
代島治彦監督の映画で知り、個人の良心と組織の間に、国家のみならずあらゆる組織に、
共同幻想と個人幻想の問題が存在してると改めて知らされ、「奔」no6に
自己批判を書いたものだ。
笹川良一が戦前戦後を政治的立場として「反共右翼」として生きたことは批判されるべきとして、それは現在的価値判断である。
しかし、私は、
北一輝も
大川周明も、また満鉄や
満州の協同組合主義者も行き着いたところ右翼
天皇制
ファシズムで在ったが、評価している。時代の制約の中で、どう社会変革をなすかという点に人生をかけ、良心の在りどころが「庶民弱者」に置かれている一点で評価するわけだ。
笹川は戦前も戦後も
反共主義者としてぶれずに生きていた。
確かに戦前的「
篤志家」「
ロマン主義」「成功者の美学」であり、
男のロマンをモチーフにしている。或いは強者へ上り詰めた者の弱者への「同情」に過ぎないともいえる。
戦後モーターボート事業で成功し、無給で財団を興し、その財をごろつきや詐欺師に食いつぶされながらも、らい病撲滅を生涯の仕事として、莫大な寄付金をWHOに与え、アジア・アフリカを中心に研究所や特効薬を配布、本人が野蛮な荒野・野蛮密林の世界を駆け巡った。
世界のらい病撲滅をかかげ、今やブラジルだけを残すのみとなった。
病者のみならず、隔離政策の廃止、家族の差別撤廃までを国際的に進めている。
このために国連
人権委員会で満場一致で差別撤廃条項を成立させるため、各国政府を説得に回った。
WHOの特命大使に任じられた直後死亡した。
事業は、息子陽平が引き継いで差別撤廃に奔走している。
親子は無給で財団の金は一銭も受け取っていな。
今財団は近代経営に体質改善したようで、良一に取り入って金をむさぼるゴロも一掃されているようだ。
徹底した近代化を進める陽平に対し、
既得権益の危機から追い出しを図った右翼ゴロ、
国交省、政治家は逆に陽平に排除され、陽平は主導権争いに勝利し、良一の遺産を守った。
私が期待するのは、
統合失調症撲滅の取り組みだ。
助成金もつき、
精神保健福祉法も改訂がすすみ、第
三者が患者の面会退院に権利を持てるようになった。これは画期的な改訂である。親が死ぬと、退院引き受け者がいなくなり、あるいは居ても厄介者扱いされると親自体が病院へ閉じ込める傾向があるからだ。
行政も市民も病院と密通し、隔離を歓迎し、市民外狂人として差別している。
民間営利病院が80%の日本の特殊事情だ。
らい病と同じ人権無視による非人間的取り扱いが存在しているのだ。
世界一長期入院、隔離・身体拘束の常態化とそれによる死者の多さ、国連人権委からの改善勧告。
こうした、権力から捨てらせた「非人間」に金も人も投じて正義の自己満足ではなく、成果を確実に手にすることを、国家や左翼やリベラルや野党がやれたのだろうか。
そして特筆すべきは、
笹川良一の生涯にみられるのは、「反権力」的性格傾向である。
北朝鮮金日成との国交正常化につながる交渉(息子陽平)を、合意した約束を事後ことごとく潰したのは外務省であった。
国家が、人民の位相で動く笹川を、多く規制し潰しをかける在りようをみると、国家と笹川は両立せず、それに嫉妬しメンツをつぶされるとみなすと国家がこの親子を潰しにかけるーそうみると存在自体が「反権力」といえなくもないのだ。
笹川良一親子は、あまりにも戦後ジャーナリズムに虚像を創られ過ぎた。