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大門通りから名古屋駅まで

今日は、高校時代の写真部のなかまと、昼から名古屋駅で飲んだ。毎年恒例の飲み会だ。12時半から3時間飲み放題。ワイワイやった後、近くの居酒屋になだれ込み、そこでも飲んで、気がつくと6時過ぎだった。皆と別れて自宅に着いたのは8時頃。すぐに横になったら眠ってしまい、11時頃に風呂に入ったが、それからもまた寝てしまった。

会場に行く前に、大門通りから名古屋駅まで写真を撮りながら歩いた。途中、暑くてコンビニでジャイアントコーンを買って食べた。ぶらぶら歩いていたら、飲み会の開始時間ぎりぎりに。さらに少し迷って、到着は数分遅れになってしまった。

なお、大門通りあたりにはちょっと馴染みがあり、それで飲み会の前に行こうと思った。それは次の通り。

子どもの頃、住んでいたところから名古屋駅に向かうバスがあり、太閤通りを通って名古屋駅に向かう途中に大門通りというバス停があった。そこにお茶の店があって、お茶のいい香りがしたことがずっと記憶が残っている。

大門通りを通って少し西に行くと、日赤名古屋第一病院がある。この病院にはよく行き来した。9歳のとき、私は父に連れられてここに入院した。よく母が付き添ってくれた。その10年後くらいに母がこの病院に入院した。その後、母はさらに二度入院し、最後に入院したとき、この病院で亡くなった。

父が不調で入院したのもこの病院だ。その後、病状が急変していろいろあり、ずっと寝たきりになった。父が亡くなったのは、大門通りにあった病院だ。

母が最初に入院したときだったと思う。病院から東に向かって歩いていたら、時代劇の撮影をしているのに出会った。そのあたりは旧中村遊郭で古い建物がまだ残っていた。そのような古い建物がもしあったら、という期待もあった。が、そのときから40年が過ぎ、なかなかそうはいかなかった。

なお、大門通りから名古屋駅までぶらついたときに撮った写真は次の通り。

提灯の店だったようだ。

太閤通にあった郵便ポスト。

ここが記憶にあるお茶の店だろう。

父が最後に入院していた病院はこのあたりだった。

ここにオーモン劇場という映画館があった。

私、そして母、父が入院した病院。

私はこの古い門を父と通って入院したのかもしれないが、これは記憶がまったくない。

※モノクロ写真は、そのときの撮ったものだが、現像後に追加した。




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