ローカルな話で恐縮なのですがワインやブドウで有名な勝沼の隣町にかつては塩山市と呼ばれた街があり、勝沼と塩山が合併していまは甲州市という名前になっています。その甲州市の旧塩山市域に俗に甘草屋敷と呼ばれてる江戸期の建物が現存し、この週末に見学していました。甘草屋敷の甘草は生薬の甘草で、もともとは信玄公の武田信虎の時代から塩山の高野家で甘草を栽培していたものの、(朝鮮人参の国産化等薬草の活用に傾倒していた)徳川吉宗の治世の頃に幕府御用となり以降甘草を上納していて、ので、甘草屋敷という俗称がつくようになりました。正式名称は旧高野家住宅です。
現存する建物は銅板葺きにしてあるもののもとは19世紀初頭のもので、屋根のいちばん高いところの大棟を東西に通してある切妻造です(その東西の切妻の部分は恥ずかしながら写真を取り損ねてしまったのでないのですが漆喰が塗ってあります)。
それに養蚕のために作った二段の突き上げ屋根があとで設けられていて…ってつまり明治維新後になると甘草オンリーというわけにはいかず養蚕をするようになるのですが、養蚕の風通しのための突き上げ屋根で、ながめの庇の下に板葺きの雨戸で閉まっていますが通風口があります。上州だと初夏に辰巳の方角から風を入れると養蚕によいとされてそれを意識した建物がありますがもともとは養蚕用の建物ではなかったここはほぼ南向きです。興味深いのは甲州では煙を養蚕のスペースに充満させるのが良いと考えられていたそうで、時期によっては屋敷から煙が見えてたのかなあ、と。
幕府御用であったゆえか賓客用の座敷門も現存し
その座敷門を過ぎて奥へ進むと
小さな庭が作ってあります。おそらくそこに面した座敷がいちばん格の高い場所ではあるのですが、間の悪いことにいま
ひな飾りひな人形が飾られていて室内からはその眺めは楽しめません。なお写真真ん中らへんの奥がおそらく賓客をもてなしていたであろう座敷のあたりです。
その賓客をもてなしたであろう座敷の北側には(いまは)ふすまで隠してありますが仏壇があったそうで、ふすまのデカさからするとそこそこ大きな仏壇であったのではないかな、と。でもって、ひな人形の展示の影響で見学できるところが制限されてて、実は甲州独特の民家の構造やどうやって養蚕のための改造したかを見たかったのですがそれは叶わず。いつかリベンジしたいところであったり。
しかしながらそのひな人形の展示もけっこう見応えがありましてすべてが甘草屋敷の持ち主であった高野家伝来のものではないらしいものの
たとえば、享保年間(吉宗の時代)の雛人形なのですが大型で能面で切れ長の目で、現代の感覚からすると違和感があって、キレイ!とかカワイイ!とかとは思えなかったりします。つまるところ雛人形にキレイとかカワイイという要素を求めるのは後世になってからであることが一目瞭然です。
また、いわゆる歌舞伎雛とでもいうのか物語に沿った雛人形もあって
わかりやすいものだと『花咲かじいさん』がありました。もっとも見ていて正直花咲か爺は春の話であったかどうかは思い出せず。でもまあ花咲か爺さんは長寿ということで縁起物枠(…枠?)では理解できます。
しかしそのすぐそばに舌切り雀があったりしました。欲張っちゃいけないよという教訓話だったはずで、もはや縁起物でもないような。女の子や春に関係するかというと怪しいのですがそこは百歩譲るとしてここらへんはまあ子供でも知ってる話のはずで、題材としてはいちおう理解できないことはないです。
さらに別のところに刀匠がキツネの精霊とともに小狐丸という刀を作り上げる歌舞伎もしくは能の『小鍛冶』を題材にしたものもありました。刀匠にキツネに刀で、女の子要素もなければだれもが知ってる話でもないはずです。どうしてこんなものを作ったのか?は謎なものの、こうなってくると主人公である女の子そっちのけで製作者や注文者である大人たちがほぼ趣味で作ったか作らせたかもしくは買ったとしか思えず、ひな祭りダシに大人が楽しんでいたのではないかという疑惑(…疑惑?)がもちあがります。
とどめは心に偽りがあれば演奏が乱れるのではないか?ほんとのことを云ってるかどうか?を琴の音から調べる歌舞伎の『阿古屋』の琴責めのシーンの再現雛で、そんなものまであるのか?と思わず吹き出してしまっています。演じる役者に技術のほかに色気や気品がないと成立しない物語の詳細は歌舞伎などでご覧いただくとして、この人形を前にして、子供のためのひな祭りをダシにして実際は大人がひな祭りを楽しんでいたのではないか?という確信を持つに至りました。もっとも雛祭りは子供の祭りであるなんて法律はないので別に何ら問題はないし、令和のいまのアニメの精巧なフィギュアの源流は雛人形につながるのかも、と興味深かったです。なお雛人形等の展示は4月18日まで。
以下、蛇足です。
屋敷と名がつくだけあって主屋以外にも建物は現存しててたとえば小屋があるほか
地実棚とかいてじみだなと読む構築物がありました。南側がひらけていてへの字状に北側に長く屋根が葺き下がる木造の構築物です。山梨はヤマナシと書いて山がなさそうな土地ですが南アや八ヶ岳など山にがっつり囲まれている山有りの地域で、その山を越えてくる乾燥した風を利用して秋から冬にかけて柿などを乾燥させるための構築物だそうで、はずかしながら初見です。小さいころから枯露柿とかいてコロ柿と読む山梨の百目柿の干し柿を食べていたのですが、そうか専用の設備があったのか…と。たぶん甲州独特のものだと思うのですが、なんだろ、自然環境と作物が人を工夫に走らせ、独自のものを作り上げるのが興味深かったり。













