以前は名古屋駅の豊橋方面に行く東海道線のホームにかきつばたという名前のきしめん(はもちろん土手煮も扱っていて一杯ひっかけることもできなくもない麺類)などの店がありました。東海道線はそこを通らないのですが名古屋と豊橋のあいだには知立というところがあって、そこで花のかきつばたを句の上にすえて詠めといわれて在原業平が詠んだことになってるのが有名な「からころも」ではじまる短歌で、日本文学専攻ではないものの大学受験からそれほど経てない二十代の頃は伊勢物語はまだそれほど知識が薄れてませんでしたから覚えていたので、豊橋方面行きの店にかきつばたの名前を付けるそのセンスがすげえ…と唸らされています。
ただ人間は工業製品ではありませんから伊勢物語をはじめとした古典の知識というのは誰もが知っているとも思えず、ヘタに口にすると「コイツはなにを云っているのだ」案件になってしまいかねないと考え、ので、仕事の都合で名古屋にいる間には誰にも云わずにいました。名古屋を離れてからもたぶん口にしていません。云われたほうとて返答に困るだろうと思ってのことです。
話はいつものように横にすっ飛びます。
今朝の毎日に伊吹元衆院議長のインタビューが載っていて主題は昨今の政治情勢をめぐる話で、文脈は現首相の台湾海峡をめぐる国会答弁に関してのことだったのですが、元官僚だけあってあるべき模範解答を述べたうえで
「勉強した人は知識を言葉にしたがる」
という批評がありました。ほめてるように見えつつもほめてなく、一般的には良いことのように思える「知ってる知識を語る」ことは時と場合を選ばねば逆効果になることを間接的に戒めてると受け取ったのですが、政治のことはいったん横に置いておくとして。
話をもとに戻すと、大学入試は30年以上昔ではあるもののかきつばたにまつわる上記の話をいまだに忘れてない上にこうして文章に書いているわけで「勉強した人は知識を言葉にしたがる」という老獪な元政治家の言葉が背中にちょっと突き刺さっています。根っこに同じ軽薄さがうっすらとあるのです。そして勉強した知識をつい言葉にして失敗しかけてる昨今の実例を見ちまうと冷汗がでてきそうではあるのですが。失敗しなかったのは知識が伊勢物語というマイナーなところでたまたまというか偶然という意識もあります。
ところで「勉強した人は知識を言葉にしたがる」のはなぜか?と問われると答えがありません。わたしの場合はわたし自身がいくらか軽薄なのとそれを知った時の衝撃がデカかった、というのに尽きます。ここらへんもっと探究したいところですが、よくわかっていないのでこのへんで。