どこをどうしたらそう見えるのか?と問われるとキツいのですが群馬県は「鶴舞うカタチの群馬県」といわれてて南東部を頭に見立て鶴の下側の羽根の部分にあたる南西のあたりに…ってこの説明でどの程度の理解が得られるのかわからないのでもっと雑に書くと群馬県の南西部に上州富岡という街があります。その上州富岡にあるのが
富岡製糸場跡で、明治5年に官営として創業した製糸工場がほぼそのまま残っていて、週末に見学してきました。
明治政府は御雇外国人を招いて各地で近代化を推進しますが製糸の技術をフランスから移入していて、富岡製糸場はフランス人が指揮をして建設されています。図面を引いたのもフランス人です。
正門からすぐのところにある生糸にする前の繭を置いていた倉庫は木骨レンガ積で、その繭置きの倉庫が2棟ほど現存します。使用している材は杉で、しかしながら明治5年の段階で現在のような製材技術があるわけではありませんから材に利用する杉の加工も相当な苦労があったそうで、くわえて、レンガも明治初期の群馬では製造しているところなどありませんから隣県の深谷の瓦職人を呼び寄せて焼いています。建物は純洋風ではなく
屋根は瓦葺で
屋根を支える内部はトラス構造で、つまるところいたるところで日仏合作というか和洋折衷です。
ところで繭の倉庫の内部の天井の一部を漆喰で塗り固めていたようなのですが、そもそも天井に漆喰というのがフランスでは例があっても明治五年の日本ではほぼ例がありません。本来漆喰の下地につかう木摺りの下地だと板と板のあいだを1cmくらいあけそこに漆喰をぬるのですが
現存する天井の下地はそうはなっておらず板が隙間なくびっしり敷かれ、その上に漆喰を塗ってあり、結果として漆喰が崩落しています。当時の図面がどうなっていたのか知らないのでヘタなことは云えぬものの、令和に生きるわれわれはいまは知識がありますが、知識のないまま現場に行ったら誰だって天井になる部分には隙間なく板を敷き詰めようとするでしょうから当時の関係者を嗤うわけにはゆきません。
この富岡製糸場跡がすごいのは失敗の記録といってもよい当時の試行錯誤をそのまま保存しているところで、ちょっと唸らされています。
さきほど繭の倉庫が2棟と書きましたがその2棟ともけっこう細長い建物で
それぞれ100メートル以上はあります。繭は夏の繭もあるのですが計画の段階では製糸に適した繭は春のものとされ、1年間操業するために春の繭を大量に保管する必要がある→バカでかい倉庫が2棟、というようなことになっています。窓が多いのは通風のためで、しかしながら明治5年の段階ではガラスは高価なので多くの窓にはガラス戸はありません。
製糸工場ですから糸をつむぐ作業場がありそこは操糸所と呼ばれ、明治5年の段階では上州富岡に電気が来ていなかったので太陽光を取り入れるために輸入した板ガラスを多用していて、内部がかなり明るいです。細長く140メートルほどあり、いまあるのは昭和の末期の器械ですが最初は輸入した繰糸の器械を300ほど並べていたそうで。
ここも木骨レンガ積でやはりトラス構造になっています。トラス構造の材が並んでるのを眺めるのが好きでちょっとのあいだ上を見上げてニヤニヤしている怪しいおじさんになっていました。
糸にするために繭を茹でる必要があり、その蒸気を逃すために屋根の上にもう一つ換気用の腰屋根を作り、そこから逃がす構造です。なお余談ですがこの操糸所、国宝です(鷺娘は踊りませんが)。
繭置き倉庫もデカいのですがこの操糸所もデカい建物で、電気のない時代の操糸所の300ある繰糸器の動力源として
そのために蒸気エンジン輸入され設置されていました。いまはそのレプリカが別途展示されています。さすがに燃料は群馬県内で採掘された亜炭という石炭より価格の安いものであったようですが。
さて、輸入した板ガラスに輸入した繰糸の器械輸入した蒸気エンジンにくわえ、バカでかい倉庫にバカでかい操糸所の建物、というように富岡製糸場はシロウト目にも採算を度外視してるとはっきりわかるくらいにかなり理想を追求しています。さらにお雇い外国人や有能な工員さんには給金をはずんでいました。ので、操業開始からしばらくは経営的には順調であったわけではなく、しばらくしてからは政府は経営から手をひき、そののち三井→原合名→片倉と経営母体が代わり、昭和の終わりには操業を停止します。最後のオーナーの片倉はここを売らず貸さず壊さずに維持していて
なので、昭和の終わりの工場がどんなものであったのか、容易にわかる状態にもなっています。話をもとに戻すと平成になって片倉から富岡市に移管され
煙突など工事中で改修は道半ばですが令和のいまに至ります。漆喰など試行錯誤の結果正直失敗の部類に入る部分などを含め、建物にいくばくかの興味があるほうからするととてもよくぞ残しておいてくれた感がでかいです。ほんとに頭がさがります。
以下蛇足です。実は富岡が目的地ではなくついでに軽い気持ちで寄ったのですが、トータルで2時間くらいの時間が溶けています。そして富岡製糸場跡は世界遺産に認定されていて、そのせいか、いまある施設に手を加えない前提だからだと思うのですが時計はほぼ見かけません。製糸場跡を出て次の電車の時間を調べると次の電車まで時間がそれほどなく残念なことに最寄り駅を通る電車の本数が決して多くはなく、それを逃すとその次の高崎行きの上信電鉄線が50分後と知って、あわてて駅へ急いでました。その点ほんのちょっと危険な世界遺産です…って建物の話からズレちまったのでこのへんで。















