カットされることもあるのですが歌舞伎の助六の物語の中に通称「水入り」というのがあって、前後を含めどんな話かはぜひ歌舞伎でご覧いただくとして、追手から逃れるために助六が大きな天水桶の中に飛び込む場面があります。
この天水桶はなにか?というと防火用水で、歌舞伎に限らず吉原を描いた浮世絵などにも天水桶が当たり前のようにでてくるのですが、江戸および東京は間の悪いことに暖房を必要とする晩秋から春のはじめにかけて北西の風が強く吹くことがあって、つまるところ火事が怖いので、その対策としてあちこち置かれていました。
さて関東大震災の時には浅草寺は仲見世は焼けたものの伝法院と本堂は残りました。避難民と近くの職人がバケツリレーで食い止めた、とも云われていて
ので、江戸期の伝法院客殿などが現存しています。その水はどこからかは不勉強なので知りませんが境内にはいまでも伝法院の客殿前の池があるのでおそらくその水かなあ、と。本堂はその後戦災で焼失し、境内にある池のある程度を売って再建しましたが、境内のすべての池を埋め立ててはいません。
上野の東博には人工の池が本館の目の前にあり、それをつぶして芝生の広場にしよう、という計画が持ち上がっています。東博は関東大震災後に鉄骨鉄筋コンクリ造で作られてて防火も相当考えられていて、敷地内に池はほかにもあるのでひとつくらい潰しても、というのは理解できなくもないのです。
とはいうものの。
火事というのは出火直後というか初期消火がいちばん大事で、また消防隊が来るまでのタイムラグもあります。大きな地震となれば消防隊が来るとも限りません。その状況下で、まとまった水を重要な建物のそばに置いておく、というのは関東大震災時の浅草寺の例を考えるととても重要に思えるのです。ので、芝生化なんてやらないほうが、などと考えちまうのです。
何度か書いていますがわたしの曽祖父は関東大震災の日に仕事で東京に来ていて、本所吾妻橋のあたりから両国被服廠跡に行き火災にあい遭難しています。東博の本館は関東大震災後に被災して改めて建てられたもので、池の設置意図は詳しくは知らないものの、本館の前の池は震災のあとの知恵なのではないか?というのがどうしても拭えなかったり。


