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『フロリダへ帰る』(もしくは開高健・「歩く影たち」展をみて)

開高健という小説家を知ったのは十代の頃です。読みはじめた頃にはすでに亡くなっていましたがそれはともかく、読み進めてゆくうちに『玉、砕ける』という短編に出合います。その作品については何度か書いているので今は横に置いておくとして、その『玉、砕ける』が掲載されている短編集の名が「歩く影たち」(新潮文庫・1982)です。

その「歩く影たち」の中に『フロリダへ帰る』という作品が収納されています。いくばくかのネタバレをご容赦いただきたいのですが、取材のため従軍したベトナム駐留米軍の部隊の通信兵で知り合いであるボウヤァがベトナムで運河の水を飲んでしまったがゆえに肝臓を悪くし立川の基地に入院し、従軍期間を終え東京に戻っていた主人公が彼を見舞う話がメインです。メインですと書いたのは訳があって単純な見舞いで終わらずに、そして

「ボウヤァ。この戦争は何年続くのだね」

(P67)

というセリフのあと、主人公が戦争の大義は知りつつも戦争に反対するセリフが続き、なのでそれをピックアップすれば単なる反戦もしくは厭戦の小説で済むのですがそれで終わらすわけにはいきません。

いくらか脱線すると、単純に見るだけならよいのですが実のところ見るという行為が厄介なのは、なにかを見た結果、見たものがどうなる可能性があるか、想像出来ちまうことです。

脱線した話を元に戻すと、主人公は従軍の結果、人が銃で撃たれるとどうなるかを見てしまっていて、ので、ベトナムから立川に来た彼を見舞いながらも現実には起きていない彼の腹や頭や脛などに銃弾がめり込む状況を微に入り細に入り想像していたことを読者には告白します。主人公は繰り返しますがあまり健全とは言えぬ想像をしつつ、しかしながら知り合いのボウヤァを前にしてはそれをおくびにも出さず、なぐさめ、かつ、くつろがせたおのれのことを下劣な偽善者と評します。

ほんとに下劣な偽善者であるかどうかは別として、さらに話が厄介なのは、物語の前半では主人公の自宅にミミズを釣り用の餌として売ることで生計を立てる知り合いであるナベちゃんが来訪する場面とナベちゃんとの会話が精緻に描かれ、そしてそのナベちゃんがどちらかというと正常とは云いきれない(とどめを刺すように「ひとりの男の脳の崩壊を目撃しつつあるはずなのに」P54という描写がある)ことも触れられています。物語の前半ででてきたどちらかというと正常とは云いきれないそのナベちゃんと、後半で従軍経験のあとでありもしない想像に呑み込まれていた主人公の差はどこにあるか、というと、答えがありません。

現国のテストのように「この物語はどういう教訓を示しているのか?」とか「作者はどういうことを云いたかったのか?」という問いの正解をわたしは文学部卒ではないので持ちえませんが、ただ読んでからこちら、人は視覚での経験を経てそして絶望を前にして可能性を想像すると、人はあんがい脆く、そして正常を保てない、もしくは、容易に壊れてしまうのではないか?というのが拭えずにいます。それらをフィクションに巧く載せてある気がしてならず、三十年以上経ても忘れることができずにいます。

ところで茅ヶ崎には開高健さんが晩年に住んだ住居がそのまま記念館があってそこで「歩く影たち」にちなんだ展示があると知り、この週末見学しています。そして『フロリダへ帰る』にまつわる展示もほんのちょっとですがあります(なお9月28日まで)。上記のナベちゃんが主人公の家に持ってきたものに魚の餌になるゴカイの代わりの人工疑似餌のロッカイというがあり、ほんとにあった疑似餌で、展示でそれが置いてあったら…などとふざけたことを考えていたのですが、それはさすがに残念ながら(…残念ながら?)ありません。話を元に戻すと短編集自体は既読で内容は既知で、にもかかわらず、つい展示を見入ってしまっていました。これをかいているやつはちょっと愚かです。

本を読んでも愚かになる上に文学に疎く、何を書けばよいのかわからないのでこのへんで。




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