それがいいことかどうかはわからぬものの、慣れというのが人間の習性としてあります。最初はそんな大きいのムリムリムリそんなの絶対ムリと思えていたのに…って話が変な方向へ行きそうなので話を変えると、草津温泉の場合は湯温が違う浴槽がいくつかあって低い湯のところから順番に入ると高い湯音もなんとかなってしまうことがありました。
じわじわと環境が変化してもその都度慣れてしまい→そのうち致命的な状況の一歩手前だとしても緩慢な変化に慣れてしまったがゆえに危機を危機と思わなくなってしまって→のでそのままたいした行動をせず→死に至る、という趣旨の茹でカエル理論というのが以前ありました(もしかしたらいまもあるかもしれない)。なぜカエルかというと、カエルは鈍感と思われていて釜にカエルを入れても茹であがる直前までカエルは状況の変化に気が付かず茹であがるはず、という思い込みによるもので、たしか生物行動学的には否定されているはずです。
話はいつものように横にすっ飛びます。
いつの間にか消えてしまったのですが以前は豊橋駅のホームから駅の外に設置してあるデジタルの気温計を眺めることができてて、確実に愛・地球博の前だったと記憶してるのですけどある年の夏に陽が落ちて夜の段階で30度表示だったことがあって、名古屋方面への電車を待ちながら「暑いはずだよ」と腑に落ちた記憶があります。
それから確実に20年以上を経過した昨日の夜9時頃、退勤後自宅に戻ったらエアコンの入っていない状態でも汗が噴き出るわけでもなく、「お、涼しい」と思ってデジタルの気温計を眺めたら30度でした。30度が涼しい、と思えたのがちょっとショックではあったのですが。
そこに豊橋での30度の記憶がよみがえって、いくらか異常でも慣れてしまってる意味での茹でガエルってこういうことなのかもしれぬ…などといまさらながら言葉の意味を理解しました。もっとも、ツラの皮が厚くなった、つまり厚顔になった可能性も否定できぬのですが。
酷暑はもうそろそろ終わってほしいところですが予報を眺めると次の火曜くらいまで再びかなり暑そうです。なんとかして生き延びたいところであったり。