連休中伊豆へ行っていました。伊豆に韮山というところがありその韮山には幕末に伊豆や三浦半島の天領を支配していた江川家の屋敷が現存していて、復路にそこを見学しています。日本史の教科書に出てくるキーワードを書けば幕末に反射炉を完成させた江川英龍が居たところ、と云えばわかりやすいかもしれません。
主屋はいまは銅板葺きですがかつては茅葺きで、関ヶ原の頃の慶長年間の建物に江戸期を通じて修築がなされ、いまに至ります。代官所としての執務棟は現存せず台所などの江川家の私生活を支えた部分がメインです。といっても
かまどがある土間だけで50坪あり、けっこうデカい建物です。
その土間の上には天井板は貼られておらず、ので、屋根裏の架構がむき出しのまま。
陽光が差しこむのでそこそこ明るいです。高さが12メートルくらいあるので、横殴りの雨があったとしても屋内にはそれほど影響はないのではないかな、と。そして屋根を支える骨組みのことを小屋組というのですがその小屋組を支える柱がどちらかというと細いです。細長い材だと上からの荷重を受けてバキっていってしまう座屈をどうしても考えてしまうのですが、ここは伊豆でさして雪も降りませんからせいぜい屋根の重みと柱の自重程度で細くてもダイジョウブなのかも。細かく見ても理にかなってて唸らされてます。そして荷重を受けるいちばん下の梁も(細い材を上部で使用したので)太い丸太などを置かずに済み、削ったと思われる比較的太くない部材で構成されています。ので全体の印象として、重苦しくなく、かつ、軽快で江戸期の建物でありながらモダンな印象をどうしても受けちまいます。
伊豆は比較的地震が多いところなのですが全壊するようなことはいままでなかったそうで。ここから先は想像ですが、建物上部を軽くすることで縦揺れ時の衝撃による損壊を回避しようと昔の棟梁は考えたのかな、と。
ずっと上を眺めているあいだ、頭の悪い感嘆詞で「すげえ…」しか出てきませんでした。設計施工した棟梁の頭脳に脱帽です。
もちろん屋内すべてが小屋組むき出しではなく、玄関や幕末に江川英龍が砲術の塾を開講していたスペースにはさすがに天井板が貼ってあります。
天井板の貼ってあるスペースには人が入らぬよう柵が作ってあります。こういうところは武家なんだなあ…感がありました。
建物のことばかり書いていますが展示されてる資料、たとえば幕末に伊豆でロシア船が座礁したあとにその代用船建造(を手伝いながら西洋船の構造を明らかにしたとき)の資料であるとかの幕末の混乱期の貴重な資料も見応えがあり、江川邸はけっこう時間泥棒なところでした。
最後にくだらないことを。
敷地内には幕末に建てられた駒蔵とも呼ばれる肥料蔵があり、風呂場の椅子とか踏み台の柱のように四方の壁が内側に傾いている「四方ころび」という技法で建てられています。幕末には地震がけっこうあったので倒壊しにくいように安定させるためとしたらその技法は理解できないことはないのです。が、蔵の入り口には瓦を載せたような庇がついていますが庇の部材はなぜか(伊豆石という)石で、石工に瓦のようにわざわざ彫らせた可能性が高いです。風が強い北陸や越後なら屋根上に石というのは理解できますがここは風がそれほど強くない伊豆でしかも庇の上だけで、くわえて石も瓦も重いですから地震対策とは思えず、手間や費用を考えると単純に瓦を使った庇をつければいいはずで、なのにそうしなかったのは何故なのか?は謎です。ここらへん工業製品ではない建築の不思議で素敵でわけわかめのところなのですが、幕末の施主の江川さんや幕末の棟梁の考えが令和に生きる退化したわたしには理解できないわけで…って、これ以上続けると石頭の証明になってしまいそうなのでこのへんで。









