こどもの頃に「知らぬ人からものを貰ってはいけない」と教わりました。それはいまから思えば「返さないかわりに貰った相手に従わねばならない」というのを未然に防ぐためのものだと思われます。そしてその根っこにはおそらく「ものを貰ったらその分返さなければいけない」という人間の習性に根差したものがあるはずで、その習性はおそらく贈賄にも関係しているはずです。
じゃあなにかしらのものを貰うのが知ってる人なら良いの?というと悩ましいところです。個人的なことを書くとここ何年か隣県のちいさな会社の株主になっていて総会に出たあとに和菓子や手巻きの寿司の詰め合わせなどの手土産を貰ったことがあります。もしかしたら「お手柔らかに」とか「黙ってろ」という趣旨だったのかもしれません。もっともそこらへんの空気を読むことが良いこととは思えず、空気を読まずに黙らずしかしそのままなにもしないのも居心地が悪く、なので現況がどうなってるか確認したいと申し出て現地で現物を見せて貰うことの御礼を兼ねてその会社の事業所に訪問する際には貰ったもの以上の価格になっちまうものの目黒の揚げまんじゅう屋の揚げまんじゅうの詰め合わせを必ず持って行き、差し入れしています。不思議と揚げまんじゅうは好評です…って揚げまんじゅうの話をしたかったわけではなくて。ここで
を引っ張りつつ、いつものようの話は横にすっ飛びます。
『中世的世界とは何だろうか』(網野善彦・朝日文庫・2014)という本を読んでいてその中に「宴と贈り物」という文章がありました。酒宴や贈答の方向から眺めた日本史であるのですが、中世でも賂の意味合いを含めた饗応などは有り得て(P166)、もちろん建武式目を筆頭に贈賄や度を越えた贈り物に対する禁制はあったのですが無くなりはしなかったようで(P169)。網野さんは現代でも宴会や贈答の風習が消えてないことを指摘し「これは宴と贈り物が、人間の自然な本性にいかに深く根差しているかをよく物語っている」(P169)と述べつつも、室町時代の貴族万里小路時房が贈賄について意見を問われたとき
「以って汝の隣里郷党に与えよ」
という孔子の言葉、意味的には隣近所の人々にわけてしまえ、と述べていることを紹介しつつ、私利私欲を貪ることへの社会の抑制が働いていたことにも触れられています。くわえて、贈り物等得たものを私物化しない慣習があったからこそ贈与の互酬性が中世においては寺社などによる勧進や施行などに向かったことなどが書かれていて、腑に落ちています。
話を戻しながら器の小さいことを書くとつまるところ多くの場合は
「一人だけ不当に得する状況を避けてた」もしくは「貰いっぱなしは昔の人も避けてた」
というのがうっすら理解できたというか。
以下、くだらないことを。
招待されて食事会に行き手土産として商品券を貰ったけど貰った方が中身を確認して返した、という報道を最近知りました。手土産の商品券分だけ返した、というのが不思議とひっかかり、仮にそういう場面に出くわしたら食事代を含めて招待したほうに相応のなにか贈るかなあ…などと考えていました。数秒後、なんでこんな真剣に考えているのだろう…と我に返ったのですが「食事とか贈り物ごときであまり他人に従いたくない」というおのれを再発見しています。贈り物って招かれたり貰った側の人間性を浮き上がらせるというかなんというか。そんなことないっすかね。ないかもですが。