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「深い」および「浅い」について

これを書いているのはあんまり知識があるほうではありません。ので、他人様が使う言葉でひっかかることがないわけではありません。そのひとつが「深い」で、それを文学とか音楽とか芸術方面で使われるとどういう意味なのか、よくわかっていないところがあります。

くわえて品がありません。ので、いたすことをいたしてるときに(よいこのみんなはわかんなくていい)熱を持つそれがのど奥まで届くことをdeep throatということを知りその経験から、もしかして、理屈ではなく我が身に深くまで入る感覚というか経験を「深い」というのだろうか…などと考えていた時期があります…ってこのまま続けると下品な上に無知の自白になってしまうので、話をいつものように横にすっ飛ばせます。

米国を舞台にした虚言がまかり通る架空の物語を翻訳した村上春樹さんのインタビュー記事が11日付の毎日の朝刊に載っていました。もちろん未読なのでヘタなことは云えないのですが、その記事の中で村上さんは「ウソの犠牲者である側がウソを支持してしまうことに救いがない」という問い対し「ウソだとわかっていても、明るいこと、あるいは強いことを言ってくれる人を求めてるのでしょう」なぜなら「社会の閉塞感がある」という解を出してて、正しいかどうかは別として個人的にはやはり現実の米国を想起していて「ああなるほど」とその解は腑に落ちるものでした…って政治的な話をしたかったわけではなくて。

そのインタビューで個人的にとても勉強になったのは

「浅いウソというのは必ず劣化し、風化していくものだと思う。一方、小説は虚構、ウソではあるけれど、いいウソであれば深いんです。劣化しない」

と村上さんが「深い」について小説を虚構としたうえでウソを絡めて述べていた点です。そのあとに(『アンダーグラウンド』執筆以降のテーマのような気がするのですが)「そのあと深いウソが力を持って浅いウソを駆逐してゆくのが理想」と続きます。でもって、繰り返しますが文学や音楽における「深い」というのが個人的によくわかってなかったので

「劣化するし風化する=浅い」

「劣化しないし風化しない=深い」

というのは目からウロコで有力で妥当な解のひとつを貰った気がしています。くわえて、日本で『身替座禅』を筆頭に狂言が歌舞伎などに取り入れられつつもいまでも演じられてる理由が・欧州で『コジ・ファン・トゥッテ』などのオペラがいまでも演じられてる理由が、ひどくよく理解できています。小説ではありませんがそれらの主題が虚構とはいえまったく風化もしなければ劣化もしてないわけで。

もちろんこの説が正しいのかどうかなんてのはわかりませし、専門家ではないのでその当否の判断もできません。ただその記事を読んでひとつ賢くなった感があります。もっとも文学とも音楽とも遠い毎日を送ってる労働者なので「深い」なんてほんとはどうでもよいことであったりします。でもどうでもよいことほどひっかかることってありませんかね。ないかもですが。




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