いまとなってはどういう疑問を持って質問しにいったのかやどうしてその話になったのかがさっぱり思い出せないのですが、高校で英語の授業のあとメモを片手に教員室に質問をしに行ったときにテキストに線を引いてるのを見て
「重要と思われる部分にアンダーラインを引きなさい、といった問題は絶対テストに出ないから勉強をするときには線を引くことは薦めない」
と、アドバイスを受けたことがあります。「アンダーラインを引きなさいという問題は絶対出ない」というのは妙に説得力があって、以降、重要そうなところに線を引くのを止め、メモをとり、あとでノートにまとめるようになっています。これが社会にでても要点をまとめる際にかなり役立つようになりましたし、いまでも読んでる本に線を引きませんし(代わりに不要なレシートを挟んでいて)、これは…という本を読んでひっかかりがあったところや肝心なところは相変わらずメモをとるようになっています。ただしこの本の読み方は時間がいくらかかかるので本はたくさん読めていません。ので、効率よく本を読むような人やたくさん読む人からするとバカにされそうではあるのですが。
話はいつものように横にすっ飛びます。
このとき質問にあたり「疑問点を文章化して書き出す」ということをしていて、それを褒められています。
ちゃんと書いておくと、疑問点を書き出して文章化するという作業はつまるところ理解できてない点を明確にし→あいまいなまま放置せず文字にしてその疑問を他人にわかるように共有化する作業です。書けば簡単のように思えますが、疑問を抱えるということはそもそもそこに書いてあることが理解できないわけで、力のない哀れな自分に直面し他人に晒しプライドはズタズタです。しかし疑問を曖昧にしたままにするか、もしくは、プライドがズタズタになる程度で解に近づけるのとどちらがいいか、といったら確実に後者で、褒められて悪い気はしなかったので続け、いまに至ります。社会人になってからも前任者が解決できなかった課題にとりかかったときにかかわりを持った役所や社外の専門知識を持った人に訊ねる際にも同じことをしていて、前任者には恨まれましたがなんとか解決する方向へ導けています。蛇足ですが、大人になって質問を受ける側になって理解できたことですが、疑問をあいまいにせず明確にしてくれると答える方も楽です。
ブタもおだてりゃ木に登るの証明にもなっちまうのですがここではてなの今週のお題「思い出の先生」を引っ張ると、おそらくいまのおのれの数パーセントを作ったのは些細な点を褒めてくれた高校時代の英語の先生です。ただし名前が思い出せません…って真面目に書いてきたのに、ねえ、それじゃダメじゃん。