加賀の前田家の建てた建物に青い漆喰を使ったものがあり、おそらくそれを眺めたことがあるであろう加賀出身の施主が建物を建てるときに青い漆喰を使った例があったりします。建物はそんなふうに施主の過去の経験と脳内の理想等をそのままぶつけることがあるのですが、なぜそのようにしたかの記録があれば別として、過去の建築はたいていは施主はこの世に居ません。ので、現存している建物の痕跡から想像するしかありません。「どうしてこんなふうになってるの?」というとき、たいていは、過去の施主や造作を担当した棟梁の脳内に我々は追いついていないことになります。実は今回見学した大磯の建物も、過去の施主や棟梁の脳内に追いついていません…って前書きはともかく。
大磯の旧大隈邸のすぐそばには陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸という建物があります。外相を務めた陸奥宗光の別邸が古河家のものとなり関東大震災で倒壊したあとに改築した建物が現存していて(つまり陸奥家の別邸跡の古河別邸で)、内部が見学できます。
玄関は一見、普通にみえるのですが
よく見ると玄関横の雨戸の収納は網代編みで、窓下は細い竹を並べて押縁で押さえてあって、竹垣っぽくしてあります。
玄関から入ってからの上がり框がまた変で、上がり框は本来は細長い一本の材を横に並べることが多いのですが、ここでは木琴のように短い材を縦に並べて設置してあります。変といっても別に犯罪ではありませんから無問題で、施主や造作を担当した棟梁の意図は謎なものの令和になって「おもしれー」とか云ってるのですから、目論見は成功してるはずです。
玄関入ってからのすぐの通路の壁は砂壁で仕上げてあるのですけど、色味から想像するに銅を製錬する際にでてくるスラグを粉砕してできるクジャク砂と思われます。古河は銅や電線で日本経済を支えてましたからそれとなく自らの出自を塗りこんであるわけで。
居間のから庭を眺めようとすると視界に入るのが縁側に設置された上半分が障子で下半分がガラスの雪見障子です。でも大磯はそれほど雪が降るわけではありませんから、あくまでも庭の緑を眺めるためか、もしくは、直射日光が居間にあたるのを避けるためか。
縁側には椅子が置かれていました。雪見障子の上にも障子があり、障子越しのそのかすかな陽光を居間に取り入れるように居間側の鴨居の上にも小さな障子が確認できます。
弓形の欄間の飾りが目をひきますが、天井と欄間の間の漆喰は先ほどの砂壁とは異なり茶色聚楽という名のものです。ほかにも
台所は白漆喰であるとか
大便所は桜漆喰であるとか
建物内のあちこちで砂壁や漆喰を使い分けていて、改修工事の際の資料によると現在わかってるだけで八種ほど。ここらへん効率一辺倒の工業製品ではない建築の素敵で不思議なところで、どうしてこんなことをしたのかの理由は謎です。施主の遊びだとしたら古河さんとはなんだか仲良くなれそうなのですが。
あと些細なことなのですが、砂壁も漆喰も水分に弱いので小便器と手洗いの周囲の壁を木材で覆っていて、その工夫にちょっと唸らされています。
最後にとってつけたように書いておくと、良い意味で時間泥棒の興味深い建物でした。
さて大磯まで来たので海を眺めたいと考え
海岸に向かう歩道の小さなトンネルを抜け
海でちょっと戯れてきました…って、なんだかいい大人が書くような内容ではない気がするのでこのへんで。














